自分の道を
「あの人は天界じゃ3番目にお偉い方だ。冥界が無くなっちまったら、死人が皆行き場を失っちまう。誰もが避けて通れねぇ死を司る、唯一無二の重要な国だから、神々も易々と手は出せねぇし、壊せねぇのさ。そこの王様にもな」
「け、けど。そんな事出来るわけ……」
「普通は当然出来ねぇさね。けど、今おめぇさんはなんだい? 神様等が喉から手が出る程欲しがっている、強欲の林檎様。だろ?」
フィロスの提案に合点が行くと、3人は一様に頷いた。
「それに、林檎を手元に置いとくって事は、冥界に取っても悪い話じゃねぇ。いざと言う時にゃ、こんなに強力なカードもねぇしな。穏やかじゃあるが、あの人は食えないお人だぜ。絶対敵に回したくはねぇタイプだわな。そうでもなきゃ、冥界の主なんざ務まらねぇだろうけどもなあ。あー。くわばらくわばら」
「で、ですが! そんな立場のカナタは、人質同然ではないですか。そんなのは……」
食って掛かるイツキを、フィロスはジェスチャーだけで窘める。
「違ぇねぇ。でもな。あの人は、簡単に危険なカードは切らねぇのさ。だから交渉もやりにくい。最適な隠れ場所だと思うんだがな……」
そこまで話すと、一旦口を噤み、フィロスはカナタを見つめた。不思議そうに瞬きで答えるカナタ。
「カナタ。おめぇさん。とんでもなく異種が苦手だろう? 安全な場所じゃあるが、器を持たねぇ生き物を異種だと仮定するならば、あの国には異種しか居ねぇんだよなあ」
フィロスの言葉に、最近出会った、敵意に満ちた異種の瞳が否応なしに過ぎり、カナタはヒュと喉笛を鳴らした。握りしめた指先が、カタカタと震えだす。
もうカナタに逃げ場は無く、フィロスの提案する方法しか選択肢が無い事を知りながらも、身体の奥から冷たく沸き上がる異種への恐怖心に支配される。
カナタの意思とは無関係に、異種への拒絶反応が起きていた。鼓動と呼吸が速くなり、肺が酸素を受け付けなくなる。
重たい塊を飲み込んでしまったように、ハッハッと、短い呼吸を繰り返して、額から脂汗が流れ出す。
「ハ、ア。うっ……。わ、悪ぃ……ちょ、ちょっと考えさせてくれ」
胸元から込み上げる、苦い胃液の気配を感じ、何とかそれだけ伝える。ふらつく身体を引き摺りながら、カナタは祠へと向かった。
祠に背を預ければ、ズリとそのまま姿勢を崩して、全体重を祠に支えて貰う。見上げた眼前には、いつもと変わらぬ星空が広がっていた。
「は、はは……も、笑うしかねぇじゃん。どんな悪夢だよ。全部流されちまっても、夜空はなんも変わんねぇ。それなのに……なんでオレ? ほ、他の誰かでも……い、いいじゃねぇ……か……ッ!」
深呼吸をして、乾いた笑いと共に吐き出したカナタの呟きは、重く空しく響く。今にもはち切れそうな心の拠り所を探して、カナタは母親の形見を取り出した。
金色のスノードロップと、黒い林檎の実。その林檎の葉を絡めた、繊細な細工を施してある指輪を左目で覗き込んだ。
(ん? 今のなんだ?)
カナタは身を起こす。指輪の向こう側に、立派な2棟の娼館がそびえ立つ。夜の港町が、見えた気がしたからだ。
今度は反対の目で覗き込む。右目は、カナタが見ているものと同じ夜空を映し出すのみだった。再度左目に変えてみる。
(やっぱり見える。右は……)
見える見えないを数度繰り返している内に、カナタの発作は治まった。砂を踏みしめる音がして、警戒したようにそちらを見遣る。そこに立っているのはフィロスだった。
「カナタ。少しは落ち着いたかい?」
「……左目で娼館が見える。母ちゃんの指輪の中に」
「んっ? 娼館?」
差し出された指輪を受け取り、覗き込むフィロス。左目、右目と交互に見てみるが、フィロスには見えないようだった。
「いんや。俺には見えねぇな。おめぇさんの親父の、トモザネの軌跡に繋がるんだったか? んなら、きっと。林檎の力を持つおめぇさんにしか見えねぇんだろうよ。カナタ。小難しい事や、その他大勢の事なんざ考えなくていいんだよ。今。おめぇが手に入れたいものはなんだ?」
「イツキや。友達と一緒に馬鹿出来る、オレにとって普通の日常?」
カナタが答えると。フィロスは大きく頷いた。
「ならば大それた事は置いといて。日常と、おめぇさんの大事なヤツを守る為だけに、取り合えず進んでみようぜ? 林檎の力の先にな」
「ふはっ。オレめちゃくちゃ自己中じゃねぇか」
「そうかい? 俺も、おめぇさんも。ヒーローなんて柄じゃねぇだろ。欲張らず、大事なモン守れりゃそれでいい。いっそ、そん位に割り切っちまった方が、気が楽じゃねぇかい?」
フィロスの率直な言葉に、肩の荷が下りたように感じて、カナタは大きく息を吐き出した。
「そうかもしれねぇな。本当に」
「そうだろ? 本当の意味で。年端のいかねぇおめぇさんには、重荷が過ぎるわな。何をしても、しなくても。おめぇさんはおめぇさんでしかねぇし。他にはなれねぇ。生きるってのはそういうモンだ。だったら、自分が信じる道だけを進めばいいって事さ」
「あー。それ。イツキにも同じ事言われたな」
「だろうなあ。おめぇさんは、らしいを貫きゃそれで構わねぇんだよ。付いて来るも、来ないも。選ぶのは所詮自分の意思でしかない。おめぇさんの大事なヤツもな」
フィロスが豪快に笑いながら呟くと、砂を踏みしめる音がもう1つ近付いて来る。カナタが振り向くと、イツキと目が合った。
「守る必要無さそうだけどな」
心に浮かんだ、ただ1人。それには気付かないまま、カナタは呟いた。
「気分じゃ無いかもしれないが。ハッピーバースデー。カナタ」
イツキの手には、小さなケーキが載せられた皿。差し出されたケーキに口を近付けて、カナタはロウソクを吹き消した。
「誕生日に何もないのは寂しいだろうから、細やかなパーティーをしようかね。だそうだが。カナタ。大丈夫か?」
心配そうなイツキの言葉に頷いて、カナタは神社に戻った。
「うっわ。美味そう! この短時間で作るとか、ばーちゃんすげぇ」
「無事だった食材と、家の余り物で急ごしらえしたものばかりだけどね。育ち盛りなんだ。今は腹一杯食べな」
「いっただきまーす!」
甘酒や煮物、オムレツや唐揚げ。ポテトサラダにフライドポテト。余り物で作ったとは思えない量の料理が、1枚板の和机には並んでいた。
カナタが唐揚げに箸を伸ばすと、フィロスも同時に箸を伸ばす。ガチンっと視線がかち合って、どちらからともなく箸同士の唐揚げ攻防戦が始まった。
「カナタ。久し振りに愛妻料理が食えるんだぜ。ここはじーちゃんに譲ってくれてもいいじゃねぇか。あぁんっ?」
「オレだって腹減ってるっつーの! 旅立ち前に英気を養わねぇとだろ? それにこれは、オレの誕生日の料理のはずだろ」
「なっ! おめぇ。一番でっかいの取りやがったな!? 俺のマトリんの手料理がっ」
カナタがパクんっと、唐揚げを頬張ると、フィロスから悲壮な声が上がる。2人の大人げないやり取りに、イツキが肩を揺らしている。
スパパコ――ンッ! マトリの強烈なはたきが炸裂して、2人同時に後頭部を押さえながら、苦悶の表情を浮かべる。
「なにやってんだい2人ともっ! 行儀が悪いねっ! 沢山あるんだ。仲良く食べないか! 全く。ほら。フィー。アンタはこっち。酒癖が悪いんだから、飲み過ぎるんじゃないよ」
「やっぱ俺の嫁は最高だなあ。おい。カナタもこんな可愛らしい。出来た嫁さんを見つけんだぜ?」
マトリに差し出された酒瓶を受け取れば、フィロスはあっという間に機嫌が直り、鼻歌まで歌い出す始末だった。
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