2.王都×白銀(2)
「なんでその人、連れて行かれそうになってるの?」
「……なによ、あなた」
女のニヤニヤ笑いが引っ込んで、わたしを睨む。
年はわたしと同じか、少し上。よっぽどの童顔じゃなければ、二十代後半以上ということはないだろう。
周囲の衛兵や召使いと思しき男たちはそれよりもっと年上に見えるのに、だれも彼女を止めようとしない。……もしくは、止められない理由があるのかもしれないが。
「庶民が気安く話しか——」
「そんなのどうでもいいから。ねえ、なんで連れて行かれそうなの? 嘘をつかずに、いますぐ答えて」
「だって、ムカつくんだもの、この女」
女が目を見開き、自分の口を自分の手で塞ぐ。
しかし、すぐに手は口から離れていった。
「ちやほやされて、いい気になって。こんな貧乏くさい女が貧乏くさいお菓子で貴族を釣るなんてあり得ないでしょう。だから連行されるの。大聖堂の方には、魔女じゃなくても処刑してくれるよう、たくさんお金を渡してあるから。これでもうムカつく女ともお別れできて清々するわ————……なによ、これ」
「じゃあ、次。あなた」
青ざめる女は無視して、わたしは衛兵に腕を掴まれている女性を指さす。
「嘘をつかずに答えてね。あなたは魔女?」
「違います。……え? く、口が勝手に」
「ふふ。そうよね。あなたは違うわよね」
衛兵たちも困惑している。
このまま店員の女性を捕まえておくべきか、貴族の女を追及するべきか、それともわたしを捕まえるべきか。いろいろと決めかねているようだ。
いち早くわたしに問いかけてきたのは、店員の女性だった。
「あなたは……魔女?」
わたしはにっこりと微笑んでみせる。
そして言葉は返さずに、空を飛んだ。
「魔女……!」
多くの人の声が重なる。
貴族の女なんかは目に恐怖の色まで浮かべてわたしを見上げるものだから、少し溜飲が下がった。
「本物の魔女だ!」
「そっちの女はもういい! 追えー!」
バタバタと動き始めた衛兵を尻目に建物を二つほど飛び越え、適当な裏路地に着地。
うん。人影ゼロ。だれもいない。
飛んだ距離も短いから、余計な野次馬にもほとんど見られていないはずだ。
顔も髪もパパッと戻して、素知らぬ顔で歩いて表通りへ。
時間帯が時間帯だから外にいる人は多くないが、それでも通行人に溶け込むことはできたと思う。
さすがにもう追って来れないでしょ。
そう思ったところで——背後から腕を掴まれた。
「ぎゃあ!?」
「うわあ!?」
ビックリしすぎて、かわいくない声が出た。
けど、掴んできた相手もビックリしている。
「な、な、なに!?」
「ご、ごめん、驚かせるつもりはなくて……! 先に声をかければよかった……」
背が高い男だ。ただし、黒い外套のフードを目深に被っていて、口から上の顔はよくわからない。
こんな格好の人、さっきの場所にはいなかったと思うけど……追手?
判断がつかないから、逃げるべきかどうか迷う。
……ひとまず、怒ったフリでもしてみるか。
「離しなさいよ、変質者」
「え!? ち、違う!」
睨みあげれば、男は慌ててわたしから手を離す。
ということは……捕まえに来たわけじゃない?
「へ、変なことをするつもりもなくて……。いやでもここじゃ目立つから、とりあえずもう少し離れた場所……人がいないところに……」
でも言動は普通に怪しい。
わたしは体格差のある男相手にも負けない自信がある。だから余裕も持てるけど、普通の人間の女だったら怖がってもおかしくない状況だと思う。
「うわ、もう来た……!」
男が呻くように言った。
それと同時に、騒がしい足音が複数耳に届く。
「だれか金髪の少女を見てないか! もしくは怪しい女だ!」
「あ、金髪っすよ、あの人!」
「俺の目には少女じゃなく老婆に見えるが……まあいい。とりあえず連れて来い。聴取だけでもやっておこう」
あの貴族女と一緒にいた衛兵たちだ。
もしかして、勘だけで片っ端から捕まえていく気? 魔女とはいえ悪いことしてない相手に、ちょっと本気出しすぎじゃない? 衛兵って相当ヒマなんだろうか。
うるさい貴族の女をちょっと黙らせたかっただけなんだけど、面倒なことになってきたかも。
とりあえずは、下手に動かずじっとしていよう。
急に踵を返したりしたら余計に怪しまれるし……と思って大人しくしていたのに、衛兵の一人がこっちに近づいてきた。
「そこの女。お前もこっちへ来い」
……なんでよ。
服をそのままにしたのがまずかった? それとも体型? 年頃が近いとか?
いっそ男に変身しておけばよかったと後悔しても遅い。
聞き取り調査なんてされたら、身元不明で今夜泊まるところもまだ見つかっていない女だってすぐにバレてしまうだろう。
あんまり大きな騒ぎにするつもりはなかったけど、この場にいる全員の記憶を吹っ飛ばした方がラクかもしれない。
うん、ほんの少し前にも同じようなことを考えた気がする。
でもこれがわたしにとって一番手っ取り早い方法なんだから仕方ない。
——ただ、今回も記憶を消すには至らなかった。
「急に無礼じゃないかい? まずは、そちらの用件を述べるべきだと思うけど」
わたしを庇うように、衛兵とわたしの間に外套の男が立ったのだ。
わたしが変質者呼びしたときの慌てっぷりとは大違い。堂々とした出で立ちで衛兵を見据え、そして目深に被っていたフードを取り払った。
現れたのは、白銀である。
「お、王子!?」
……おうじ?
薄闇のなかでも煌めく白銀の髪を見て、わたしはそういえばと思い出す。
たしか白銀の髪とは、王族か、それに近しい血を持つ公爵家の人間にしか発現しない特徴だと本に書いてあった。
人間、年をとれば少なからず髪に白が交ざるものだが、ここまで艶やかで一筋の濁りもない色にはならないだろう。そう思わされるくらい神秘的な雰囲気がある。
「こちらにいらっしゃると思わず……失礼いたしました!」
衛兵たちが膝をついて頭を下げたのをいいことに、わたしは一歩前に出て横から王子の顔をそっと窺う。
目は翡翠のよう。これもいままで見たことがない色だ。
さすが王族とでも言うべきか、肌も髪もよく手入れされているのがわかる。
身長を含めた体格は大の大人とそう変わりないが、顔にはまだあどけなさが残っているように思える。そのおかげだろう。整った顔に威圧感はまったくなく、どちらかというと親しみやすさを感じた。
……なんというか、観賞用にピッタリな男だ。
「ごめん。お忍びで来てるから、あまり大袈裟にしないでくれるかな。民衆にするように、普通に接してほしい」
王子はすぐにフードを被り直してしまった。ちょっと残念である。
衛兵たちは戸惑いながらも立ち上がる。
わたしはしれっと一歩下がって、王子の背中を盾にさせてもらう。
「それで、どういった用件だい?」
「あ、はい。……実は魔女が現れまして」
衛兵が声をひそめて言った。
ひそめるのは、どういう意図だろう。大っぴらに魔女だと騒ぎ立てて民衆を混乱させるつもりはないとか?
「魔女? またよくある通報かな」
「いえっ、我々もこの目で見たのです! 空を飛ぶ少女を……!」
「それが本当なら、大聖堂に引き渡される前に一度お目にかかりたいけど……」
「決して嘘ではありません! こちらの方角へ飛び去って、それで現在探し回っているところなのです」
「空飛ぶ少女……見た?」
思いがけないことに、王子はわたしに尋ねてきた。
見たもなにも本人なんだけど、首は横に振っておく。
「見てない。見てたらわたし、こんなに落ち着いてないと思うわよ」
「……王子。その……失礼ですが、そちらの少女はお知り合いで?」
「そうだよ」
……ふむ。
なるほど、王子はわたしが魔女だって気づいてるな、これ。
じゃないと、嘘をつく理由がない。
ただ、庇ってもらえる理由もないはずだけど。
「お忍びで会いに来たんだ。できれば、噂好きな人たちには内緒にしてくれると嬉しいな」
「しょ、承知いたしました。お邪魔してしまい、申し訳ございませんでした……!」
「行こうか」
「え? あ、うん」
肩を抱かれ、歩くように促される。
聴取はしなくていいのだろうか?
よくわからないが、しなくていいならいいでありがたく従わせてもらう。
最後に衛兵たちの様子をちらりと伺うと、「王子って意外とメンクイなんすね!」「黙ってろ!」と騒いでいるだけだったので、たぶん問題なさそうである。
◇
そして、どこまで連れて行かれるのかと思いきや。
わたしは再び世界樹前公園を訪れていた。
「僕、さっきあそこにいて」
先ほどわたしがサンドイッチを食べていたベンチの隣に立ち、王子は世界樹の根元あたりを指さす。
ベンチ自体が世界樹鑑賞のために作られているのか、ベンチと世界樹の間に障害物はなにもない。
根元付近は枝葉が明かりを遮っていることもあって、かなり暗い場所となっている。
「ここからは陰になっていてわかりにくかったかもしれないけど、向こうからはお店まわりの明かりとかもあって、きみの顔が見えてたんだよね。サンドイッチ食べてるあたりから、ずっと」
「…………迂闊」
自分自身に向かってため息をつく。
視認だけじゃなくて、魔法でちゃんと周囲確認までしてから顔を変えるべきだった。
暗いところで黒の外套にすっぽり覆われてる人なんて、ざっと見渡しただけじゃ気づけないはずだ。
「というか、なんで赤の他人の顔なんてじろじろ見てるのよ。騒ぎが起きてたんだから、そっちの方を見てなさいよ。わたし、そんなに不審な動きでもしてた?」
「……あー……」
王子は視線を斜め上に逃がした。
そこまで答えにくい質問をした覚えはない。
なんなんだ、と思ってじっと見つめていると、王子はもごもごと小声で言った。
「その……すごくかわいい子だなって……」
……この王子、もしや女好きなのか?
本なんかで読んだ感じだと、王族ってもっと厳格そうだったり近寄りがたかったりする雰囲気があるものかと。でも目の前の男は、寂れた村の男たちと同じようなことを言っている。王子もただの人間の男ってわけだ。
「わたしに負けず劣らず迂闊なのね。魔女に顔が好みだって伝えるなんて、食い物にしてくださいって言ってるようなものよ」
「じゃあやっぱり、本物の魔女……!」
「そうだけど。でも、わたしを衛兵に突き出さないのね。王子のくせに」
「……実は、お願いがあって」
……ああ、なるほど。
まあ、人間が魔女に優しくする理由なんてわかりきってるか。
縋るような、真剣な目がわたしを見つめてくる。
「魔法で病気を治せたりする?」