077 極限の逃走
「またか! またなのか! またお前はあたしゃから家族を奪うつもりかっ!!?」
「っ! お母様っ! 落ち着いてくださいっ!!」
デズニーは憤怒の形相で邪悪魔に詰め寄ろうとし、マイリヒは唇を噛みちぎるほどの荒ぶる感情を飲み込み、デズニーを押し止める。
デズニーはAランク冒険者ではあるものの、その能力の大半が回復魔法などの支援に特化しており、戦闘能力は決して高くは無い。
ここでデズニーが感情に任せて、戦いを挑めば確実な全滅が待っている。故に、泣き叫びたいマイリヒは僅かに残っている助けられる可能性を得る為に最善を尽くす。
「ケル……メット……ガゼル様っ!」
ジュラも同じように飛び出したい気持ちを堪えて大剣を構える。親友と憧れの人をいっぺんに失った悲しみも怒りも力に変えるべく、血が滲むほど大剣を握り締める。
「メット達を助けられるのはお母様だけです! ここは抑えてくださいっ! お願いっ!」
「! ……そう、だな。あたしゃはもう二度と失わないように回復魔法を学んだんだ」
理性を取り戻したデズニーは最も死に近いであろうメットの元に駆け寄るべく走り出そうとするがそれを許さない存在が居た。
「そこを退けっ! お前に構ってる暇は無い!!」
邪悪魔はデズニーの正面にまるで壁になるように陣取る。そして一歩づつ歩み寄り、緩慢にも思えるほどゆっくりと手を振り上げる。
(ここまでなのか! あたしゃは結局、なにも……っ!)
マイリヒも、ジュラも、デズニーの壁になるべく間に割って入ろうとするが、デズニーにはそれが何の意味も無いことを悟る。
まとめて殺られるだけだ、と。
全てに絶望したようなデズニーの表情に、邪悪魔は愉快そうに顔を歪める。
──だからこそ、その一撃はかの絶対強者には不意打ちとなった。
「くたばれぇ!!」
気が付けばアストは【加速】と【縮地】を併用した最速の突きを邪悪魔に食らわせていた。
普通に考えれば逃げるべきだ。勝てる要素などひとつも無い。だが、アストには出来なかった。
(“家族“の為に頑張ろうとしている人を見捨てられるわけないよっ!!)
アストにとって家族とは何よりも大切な存在だ。故に、彼は自分の生存を半ば諦めるような特攻を仕掛けた。
「ここで見捨てたらさあ! 僕は何の為にこの世界に来たか分からないよっ!!」
楽しいレア掘り生活を送りたい。
だが、楽しむ為には悲しむような出来事を見て見ぬふりなど出来ない。
だから、出来る範囲で助けたい。
「かかってこぉーい! 僕が格の違いってやつを教えてやるよっ!!」
渾身の一撃ですら、僅かに皮膚の表面を傷付ける事しか出来なかったが、それでもアストの表情には微塵も後悔などなかった。
(来てくれ! 僕が時間を稼いでいる間にデズニーさんがみんなを治してくれるはずだ!)
邪悪魔は傷付けられた部分を何度も撫でそして、絶叫した。
「□□□□ーー!!」
濃厚な殺気が周囲に撒き散らされる。近場で動向を伺っていた他のBランク冒険者達ですら、あまりもの恐怖に腰を抜かす。
そしてクリルと首を曲げアストを一点に見詰めるそのどす黒い瞳には、深淵が宿っていた。
「……っ!」
(食いついた!)
アストはこの間に装備を更新し、32まで上がったレベル分のSPを全て敏捷値に振る。
【R】迅風の短剣
[攻撃力270 耐久値150]
[【軽量化】【反応強化】]
[敏捷+225]
【R】熟練の匠のガントレット
[攻撃力320 耐久値265]
[体力+1200 気力+700 腕力+20 敏捷+75]
【R】軽快な踊り子リング
[防御力160 耐久値140]
[【軽業】]
[気力+350 魔力+200 精神+60 敏捷+80 器用+40]
武器を二つとも変え、『癒しのバングル』を『軽快な踊り子リング』にチェンジ。
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レベル 32
体力 1500 (3750) +1200 (4950)
魔力 500 (1150) +200 (1350)
気力 700 (1610) +1050 (2660)
腕力 240 (360) +60 (420)
頑丈 200 (300)
知力 50 (75)
精神 50 (75) +60(110)
器用 150 (225) +40 (265)
敏捷 360 (540) +430 (970)
幸運 200 (4200)
SP 0
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敏捷特化。
変更前は370であった敏捷値は970まで上昇。そこに【加速】が乗れば2000近い敏捷値になる。
「これ使って!」
アストは『癒しのバングル』と【インベントリ】からありったけの最下級体力回復ポーションを地面にぶちまけるや否や、踵を返して駆け出す。
(一瞬でも【加速】を切ったらダメだ!)
【加速】を連続使用し、脱兎の如く素早さで木々の間をすり抜ける。
【軽業】によりどうすれば無駄なく動けるか何となく分かるようになり、【反応強化】で少しだけ動体視力と反射神経が向上。
引き続き【疾風】により風の抵抗が減り、今のアストに追いつける人間など存在しないとさえ思えるほどの速さである。
(くぅっ……ついてくるよねっ!!)
吐き出しそうな恐怖を高まった精神値により押し殺し、背後より迫ってくるプレッシャーから逃げる。
(ごめんね、ユメミ! 隙を見て逃がすから!)
こんな最悪な状況にまで付き合わせてしまった相棒に心の中で詫びながら、全神経を逃げる事に費やす。
ゴリゴリ削れていく気力に伴い、アストは弱気になりつつある。
(もういいんじゃない? 結構離したよね? なんか、もう……死んでもいいか……良いわけあるか!!)
危うい精神を【我慢】のスキルで叱咤し、駆ける。
もしオマケのように上がっている精神値が無ければ、今ので心が折れていたのかもしれない。
体力も気力も振り絞り駆け続けるが、実際に経過した時間は数分程度だろう。
僅かでも足を緩めれば、死が待っているストレスのせいでアストからしたら数日にも及ぶ鬼ごっこのようであった。
(負けるか! 負けるか! 負けてたまるか! 負けてたまるもんですかぁぁああ!!)
半ば発狂しつつも、目的の為に走り続けるアストに幸運が舞い込む。
『【超敏】取得』
【超敏】
[敏捷+100%]
敏捷値が1330までに上昇。【加速】を合わせれば2660。
もはや音速にも匹敵しそうな速さである。
(いける! 勝てる! 逃げ──くっ!)
弱った精神を高ぶらせるような幸運にアストが喜ぶのもつかの間、そのタイミングを待っていたかのように邪悪魔は一瞬でアストを抜き去り、正面に回り込む。
邪悪魔は僅かな時間でアストの変化を察知し、ここで止めなければ逃げられる可能性が出てきた事を嫌い勝負を仕掛けた。
そして突っ込むアストは何とか躱そうと全神経を邪悪魔の動きに注視する。
(ここで躱せば大きなアドバンテージだ!)
迫り来る全てがスローモーション。器用値差があり過ぎるからか、頼りになっていた【先読み】は使い物にならない。
その為、アストは自身の経験と直感のみで躱さなければならない。極限のストレスがのしかかってくる。
(ミスれば死! ミスれば死!)
眼球が沸騰するような感覚を感じながら注視を続ける。
この期に及んで邪悪魔は緩慢とも言える腕によるなぎ払いを選択。
(違う! これは罠!)
アストの直感がフェイントだと見破る。
身体で隠しているが恐らく邪悪魔は自身の尻尾を使った最速の突きをアストに食らわすつもりだろう。
アストが僅かに付けた傷に死ぬほど激怒したのだ。同じ目に合わせるつもりでいるはずだと考える。
故にアストは少しだけ足を緩め、斜め前に飛び出す。
緩慢ななぎ払いの横をくぐるように抜け、即座に真横にサイドステップ。
シャッ!
半テンポ遅れて、尻尾がアストの頬を掠める。
(──勝った!)
ここからは無心で走り付ければいい。僅かに緩めた意識の隙を邪悪魔は見逃さなかった。
邪悪魔はなぎ払いの遠心力を利用しくるりとバレリーナのように回り、その勢いのままに回し蹴りを繰り出す。
(そんなっ、聞いてないっ! だ、大丈夫だ! 【障壁・風 (中)】がある! あれは風の障壁で相手の攻撃を防いだり弱める効──)
「ふごっ!?」
パァァァァァーーーン!!!
まるでそんな障壁など無かったようにアストの腹部を直撃した蹴りにより、ピンポン玉のように数百メートルも大量の木に衝突しながら吹き飛ばされる。
「…………ごふっ…………」
全身の骨が砕け散り、四肢があらぬ方向に曲がり、内臓は全てぐちゃぐちゃに潰される。
視界もほぼ効かないのか白い点滅と黒い点滅が交互に映るだけであり、骨が刺さり血が流れ込む肺が空気を供給しないものだから酸素は得られず、アストの口からはとめどない血が流れ続ける。
今の衝撃で髪を結んでいたリボンは近くの地面に転がり、ユメミの姿が見えない。
そんな瀕死のアストの元に足音が迫る。
「□□♪」
愉しそうに嗤う悪魔が。




