アップルハザード
初夏の風は温み、高くなってきた太陽。市立天桜高校のブレザーに身を包む2人の青年は、神主の祖母が所有する、昔ながらの日本家屋の門を潜る。
「セツカさん。行って来ます」
「ふあぁ~……行って来ます」
「はい。2人とも行ってらっしゃい。イツキ……は、大丈夫ね。カナタ。今日という今日は、ちゃんと剣道場に来ないとだめよ?」
すっきりとした美丈夫で、シルバーフレームを掛けた長身の青年は、見送りに出て来た、束ねた黒髪を左肩から流す穏やかそうな垂れ目の女性へと落ち着いた声音で挨拶を交わす。
青年とは対照的に、大口を開けて眠そうな青色の眼を擦る黒髪の彼の挨拶にはやる気が無く、連休明けの気怠げな街の人々の例に漏れないようだった。
「カナタ! ちゃんと聞いているの? お返事は?」
「んー……。気が向いたらな」
「本当に必要な事なのだからと何度も言っているでしょう? ゲームばかりしてないで、ちゃんと自分の身を守る事を考えてくれないと……」
左腕を胸の下へ寄せ。頬に手を当てながら首を傾げ、溜息交じりに言葉を発する彼の母親。彼女の名前は雪花という。
長くなりそうな説教の気配を感じたのか、天樹 彼方は、雪花へと手をひらりと振って、親友で同居人の色ノ瀬 逸樹と足早に登校を開始するのだった。
「眠そうだな。カナタ? またゲームで夜更かしか?」
「おう。昨日買った新作が面白くてさ。切りのいいとこまでってやってたら、朝だった」
「それも戦略シュミレーションなのか? ゲームもいいが程々にして、あまりセツカさんの手を煩わせるな。中々お前が起きなくて、食器が片付けられないと困ってたぞ」
問い掛けには頷くものの、イツキからの苦言には眉を顰めて、聞き飽きたとばかりにカナタは後頭部を掻いた。
「ただでさえ道場を経営しながら、女手一つで俺達2人を育ててくれてるのに。心労で倒れたらどうする?」
「いや、ゲームが面白過ぎるから悪いんだよ。うん」
「毎日の鍛錬だってお前の為なんだぞ。セツカさんだって、ずっとカナタの面倒ばかり見ているわけにはいかないだろう」
異種とのハーフだと公言する、新しい総理大臣の法律制定により、陽の目を見るようになった色々な種族が、人間に交じってポツリポツリと行き交う海沿いの商店街。今日も賑やかな声が響いていた。
街路樹の歩道を肩を並べて歩きながら、しれっと口にするカナタへ苦言を呈そうとするイツキの言葉に、不服そうに唇を付きだして、彼は緩く首を振った。
「ヤダ。面倒くせぇもん。お前も、叔母さんも手伝ってくれてるから大丈夫だって。それにほら。イツキの保護者の理事長も、時々様子見に来てくれてるだろ」
気怠げに伸びをして、当たり前かのような言い方をしながら欠伸を噛み締めるカナタの様子に、イツキは小さく溜息を吐いた。
「ちいせぇ頃から命を狙われてるだなんだとか言われ続けてっけどさ、なぁんも起こってねぇじゃん? 今まで何事も無く過ごして来て、明後日オレは18になるしな」
「……いや。何事も無かった訳じゃないんだが」
言葉を続けようとするイツキを遮って、カナタは真っ青な空を見上げた。
「昔はヒーローに憧れたりしてたけど。今更なんか起こったって、凡人のオレにゃ荷が重い。オレよりすっげぇ誰かがきっと何とかしてくれるだろ? 自分で動くより、参謀やってる方が面白ぇし」
「……それはゲームの話だろ。ところでカナタ。誕生日に何か欲しいものはあるのか?」
何かを飲み込んで、誕生日に欲しいものを訊いてくれる親友へと悪戯っぽい表情を向けたカナタは、少し考えて。
「あっ! 全てを手に入れる力……とか、かっこよくね?」
「はっ?」
突拍子もない事を口にするカナタへ、驚いたかのような表情を向けて立ち止まったイツキは、難しい顔をしていた。
そんな様子の彼へと、思わず。と、いった様子でふき出したカナタが首を振る。
「ははっ。冗談だって。昨日買ったゲームの『アップルハザード』がさ、そんなストーリーなんだよ。願いが叶う木の実を求めて、それぞれの叶えたい願いを持つ3軍が争うんだ」
指を3本立ててイツキへと示すと、カナタは一度大きく息を吸う。
「支配を望む紅蓮のエレンホス。悪の追放を望む金色のエクソリア。調和を望む群青のアルモニア。好きな勢力を選んで、その軍を勝利に導いていくってゲーム。最終的にその願いの先。平和を望むってのは全勢力共通なんだけどな」
早口でゲームの目的を説明すれば、カナタの瞳が無邪気に輝く。
「それぞれの軍のキャラも魅力的なんだけど、中でもアルモニアの君主が性別不詳のすっごい美人で……」
「お前はアルモニアを選んだって事だな。それで、そんな力を手に入れたとして、カナタは何に使うつもりなんだ?」
好きなゲームの話でテンションが上がったのか、饒舌にゲームの話を始めたカナタに相槌を打って、イツキは彼へと問い掛けた。
「ハーレム? エルフやケモ耳とか、ありとあらゆる美女とお近づきになる」
「ふっ。随分と俗な願いだな」
「えーっ。男なら一度は憧れるだろ。色んな美女を虜に出来たら、何か楽しい人生に変わりそうじゃん? じゃあさ、イツキだったら何に使うんだよ」
カナタの言葉に、異種が行き交う商店街へと視線を移したイツキは、一呼吸おいて。
「共存……だな。そもそもお前の願いも、共存無くしては叶えられないと思うが」
改めてカナタは、商店街を行き交う人々へと注目する。人間達に交じって、ちらほらと異種独特の特徴を持つ種族が見受けられる。
ゲームでよく見る、友好的な描かれ方をしている種族はまだいいだろう。明らかに爪や牙、鋭い眼光を持つ種族はどうだろうか?
(あんな異様なのと、共存なんて出来んのか?)
背筋を這い上がるゾクリとした感覚に身震いをしたカナタは、表情を強張らせて、通学路へと戻ろうとする。
「あーあ。誰かオレに願いの叶う木の実くれねぇかなあ……」
「自分で動かない事には、何も変えられないだろう。大体お前はいつも……」
「あー。ストップストップ。イツキは口うるさいんだよ。母親は2人も要らねぇっつーの!」
商店街を抜けて先を急ごうとするカナタだったが、自分に続いて聞こえて来ない靴音にイツキの方を振り返った。
「んっ?あの子。少し危ないな?」
その場で立ち止まったままだったらしいイツキは、道路の向こう側を見つめていた。
イツキの目線の先には、路地裏を抜けて来たのだろうか。華奢で可愛らしいピンクブロンドでくせっ毛の色白の少年が、交差点を渡れずオロオロとしている。時折鳴り響くクラクションに身を竦めている光景だった。
「いやいや。あの子どう見ても外国人じゃん! あっちに人も沢山いるし、大丈夫だって。早く学校行こうぜ? あんまゆっくりしてると遅刻しちまうしさ」
「カナタ。先に向かっておいてくれ。俺はあの子に事情を訊いてから行く。すまないが理事長のジュンさんには伝えておいてくれるとありがたい」
カナタの答えを訊く前に、荷物を預けて歩道橋へと走り出したイツキは、あっという間に階段を上がっていく。
「いや、お前別のクラスだろ。出席の返事どうするんだよ。って、早っ! 待てってイツキ」
荷物を反射的に受け取って、イツキを慌てて追いかけたカナタが、階段の真ん中辺りに辿り着く。2人の獣人が道向こうの少年に声を掛けるのが見えた。
「ほらな? オレ等が動かなくても大丈夫そ」
呟いて踵を返そうとしたカナタだったが、次の瞬間、獣人達ともみ合った少年が、車道の方へとバランスを崩した。
固まるカナタとは正反対に、躊躇なく歩道橋の中程から飛び降りたイツキが、少年を支えるのが見えた。一瞬黒い羽毛が空を舞う。
カナタが見上げると、艶めく濡れ羽色の向こう側に、よく知るイツキとは異なる雰囲気を纏う彼が、見えた気がした。
鳴り響く複数のクラクションに意識を強制的に引き戻されれば、信号を無視したトラックが、フラフラしながら2人の方へと向かって行く。
頭が真っ白になり、カナタが駆け出すと、風景がぐにゃりと曲がった。
――――2――――




