063 穏やかな日常の終わり?
空が晴れ渡る良い天気の日に、アストは妹であるハフを膝に乗せて、孤児院の子供らと共にロザリーの授業を受けていた。
ロザリーの授業は読み書きだ。
【共通言語】というスキルで会話に何不自由しないアストだが、実は読み書きが全く出来ないのだ。
故に、ハフを孤児院に預けて以来、ロザリーやグラムは昔のように手伝いに来るようになり、その延長で読み書きや算数の授業を執り行う為、便乗して勉強しているのだ。
グラムは見習い鍛治師としての勉強で、細かい鉄の配合や店の会計での経験から算数を。
ロザリーは薬草を採集する為には専門的な知識が沢山要るからと、師匠から沢山の本を読まされ書き写した経験から読み書きの授業を。
そしてたまに二人の共通の友人であり同じ孤児院出身のレベッカが、パン屋の彼氏を同伴して授業を行いに来る事もある。
世渡りする為の知恵を、である。
その時だけは、女の人って怖いと、男性陣は揃って震えたりする。
そうして読み書きが少しづつ出来るようになってきたアストだが、少し悩んでいる事があった。
(次は何処のダンジョンに行こうかな)
それは次に挑むEランクダンジョンは何処が良いかという悩みであった。
ウルフダンジョンに通って早くも二ヶ月近く経っている。
流石にしゃぶり尽くした感がある。
レベルも非常に高くなっているし、そろそろ別のダンジョンで掘りまくったレア武器で遊びたいお年頃。
そしてそのダンジョンで新たなレア装備を手に入れる。
そこでもしゃぶり尽くして次のダンジョンへ。
無限ループって楽しいよね。
そうやってレア掘りの沼にハマっていくのだと、アストは熱弁する。
因みに手に入れた【R】武器は何一つ売っていない。
これは慎重に事を運ぶべきだと冒険者ギルドのギルドマスターから言われたからだ。
アストが厳選して溢れた【R】武器を纏めて売ろうかと相談した時のことである。
「農具は売れなかったけど、武器なら需要がありますよ?」
オークダンジョンでドロップした【R】ランクの農具は何故か微塵も売れなかった。
理由はシンプル。
農家に高価な農具を買う余裕など無い。あっても他に買いたい物はいくらでもあるからだ。
そんな事もあり、売ったのは真珠が何粒だけ。
それだけでもかなりの商人が取り合いになり、苦労したと商人ギルドのギルドマスターが愚痴りに来たほどだ。
その甲斐あって、既に目標の金貨千枚は達成したが、思いのほかハフが孤児院を気に入っておりせっかく出来た友達と別れさせるのは忍びないと、家の購入は保留にしてある。
話は戻るが、真珠以上に取り合いが懸念される【R】武器は時期を見計らってオークションに出す方向で決まったのだ。
ギルドマスターからは豪邸でも買うつもりかと聞かれたが、アストからした在庫処分感覚で売りたいだけなので笑って誤魔化した。
因みに性能的にやはり微妙だった見習いの鉄剣はアストの初めてのレア武器だということもあり、現在のメイン武器だ。
耐久値がピンチになったら大切に保管しようと思っている思い出の品である。
おおよその現状はそのようになっている。
話は読み書きの授業が進行している途中に戻り、孤児院に似つかない厳つい冒険者の男性が姿を現した事でアストの休日は終わりを迎える事になる。
「アスト君にお客さんだよ」
傍らには温厚な神父が立っており、ここに案内して来た様子。
以前より少しふくよかになった神父。アストが多額のお布施をしてくれる為、孤児院経営が安泰になったお陰だ。
最近では密かにワインを貯蔵して、毎夜うっとり眺めている姿が見受けられる。
今度、良いワインをこっそり買ってあげようかなと、孫感覚で考えているアストはすっかり孤児院の子だ。
「タフタ先輩じゃんか。おすおーす! 何用?」
「先輩はよしてくだせぇ。アストのあんさんの方が遥かに強ぇじゃねぇですか」
「強さが偉さに繋がるなら、敬意は生まれないよ〜」
「……お言葉に甘えさせてもらいやす」
アストのいい加減な物言いにも、低い物腰で対応するタフタという男は、以前オークダンジョンの前で出会ったブルタの知り合いのDランク冒険者である。
オークダンジョンに通っていた頃は、宿場町だった事もありよく顔を合わせていたので、アストもフランクな態度である。
タフタは相変わらず畏まった態度を崩さない。
(あんさん、見ないうちに半端なく強くなってやがる)
長く冒険者をやっているタフタは、一目でアストがオークダンジョンに挑んでいた頃より遥かに強くなっているのを肌で感じていた。
(僅か数ヶ月でどんだけ強くなってるんだ)
異常な速度で成長しているアストは間違いなく遠くない未来、英雄たちと肩を並べる存在になるのだろう。
そんな予感があるからこそ、畏まってしまう。
自分の小心ぶりに内心、苦い顔を浮かべつつ本題を切り出すタフタ。
「実は俺たち、Dランク以上の冒険者に招集が掛かってるんでさ。どうやら緊急依頼が発令されたようですぜ」
「えーっと……ああ、強制参加の」
受付嬢のフェイルからそんな話も聞いたなと、思い出すアスト。そんな彼に同意するように頷くタフタはこう付け加える。
「実際は、参加しなくてもいいんでさ。その場合は、ランクの降格か」
「資格剥奪処分?」
「ことによってはそうなりまさ」
「……あいわかった。外で待ってて」
「了解」
本物の冒険者であるタフタが立ち去って行って、場の空気が弛緩する。
アストの倍近い年齢の厳つい冒険者相手がヘコヘコしている姿を見て、孤児院の子供たちはアストをキラキラした目で見詰めていた。
子供らにとって、アストは気前のいいハフのお兄ちゃんであり、それ以上でも以下でも無かっただけに、そのギャップに驚いているのだ。
例えるなら、近所の気のいいお兄さんが何かしらのスポーツ日本代表だと発覚した時の衝撃だろうか。
好奇の目に晒され、アストは少し居心地悪そうであった。
「やっぱりアストのあんちゃんはヤバイ奴だったんだな」
「普段はのほほんとしているから忘れガチだが、あれでもこの街での最年少Dランク冒険者だからな」
授業を中断されたロザリーと、他の手伝いをしていたグラムは部屋の端っこでそんな風なやり取りをしていた。
「おにいちゃん、おしごと?」
アストの裾をギュッと握り、不安そうにするハフ。
母がおかしくなり、寄るべがアストだけの彼女からしたら、兄が危険な目に合うのは喜ばしい事では無い。
そんなハフの心情を察して、アストは腰を下ろし頭を優しく撫でる。
「心配ないよ。……お兄ちゃんは強いから」
普段は見せない不敵な笑みを浮かべそう語るアストは、誰から見ても歴戦の強者の気配を纏わせていた。
「……うん。なら、ハフまってるね! ここでまってるから、はやくかえってきてね!」
聡いハフは直ぐに愛嬌のある笑顔を浮かべる。
「よしっ! それじゃ、神父様。行ってきますね」
「君なら心配ないだろうね。……お土産を期待してもいいかね?」
年の功なのか、そんな茶目っ気のあるお強請りをして来たので、アストは笑い飛ばしながら言葉を返す。
「あははっ! もちろん! ……帰って来たら、孤児院のみんなに希少な豚肉をたらふく食わせてやりますよ!」
「ほほほっそれは楽しみだねぇ」
また奢ってもらえる事だけ理解した子供たちが大はしゃぎし出す。
希少な豚肉の価値を知っているグラムやロザリーは口元を引き攣らせながらも、絶対にご相伴にあずかりに来ようと決意する。
もう、この場でアストがどうこうなるなど考える人物は一人も居なかった。
「じゃ、チャチャッと行ってきまーす!」
孤児院のみんなに見送られながらアストは救急依頼の為に冒険者ギルドに急いだ。




