053 真珠の価値
翌日の朝。
アストは装備を整え、冒険者ギルドのスイング扉を開いた。
そして目を受付カウンターに向け、意中の相手を見つけ口元を綻ばせる。
受付カウンターに向かう足取りは軽やかだが、アストの内心はかなりの緊張でカチコチであった。
朝ということもあり、かなりの冒険者が列を成しており、その最後尾にひっそりと並び、そつなく仕事をこなすフェイルを盗み見る。
(やっぱり人気者だよね……もはや、アイドルの握手会だよ)
彼女を前にすれば歴戦の冒険者も、童心に返った童のよう。
誰もが顔を赤らめ、彼女の気を引くために自身の武勇伝を誇張気味に伝え語る。
それらを営業スマイルで対応し、列を捌く。
(い、いよいよか)
アストの番になり、心臓がどうにかなりそうなぐらい高鳴る。
その時、フェイルがアストを視界に入れる。
もしフェイルのことをよく知る人が居れば、こう言うだろう。
花が咲いたような笑顔だと。
「おはようございます。アスト君」
「おっす。フェイルさん」
アストは自分の対応がぎこちなかったか、不安になった。
だがそれは杞憂のようで、フェイルは少しだけ首を傾げアストの目を真っ直ぐに見つめ、疑問をぶつけた。
「納品依頼ではないのですね? では、依頼でしょうか。アスト君が受けられる依頼はDランクまでですので……」
その優秀な頭脳から、アストの目的を推察し手元の依頼表をペラペラ捲り、良さそうな依頼を探し始めるフェイル。
アストは一瞬、フェイルの行動を理解出来ずにフリーズしたが、すぐに理解し慌てて止めに入る。
「ち、違うんです。依頼じゃないんです」
「そ、そうなんですか……少し、早とちりしてしまいました」
アストの事は誰よりも知っていると自負しているフェイルは、自分の勘違いに少し顔を赤らめる。
年齢以上に幼く見える仕草であり、アストの背後に並んでいた冒険者たちはそんなフェイルに見蕩れてしまう。
そんな中、アストだけは温和な笑みを浮かべる。
(フェイルさんは相変わらず可愛いなぁ。でも、お陰で緊張がほぐれたよ)
周りからしたら見蕩れてしまう姿でも、アストの前では割と見かける姿だ。
その為、アストは逆に落ち着いてしまう。
それがどれほど幸福なことなのか知る由もない。
「実は渡したい物があるんです。お手を」
「渡したいものですか? ……はい」
アストが懐を探り出したことで、フェイルも言われた通りに両手を受け皿みたいに差し出す。
躊躇も無く抵抗すらしない。そこにはアストに対する信頼しかなかった。
なんだかんだ言っても半年近い付き合いなのだ。
「ああ、あった。ほい」
アストはまるでなんでもない物だと言わんばかりに、フェイルの手のひらに真珠を乗せた。
「…………」
「約束しましたよね? レアな物が手に入ったら一番に見せに行くって。いつもお世話になってるわけですし、良かったら貰ってくれると嬉しいです」
フェイルは自分の手のひらに乗せられた物を見てずっとフリーズしている。
それだけではない。
アストとフェイルのやり取りを覗き見していた冒険者とギルド職員一同ももれなく固まっていた。
だが、当事者であるフェイルはいち早く復活した。
「ア、アスト君……?」
「はい?」
「コレの価値をお分かりですか?」
喜んでくれたら良いな〜ぐらいの気持ちで手渡した真珠を、ハンカチで優しく包んでフェイルは硬い笑顔でアストに質問をする。
「一応。オークダンジョンのボスドロップで【R】ランクのアイテムだから……それなり?」
これでもこの世界の常識は徐々に手に入れているアストだから、真珠がホイホイ買える程度の価値ではないぐらいは把握している。
アストは自信なさげに言ったが、割と的を得ていると確信していた。
「それなりではなく、非常に価値のある物なんです」
フェイルはかなり深刻な表情で言うもんだからアストも不安げに尋ねる。
「い、幾らぐらいになるの?」
「過去の取引例を参照しますと……最低でも金貨三十枚からですね」
「あ、なんだ。大したことないじゃん。フェイルさんは大袈裟だなぁ〜あははっ」
どんなぶっ飛んだ額だと思ったら、僕ならオークダンジョン一週間分程度の稼ぎで余裕で買えるじゃないか、とアストは笑った。
(あれ? それって意外と……高額では!?)
「最低でもです。しかも既にご存知かと思いますが、冒険者ギルドでの納品依頼での支払い金額はかなり控えめであり、此方の品を商人ギルドやお求めになる貴族様にお売り渡しすれば先程告げた額の数倍になります」
「そ、そうなんだ……」
懇切丁寧に教えてくれたフェイルの説明を受けてアストも流石に少し冷や汗をかく。
「……ですので、お受け取りする訳には参りません」
ハンカチに包まれた真珠はアストに突き返された。
「……ぇ?」
だが、それはアストの手によって優しく押し返されてしまう。
「関係ない、かな。ソレがどれほど価値があろうと」
フェイルは贈ってもらった品を返さないといけない罪悪感に顔を伏せていたが、アストの一言により顔を上げる。
その瞳に写ったのは温和で優しげな微笑み。
フェイルは好奇心溢れる少年らしい顔のアストしか見たことがない。
その為、不意にドキッとしてしまう。
「ど、どうして、ですか?」
「だって、貴女に贈りたくて持ってきたのに、予想以上に価値が高いです。だから、引き取りますってのは、あまりにも僕が誠実じゃないです。それに……」
アストはそこで言葉を区切ると、照れくさくなったのかフェイルに背を向けてしまう。
「もしその真珠の価値が何倍になろうが、貴女になら贈っても後悔は全くしない自信が僕にはあります。……なので、もう一度言いますけど、受け取ってくれると凄く嬉しいです。あっ、も、もしも邪魔なら適当に売って下さい! そ、それじゃ、また今度!」
「あっ……」
そのまま顔を見せることなくアストは冒険者ギルドを飛び出してしまう。
そして彼の冒険者スタイルからしても最短で一週間は逢えないだろう。
そんな想いが籠った声音はとても色っぽく、見ている者たちは皆、唾を飲み込んだ。
「……フェイル〜今日、まだ働けそう?」
フェイルの気持ちなどお見通しと言わんばかりに、先輩受付嬢のラズリーはそう尋ねる。
「…………」
力なく椅子に座りこんだフェイルはハンカチに包まれた真珠を愛おしそうに見つめながら、か細い声で返答した。
「……むり、そうです……」
難攻不落の受付嬢が陥落した姿にギルドは沸く。
ラズリーは可愛い後輩を優しく見つめながら、ボツりと零した。
「そりゃあ、落ちるわね……あんな殺し文句言われたらさ」
アストの真意があらぬ誤解を受けて伝播していく。
知らぬのは当の本人のみであった。




