巻き込まれ警報発令
「急に悪ぃな。リラちゃん。色々あって、カナタを冥界に連れて行きてぇんだが、航路は親父が睨みを利かせてるもんだから、使えなくなっちまったんだ。お袋は留守なもんだから、リラちゃんに親父をどうにかして貰えねぇかと思ってな」
「えっ? 色々ってなあに? なんだかとっても面白そうなんだけど♪」
事情を聞くと同時に、リラの目が期待に満ちて輝く。おっと。と、フィロスは口を噤む。
「秘密の話だぜ? 後でゆっくり話してやるから、今は、リラちゃんの協力を取り付けさせてくれねぇかい?」
「秘密? ふふっ。素敵な響き。いいわよ。でも、こちらの困り事にも協力してくれたらかしらね?」
人差し指を立てて、口元に当てたリラが、フィロスへとウィンクをする。
「どんな困りごとだい? 俺の孫達が協力するぜ?」
「まあ! 嬉しい。それじゃあ頼んじゃおうかしら?」
カナタを置き去りに、勝手にフィロスは話を進め出してしまう。またも、巻き込まれ警報発令である。
「遊郭の外が、ブルーローズと紅薔薇で対立しているのは知ってるかしら? それを笠に着て、おイタをする、お馬鹿さん達が増えて困っているの。大事なお客さんも取り合いだしね。だから、青薔薇との諍いを終わらせてくれない?」
お願い?と、首を傾いで簡単に言ってくれる。それは、異種と自ら対立しろという、カナタへの宣告でもあった。
「諍いの起源については、楼主のクレナイが詳しいのだけど、最近は伏せりがちだから、女将のコウバイさんに聞いて貰えるといいわ」
傍に控えていた女将を、リラが指し示す。女将は1つ溜息を付いた。
「あたし達を卑下する。ブルーローズの娼館のひ孫と、ウチの娘のイロハが、いい仲なのを困っているんだ。あの娼館には、俺様を売りにする、気位の高い純潔の荒くれ者だっているしね。ウチの娘がお目通り前に、傷物にされたらと思うと、いたたまれない。あいつ等はあたし達に人権はないと思っているんだ。生まれて来た以上、みんな神の元に平等のはずだろう?」
唯一神ならば違うのだろうか。カナタが神と言われて思い浮かぶのは、強大な力を持つ、脳筋の暴君と、目の前の祖父だった。カナタは口元に拳をあてて、眉間に皺を寄せて考え込んでしまう。
「取りあえず明日にでも、街でブルーローズの評判を聞いてみるといい」
「だ、そうなの。けど、この話はここまでにして、お客様の歓迎の宴を開きましょう。ジュンちゃんにも、フィーちゃんにも、久し振りに会えた事だしね。今日は私もお座敷がないのよ。楽しみだわ」
「お。上級娼館紅薔薇の宴かい? こりゃあ、相当に上等な酒が飲めそうだな。カナタ」
カナタの背をバシバシと、大きな手で叩き、上機嫌にフィロスは笑う。
「フィロス。貴方酒癖が悪いんだから、程々にしておくのよ?」
ジュンがカナタの言葉を代弁するように溜息を付いた。会話中に目が合っても、母親であろうリラとイツキが、言葉を交わし合う姿は一度も無かった。
イツキが母親には嫌われていると言っていたが、それともまた別な気がして。カナタはイツキとリラを交互に見る。話を聞けないだろかと考えていた。
宴までの時間に風呂を進められ、さっぱりしたカナタ達は、貸し出された浴衣を着ていた。宴の準備が済むと、賑やかな宴が始まった。
綺麗どころの遊女たちが芸を披露し、お座敷遊びを楽しむ。フィロスはすっかり鼻の下を伸ばしてテンションが上がっており、妓女達へと大量の金を渡していた。
「おうおうカナタ。飲んでるかあ? こんな美女達と同じ座敷に座れるのなんて、奇跡的なんだぜ? しっかり楽しめよ? なんなら妓楼分の金も出してやろうか? どうだい?」
「法律的には成人だけど、オレはまだ飲めねぇ歳だからいいよ。つーかじーちゃん酒臭い。ぎ、妓楼とか。し、敷居が高過ぎっからいい!」
カナタがフィロスを押しやって答える。同じ空間に居るイツキは俯き、この賑やかな宴が終わるのを待っている雰囲気だった。
茶屋の中には、妓女達の甘ったるい香りと、酒の香りが充満していた。
なんだか頭が痛くなって来たカナタは、宴席を中座させて貰う。茶屋を抜け出して、遊郭の外へと出る。初夏ではあるが、まだ夜の気温は過ごしやすかった。
「すっげぇ。綺麗だけど。この花がなんでこんなとこに?」
カナタが建物の周りを探索すると、娼館の裏手の行き止まりに、スノードロップの花畑を見つけた。指輪に施されていた細工を思い出したカナタは、しゃがみ込んで花を眺める。
「ここには昔から、何故かずっと咲いているんだ。季節を問わず、な」
ほんのりと香る、甘い匂いと低い声、よく知る人物の訪れにカナタは顔を上げた。
「イツキ。お前も酔い覚まし? 実際には飲んでねぇけど、宴会って雰囲気に酔っちまう気ぃしない?」
「全くだな」
同意したイツキは、カナタと並んでしゃがみ込んだ。一本だけ萎れたスノードロップを見つけたイツキの指先が、その花を撫でる。
「大丈夫かカナタ? 本当に厄介な事に巻き込まれてしまったな。お前自身が、世界をどうにか出来る林檎だなんて」
「本当にな。けど、お前だって、ここ来てからずっと辛そうじゃん? お前こそ大丈夫? オレになんか手伝える事ねぇの? そのっ。お前とお袋さんの事とかさ」
カナタの提案に、イツキは諦めたように弱々しい笑顔を浮かべて首を振る。
「大丈夫だ。拗れ過ぎていて、もうどうにかする気も起きないから」
切なそうに唇を噛んで、遠くを見つめるようにスノードロップを眺めるイツキの横顔に、月光が注ぐ。角度で白色に見える黒髪や長い睫毛。
シルバーフレームの奥の濃緑は少しだけ潤んでいるようにも見える。薄く開かれた唇に、カナタはごくんっと唾を飲んだ。
(……綺麗だ……イツキが欲し……い……)
ドクン。ドクンと、カナタの鼓動は平静を失い速くなる。上がって来た体温に逆らえず。浴衣から覗く首筋に、噛み付きたいような衝動が沸き上がった。
カナタはイツキの首筋へとそっと手を伸ばす。ぴくんっとイツキの喉仏が震えて上下した。
「カナタ? ど、どうしたんだ急に?」
平静を装うイツキの身体から、何度も嗅いだ事のある、甘い香りが放出された。カナタは誘われるままに、イツキの浴衣の襟を両手でグイと引き寄せて、至近距離からイツキの濃緑を縫い留める。
「ま、待てカナタ。ち、近い……からっ!」
目元が潤んで真っ赤な表情を浮かべたまま、少しカナタと距離を取ったイツキは、目を逸らす。
(……っ! そ、その表情なんだよ。可愛すぎねぇか)
大きく一度鼓動が叫んで、壊れてしまうかと思う位に速まった。今日はもう、止まれなかった。少しだけ煽られた加虐心のままに、カナタは自分からイツキの唇を奪う。
唇同士が触れ合った瞬間に、イツキの香りが濃くなった。潤んだ目元に朱色を差したままのイツキは、カナタを突き飛ばして走り去る。
「つーか……あの表情ズルくね? 〇ったし……いや、でも男同士……でもねぇな。イツキに性別ねぇんだもん。でも、イツキは異種で……って。アイツに関しては、異種とかどうでもいいな……」
自分の唇に指で触れる。1人で自問自答していれば、カナタの中で、壁だと思っていたものが、全て消えていた事実に気が付いてしまった。
「……ヒロフミが言ってた事。分かっちまった。はあ、確定だわ……これ」
壁が消えた先に、残った感情は1つだけ。自覚した感情でモダモダして、カナタは転がりたい衝動に駆られる。イツキの去った方向を見遣って、今までついた事がない位に、深いため息を吐く。
「つーか。分かった所でさ……どうすりゃいいの?」
今まで自分から動いた事のないカナタには、この先へ繋がる行動の当てはなかった。
「ははっ。恋愛の達人にでも訊こうかな。んな、知り合いいねぇけどさ……はあ」
少し落ち着いたカナタは、立ち上がる。後方に足音が聞こえて、奇襲を恐れて身を竦めた。
「呼んだかしら? ふふっ。なんてね?」
艶のある声に振り返ると、そこに居たのはイツキの母親。リラだった。イツキとよく似た風貌で微笑む。
話を聞きたいと思っていた相手の1人が、自ら赴いてくれた事へ驚きながらも、この機会を逃すまいとカナタは口を開いた。
「リラさん。あのっ。単刀直入に聞きたい事があるんすけど、いいすか?」
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