3.王都×白銀(3)
「王子殿下……! も、申し訳ございません、いらっしゃるとは思わずなんの準備も……」
王太后のベッドは、いままでに見たどのベッドよりも大きくて豪華だった。
わたしの家のベッドも快適に過ごせるよう魔法で質のいいものにしていたが、それ以上だ。本物を知らない、想像だけの豪華さじゃ限界があるということなのだろう。
ファルク——王子が警戒もせずに名乗った名だ——の前で、使用人と思しき老齢の女性が体を縮めている。
「いいんだ。ごめんね、こんな夜遅くに。あまり眠れなくて外を散歩してきたところで……少しだけお婆様と二人きりにしてもらってもいいかな?」
「まあ……! 王太后陛下もお喜びになります……! ああ、でもどういたしましょう。イスがわたくしが座っていたものしか……。若い者を呼んで……」
「気にしないで。これで大丈夫だよ。……本当に、急にごめん」
「いいえ、謝らないでくださいませ……! ご不安な気持ちは、わたくしもよくわかります。お医者様がおっしゃるには、いつそのときが来てもおかしくないそうですから……」
使用人の声が震え、顔を隠すようにうつむいた。
泣いているのだろうか。どうやら、王太后は慕われているらしい。
目元を拭ってから、使用人は顔をあげて微笑む。
「わたくしは隣の部屋におります。どうか王太后陛下とごゆっくりお過ごしくださいませ」
使用人が一礼して部屋を出て、扉が閉まりきるまでしっかりと見守る。
それからたっぷり十秒数えたところで、ファルクが声を発した。
「ヴィヴィ。もう大丈夫だよ」
わたしは透明化の魔法を解除する。
これで、使用人にもファルクにも見えていなかったわたしの姿が見えるはずだ。
「……本当にすごい。なんでもできるんだね」
「なんでもできるわよ。魔女だもの」
言いながらベッド横まで進んで、王太后の様子を見る。
「……ただ、やりたくないこともあるわ」
「え……?」
大きなベッドで眠る彼女は、とても小さく見える。頬がこけるほどやつれているせいだろうか。
「病気、長いみたいね」
「……うん。五年くらい前から心臓が弱くなり始めて、ここ一か月は寝たきり。二日前からはとうとう目も覚まさなくなって、食事もできていない状態みたい。医者は、もう心臓だけの問題じゃないって」
ファルクがベッドの横で膝をつき、王太后の細い手をとった。それから両手で包むように握るが、王太后はぴくりとも反応を示さない。
「お爺様も自ら懸命に看病してて——でも、お爺様まで日に日にやつれていくんだ。昨日から今日にかけては、お爺様の方がお婆様より顔色が悪いくらいだった。見ていられなくて、人の少ない夜、世界樹に祈りに行ってたんだよ。……そうしたら、きみと出会った」
「ふうん。なんだか魔法みたいなタイミングね」
世界樹に祈ったおかげなのだろうか。
世界樹は魔力もなにもないただ大きいだけの木って感じだったが、人々の信仰を集めるだけあって魔女には感知できない力でも持っているのかもしれない。
とはいえ、出会った相手がわたしだったという点を鑑みると、祈りは中途半端にしか届かなかったみたいだけど。
わたしは少し布団をめくり、王太后の胸に手をあてる。
「病気は治してあげる」
「ほんと——」
すかさず「でも」と言葉を挟む。
「寿命は伸ばさない。だから数日のうちに死ぬわ」
ファルクの口が動いた。けれど声は出てこない。
希望を打ち砕かれた顔——この人、すごく素直だな。嘘をつくのも苦手そう。心を読んでいないのに、表情だけですべてが伝わってくる。
なんだかすごく可哀そうに見えることもあって、できるだけファルクの顔を視界に入れないようにして話を続けた。
「すでに身体機能がかなり衰えてる。栄養だって足りてない。限界も限界よ。いまさら病魔を取り除いたところで、瞼を開けられるかさえ怪しわ」
ファルクはうつむく。
そのまましばらく沈黙が続いたのち、顔をあげずにファルクが呟いた。
「……どうにかできないの」
泣きそうな声だ。
……本当、素直で純粋な人間。
「どうにかできるわよ。しないけど」
「どうして……。お礼ならなんでも——」
「ふふ。魔女に『なんでも』なんて、大きく出たわね。そういえば、ちょうど宿に泊まれるようにお墨つきがほしいと思っていたところだったっけ」
ファルクが顔をあげた。
綺麗な顔が悲しそうにしているところはあんまり見たくないけど、それでも潤んだ翡翠の目をあえて見つめて「ねえ」と語りかける。
「どこまで身体機能を回復させてほしい?」
「え……」
「王太后が話せるようになるところまで? 自力で体を起こせるようになるところまで? 歩けるようになるところまで? もっと若い、十代や二十代のころまで回復させてあげることだってできるわよ。あと、その機能をいつまで継続させるかも考えなくちゃね。一日? ひと月? 一年? それとも百年後まで? あなたが決めていいわよ。いつこの人間を死なせるのか。あるいは、永遠に死なせないのか」
ファルクはわたしから王太后の方へ視線を動かした。
穴が開きそうなほどじっと王太后を見つめ——そして、力が抜けたように背中が丸まる。
「……ごめん。考えなしだった」
「……怒らないのね」
だいぶ意地悪な言い方をした自覚はある。
だから、怒るどころか謝られたのは予想外だ。
「人間はすっごく自分勝手だって聞いてたんだけど。こっちがやりたくないことを無理やりさせようとしてくるくせに、渋々やってあげたら今度はそこまで頼んでないって怒鳴ってくるって」
ファルクが苦笑する。
「僕も、魔女はすっごく自分勝手だって聞いてた。魔法を使うことで起こる不都合とか弊害とか、そういうのを隠して事を進める人たちだって。……初めて会った魔女がヴィヴィでよかった」
「……まあ、ファルクみたいに顔がよくて扱いやすい人間、ほかの魔女に会わない方がいいのはたしかね。でも一応言っておくと、ほかの魔女なら命を操る魔法を使ってくれるはずよ。また世界樹に祈れば、運よく新しい魔女に会えるかも」
「あはは……ほかの魔女には会わなくていいかな……」
泣きそうだった雰囲気はもうない。
吹っ切れたのだろうか……とも一瞬思ったが、泣きそうじゃないだけで未練がましく王太后を見つめているから、吹っ切れたわけではなさそうだ。
ということは、あれかな。お母さんが死んだときのわたしと近い心情。
泣いたら魔法に縋ってしまいそうで、自分に負けてしまいそうだから、泣いてたまるかって……そういう心情なのかも。
あのときは、心のどこかでは泣き喚いて縋ってラクになりたいって思ってたくせに、そんな無様を晒すのは絶対イヤだって思う自分もいたのよね。
「それじゃ、最初のお願い通り、病気だけ治すわね」
「あ、うん、ありがとう……! もちろん、病気だけでもちゃんとお礼はするから……!」
「いいわよ、お礼なんて。大事な人なんでしょう? 苦痛なく、穏やかに旅立てるようにしてあげるわ」
ファルクとあのときのわたしの心情が完全に一致しているわけではないだろうけど、ちょっとでも似通っている思いがあったとしたなら…………少し好感が持てるかもしれない。