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あくがれゆくは蝶なれや  作者: 丹空 舞
華族、羽須賀家

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4/11

参* 病、蘭子

由緒正しき羽須賀家には、三人の子がいる。


上の令嬢は蘭子様といい、御年、十九になる。

この下に十八の年子の長男、宗一郎がいたのだが、昨年流行り病で亡くなってしまった。


その下が次男の宗治郎だ。

十六になったばかりの若い跡継ぎは、いろいろと有名な問題児であるらしい。置屋や芸妓置場だけでなく、カフェーやダンスホールにも出没しては、派手に遊ぶらしい。


末の娘は麗子といい、まだ三つだ。

大人しいが何を考えているのか分からないような目つきをすると、女中のイトが気味悪がって陰口を言っていた。


イトやハルが女中部屋で話していた内容から推察するに、羽須賀は病弱の系譜であるようだ。


羽須賀の当主は清一郎といい、その正妻はお松という。

どちらも健在だが、子らが病弱なのだ。


身目麗しい玉のようなお子たちであるそうだが、だからなのか、流行り病にかかられてから、あまり経過がよくないらしい。


めまいがする、手足が冷える。

そのような症状から次第に衰弱していく。

脚から病の気が全身に蔓延して、末には命が薄くなる。



脚気かっけ――。



そんな病の様子から、世間はその流行り病をそう呼んだ。


脚気には、貴族だけでなく、平民でさえ罹患する。

豪族や大商人、華麗に繁栄した者たちでさえ、足を病んで次第に高熱が出て滅んでいく。


栄枯盛衰。

生とは意外にも、容易く、あっけない。




しん、とした屋敷の廊下は、生き物の気配がほとんどない。

庭さえもほとんどが石である。


芙美はその静かすぎる廊下を歩き、膳を運んでいた。

この離れには、例の脚気を患ったご令嬢が臥せっている。

昨日までは動けていたらしいが、朝にはもう立てなくなったようだ。


何しろ原因がわからないので気味が悪い。

本当はハルの当番なのだが、強引に洗濯と配膳を交代させられたのだ。


延々と続くような長い廊下の端に、羽須賀の長女の部屋はあった。

あからさまに、隔離されている。


芙美は膳を置き、膝をついて障子の前から声をかけた。



「失礼いたします。昼餉の膳をお持ちいたしました」



中からは、鈴の鳴るような声がした。



「どうぞ」



芙美は緊張しながら、冷えた指先で戸板を横に滑らせた。


室の中には豪華な調度品に囲まれながら、青白い顔をした令嬢が布団に躯を横たえていた。

痩せて影のできた横顔が、ぞっとするほど美しい。


これが羽須賀の御子――。


はっとするような美しさに吞まれそうになりながら、芙美は床についた自分の荒れた手を見た。


本来であれば、直視できるような人ではない。

華族というのは、大名の血筋のやんごとない方々なのだ。

先祖代々平民の芙美は、恐れ多くて仕方なかった。


イトやハルはよく仕事ができていたものだ。

芙美は初めて、イトやハルに尊敬の念を抱いた。

こんな方に真正面から見つめられたら、いたたまれなさで爆発してしまいそうだ。


蘭子様は病床からゆっくりと体を起こした。

やつれた頬に一筋、長い黒髪がかかる。


「……ごめんなさいね、あまり食欲がないのよ。そのまま持って下がってくれるかしら」


まるで地に落ちる直前の蝶のようだ。

芙美は正座をしたまま手をついて、下を向いていた。そして、震えそうになる自分の弱気を叱咤しながら声を出した。


「ど、どうか一口でも召し上がってください」


蘭子様が、す、と静かに息を吸った気配がした。


「なんだか、貴女……とても佳い香りがするわね」


そんなはずはない。

今日も朝から炭と格闘した汚い下女である。


しかし、蘭子様はハッキリと芙美におっしゃったのだった。


「お顔をおあげになって」


芙美は罪人のような気持ちでゆっくり顔をあげた。

何かしてしまったのだろうか。


芙美は次の瞬間、ひゅっと息を呑んだ。


健やかであったときはさぞかし華々しかっただろうという美貌が、僅かに苦し気に目を細めながら、こちらに向いていた。


「貴女、昨日までの人とちがうわね。変わってと言われたのでしょう」

「い、いえ、その」

「いいの。昨日までの女中にも悪いことをしたわ。それにあなたにも。気味が悪いでしょう」

「いえ」

「強がらなくてもいいわ。脚気だなんて、わたくしだってよく分からないもの。あまり寄らないほうがいいかもしれないわ」


芙美の目にキッと力が入った。

蘭子様の言いようが余りに哀れでさみしそうだったからかもしれない。

初めて会ったというのに、芙美はこの美しい年上のご令嬢に心からの憐憫の情が湧いていた。


使用人など将棋の歩兵の駒のように、取るに足りぬ物として使って当たり前なのに、蘭子様はそうしなかった。


本当に心の優しい貴人もいるのだ。

そういう単純な感動が、芙美に言わなくてもいいことを言わせていた。





「脚気は――うつりません」




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