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あくがれゆくは蝶なれや  作者: 丹空 舞
華族、羽須賀家

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6/6

伍* 伊万里焼、賄い飯


厨房で、荒神は鼻をつまんでいた。

芙美というあの下女、全く信じられない、といわんばかりで、眉間のしわから目の前の食材への嫌悪がありありと分かる。


「くせえ! なんだそりゃ」

と荒神が叫ぶ。


芙美は淡々と皿の中の豆をかき混ぜた。


「納豆ですよ」

「頭がおかしいのか? なんだその腐った豆は」


豆腐ではなく、これは納豆だ。


「貧民どもはそんなごみを食べるのか」


「あら、失礼ですね? 和国が倭という国だった遠い遠い昔から、食べられてきた歴史ある食べ物なのですよ。お寺の納所で作られたので納豆というようになったと『本朝食鑑』に記載がございます。とても滋養があるのです」


説得を試みたものの、神様にも先入観やら偏見やらがあるらしい。荒神はぴたっと壁に背中をつけて、眉が睫毛につくくらいに顔をしかめた。


「正気なのか!? そんなものを、食べる? 凄まじいにおいが、うわ、わああああ」

「意外といけますよ」

「お前、まさかっ! これを蘭子に出したのか?」



そう、出したのだ。


白米の隣、美しい伊万里焼に乗せて。


納豆を。




「嘘だろう?」


「……」


芙美が無言を貫くと、荒神は信じられないものをみる目をした。


「お前は、馬鹿なのか?」


「……いいでしょう、私が作って私が食べる分には。お嬢様にはちゃんと伊万里焼で出しましたよ」


「かー、お前は本当にッ! 馬鹿だなッ! 器を変えたからって中身が変わるわけじゃないだろうが」


「生粋の庶民ですから。ここ近年、あの脚気という病が流行り始めても、私の村には一人も患者は出ませんでした。農民は麦を食べます。雑穀を食べます。玄米を食べます。脚気の流行るのは上等な食事の出る場所だけです。おかしいではありませんか」


芙美は自分の分の賄い飯を見た。

硬い玄米に、大豆を発酵させた藁納豆。少しばかりの漬物の切れ端。

これと蘭子たちの食事は、余りにも違う。




荒神は訝しげに芙美を見た。


「蘭子への嫌がらせじゃないのか。立てなくなった蘭子の鼻先に近づけるとか」


「そんなことしませんよ。半ば実験のようではありますが、何もしないよりは良いのではないかと。さ、神様もどうぞ一口」


「げえっ! やめろやめろやめろ! くさいッ」


「遠慮せずに」


「神棚に近付けるな! 呪うぞ!」


「仕方ないですねえ。豆を刻んで、味噌と山芋と出汁であえて……っと。ほら、これでどうです」



荒神はおずおずと近寄ってきて、小さな犬のようにふんふん匂いを嗅いだ。


「まだにおうが、山芋、と言われればまあ、うん、いけなくはないか?」


神は口を寄せると、味が分かるらしい。

しばらくもぐもぐと口を動かして、なるほど、と頷いている。

芙美は笑ってしまった。


「素直においしいと言えばいいではないですか」

「うるせえ」


 神棚に納豆を供えながら、芙美は荒神の傍で、ひとりぼっちの昼食を美味しくいただいた。


 主人たちの昼餉の刻から時間が経ち、今からは暫くの休憩時間だ。


 八つ時で使用人は皆、大部屋で茶菓子を食べているが、芙美は厨房で火の始末をする。 


 ついでにこうして、食べそびれた賄い飯を食べるのだ。


本当は漬物と玄米と汁物なのだが、イトやハルが冷めてしまうといってわざと汁物は下げてしまうので、おかずが足りない。


芙美は味噌を買う係にかこつけて、納豆を買っては、非常食として食べていた。

もちろん自分の給金から払っている。

何も問題はないはずだが、イトたちにばれるとややこしくなりそうなので念のため、厨房の小棚に隠していた。


灰の後始末をしていると、扉が開いた。





「おい、水をくれ」




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― 新着の感想 ―
蘭子様はさぞかしビックリしたんじゃないかと… 今年一年、お世話になりました。 素敵なお話をたくさん読ませていただきありがとうございます。 来年もよろしくお願いいたします。
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