080 最終局面
「兄貴っ!」
ケルは目を覚ますや否や、兄の姿を探す。普段は何かと邪険にしている兄が、自分を庇うように飛び出した光景が脳裏に焼き付いている。
「ケル! ああ……目が覚めて良かったわ。落ち着いて、メットなら……ほら、貴女の横で眠っているわよ」
「ママ……そっか。良かったぁ〜」
母であるマイリヒから抱き締められ、その後の顛末を伝えられる。
「こんなルーキーがそんな大立ち回りをしたんだ」
デズニーによる回復魔法と大量の体力回復ポーションを浴びせられ続けるアストの活躍に感心と感謝を抱く。
「……ぅ」
「──っ!? お、起きたよっ」
僅かにアストが呻き声を出し、その瞳が瞼から少しだけ覗かせる。恐らく、まだ覚醒はしていないだろう。
「坊や! 動くのはおよしっ!」
僅かに動かせる左手を虚空に伸ばし出した事でデズニーは慌てて押さえようとするが、その前に“ソレ“が何も無い場所から現れた事で動きを止める。
「やはり持っていたのかい【アイテムボックス】」
時間経過が無い【インベントリ】の進化前のスキル【アイテムボックス】だとデズニーは勘違いする。
「コレって!?」
現れた“モノ“を見てケルは目を見開く。
「…………」
出すものを出し終えて満足したのか、アストは再び深い眠りにつく。
「まったく……大した男だよ、坊やは」
デズニーは継続して回復を掛け続けながら、心底敬意を抱く。
(自分が未だに死に際に居るというのに、最初にする事が“コレ“かい?)
「……あたし、“コレ“届けてくる」
「──っ! 無茶よ! 貴女は病み上がりなのよ!? お母さんが行くわ」
ケルはアストが取り出した“モノ“を大事そうに抱き上げながら強い意志の籠った眼を母に向ける。
「ママ。あたしの方が多分“速い“よ。今は一刻を争うんでしょ?」
「っ……そう、ね。なら、約束して。無事に帰ってくるって。無茶はしないって」
「承知しかねるかな! それじゃ、いってきまーすっ!!」
「あっ、こら!」
茶目っ気のある返しのままテントから飛び出すケルを見送ったマイリヒは、少しだけ笑みを浮かべていた。
「アイツに似て頑固さね」
「……ええ。まったくです。似た者親子ですよ」
ケルは防衛拠点まで届くほどの戦闘の余波に向かって駆ける。
「……兄貴。ずっと、秘密にしてたけど……あたしね……多分、兄貴より強いよ」
誰にも聞かれていない囁きと共に、ケルは一つのスキルを発動させる。
全身を蒼い気で包み、角も伸びる。
二人目の“蒼鬼“であった。
父であるガゼルのような明確な鎧を身に纏ってはいないが、それは間違いなく【限定解除:鬼人】のスキルだった。
鬼の血を四分の一しか引き継いでいないケルとメットには備わっていなかったスキルであったが、ケルは密かに習得していた。
だが、父の背中を追う兄には伝えず黙っていた。自身が習得していないスキルを妹に使われたら、ショックで冒険者を辞めると言い出しかねないから。
不意にそよ風がケルの頭部を撫でる。
──バカかっ! んな事気にすんなし。
そんな空耳がケルに聞こえた。
「ふふふっ。そうだね。あのバカ兄貴に限ってそんな細かい事で凹むわけないか」
何せ、いざって時は体を張って妹を庇ってくれるようなお人好しなのだから。
ケルは身体に溜まっていた疲れが吹き飛び、更に加速する。
「パパ待ってて! ……きっと、“コレ“は役に立つから!」
「はぁぁっ!」
スーゼンは【亜音速】と【超加速】を巧みに使いこなし、邪悪魔に浅い傷を付けていく。
「そらよっ!」
ソラーゲンは緩急のついた動きから接敵し、スーゼンが刺した針を砕くべく連撃を繰り出すが、邪悪魔も針の危険性を察してか寸前で回避し続ける。
「うぉぉおおおっ!」
素手では本来の実力を発揮出来ないガゼルは主に敵の動きを止めたり制限する為の妨害役を果たす。
「□□□!」
「むぅっ!」
鬱陶しそうに尻尾で薙ぎ払いをし、ガゼルを吹き飛ばすが蒼い気の鎧は堅牢であり実質タンクのような硬さで致命傷からは程遠い。
「いきますっ!」
まずはお前からだ! と言わんばかりに、吹き飛んだガゼルに追撃をかまそうとする邪悪魔にスーゼンは毒粉の小袋を投げ付け、地を這うような前傾姿勢で肉薄する。
「ギシャー!」
邪悪魔は口から邪気の煙を吐き出し、毒煙を吹き飛ばすとスーゼンを迎撃するべく拳を地面に叩き付ける。
宙に浮いた細かい土塊がスーゼンの加速系のスキルを妨害する罠として活用する為だ。
「何度も通用するものかっ!」
その声は邪悪魔の頭上から聞こえてきた。
毒煙に紛れてスーゼンは密かに飛び上がっていたのだ。
目が再生されつつある邪悪魔は、咄嗟に目に頼った動きをしていると看破し、賭けに出た攻勢である。
「俺達も忘れるなよっ!」
頭上のスーゼンに視線が向かった邪悪魔は、その隙に接近してきたソラーゲンとガゼルに気付くのが遅れた。
「自分ごとやれぇーっ!!」
ガゼルは邪悪魔の足に抱き着き、回避される可能性を無くすべく力を込め身体を固定する。
「あとは任せろっ!!」
既に限界の限界を超えたガゼルは最後の力を絞り、邪悪魔の身動きを封じる。
ソラーゲンもそれに応えるべく、気を拳に一点集中し針の刺さった腹部に狙いを付ける。
「□□「させないっ!」」
もちろん迎え撃つべく邪気の纏った拳を構える邪悪魔にスーゼンが待ったをかけた。
短剣にありったけの気を込めて投擲。
振りかぶろうとする腕に短剣が少しだけ突き刺さる。
「ギッ」
麻痺毒による痺れは邪悪魔にとっては僅かコンマ数秒程度の時間だが、それだけあれば十分であった。
(あばよ……相棒)
ソラーゲンはヒビだらけのガントレットに別れを告げ、最後の必殺技を放つ。
「『五重咆』……『二重双』っ!!」
右の拳を打ち込んで直ぐに同じ場所にも左の拳を叩き込む。
一点集中の破壊力は、頑丈な邪悪魔の腹部を大きく凹ませるほどの威力であり、爆心地とも呼べる衝撃がその場に居た全員を四方に吹き飛ばす。
その場には隕石が落下したような陥没した地面だけが残されていた。
「はっ……はっ……はっ」
精も根も尽き果てた様子のソラーゲンは何とか立ち上がれたものの、ガントレットは原型を留めてはいるが既に機能を失ったようにすっぽりとその両腕から抜け落ちてしまう。
相棒の最期を惜しみつつも、他の二人の様子を確かめるべくゆっくりと歩き出す。
(ガゼルは大丈夫だろうが、スーゼンが心配だ。上空に居た分、遠くに飛ばされちまっただろうからな)
アストよりも紙装甲である以上、致命傷を負っていても可笑しくは無い。
「……□」
「──っ!? た、耐えたってのかよ……このッ……バケモノがッ!!」
羽をもがれ、全身ズダボロになりながらも邪悪魔は憎悪の籠った眼をソラーゲンに向ける。
その身体は徐々に再生されているようで、もう数分あればソラーゲンを嬲り殺せるほど回復出来るだろう。
「ここまでか……すまねぇ、みんな」
(だが……マルクが勝ってくれれば、満身創痍のコイツも倒してくれるかもしれねぇ。それに賭けるしかねぇのは情けない話だがよ)
元冒険者の矜恃か、ギルドマスターの責任か、ソラーゲンは構えをとる。
足を引きづるように近付いてくる邪悪魔を強い意志の籠った眼で睨み返す。
「だからアンタはカッケェんだ! ギルマスゥー!!」
そんな大声を上げながら一人の女性が邪悪魔に襲いかかる。
「吹っ飛べぇーーッ!」
「ギィ!?」
ダメージよりも距離を稼ぐべく、遠心力の籠った大剣の一撃により邪悪魔は遠くまで吹き飛ばされた。
「ジュラ……おめぇ。何しに来た! おめぇじゃ、アイツは倒せねぇ!! 直ぐに逃げろっ!!」
例え満身創痍であっても、相手はAランク最上位の怪物。Bランクに昇級したばかりのジュラでは実力が不足し過ぎてる。
「……分かってるよ。でもさ、アタイのダチが体張ったんだ。Cランクにすらなってねぇー奴がだ。それ見て尻込みするようなヤツは……ギルマス。アンタのギルドには居ねぇーのさ!」
大剣を担ぐジュラの眩しい笑顔の直後、複数の足音がソラーゲンの耳に響く。
ハッと振り返ればそこには、彼のギルドで活躍するBランク冒険者達が集まっていた。
「おめぇら……そんなナリで……無茶しやがって」
皆、戦ってきた。無傷の人間など居ない。
だが、それでも武器を構える。
「水臭いぞギルドマスター。あんたには世話になってんだ。……体のひとつぐらい張らせてくれや」「かっかっか! 強いやつに挑んでなんぼの冒険者だろうがい! 気にすんなや」「俺は嫌だったんだけどさ、ギルマスを見捨てて風呂屋に行っても気持ちよくなれそうにないんでな」「伊達にBランクになってないよ! こういう時の為に、命をかけるのが冒険者ってやつなのさ」
「あっはっは! 流石はアタイの先輩達だ! 最高だぜっ! それに、なんかアタイの親友が近付いてきてるみたいだしな。アイツが考え無しに来るわけないし、いっちょ時間稼ぎと行きますか」
野生並の嗅覚を持つジュラは猛スピードで近づいてくるケルに気付いていた。そして、自分のすべき事も。
「先輩達も付き合ってくれや!」
「おいおい。こんな場で告んなよ……照れるじゃねぇーか」
「元々そのつもりで来たんだ。任せな」
「盾は任せろ。頑丈値800の硬さを見せてやる」
「可愛い後輩ちゃんに良いとこ見せないとお姉さんの立場が無いわぁ」
全員勝てるとは思っていない。だが、負けるとも思ってはいない。
果たすべき実力があると認められたからこそ、彼らは“Bランク冒険者“なのだ。




