1.王都×白銀(1)
耳鳴りがする。
こういう日は大抵、悪いことが起こる。お母さんが死んだ日もそうだった。
生前のお母さんはよく、耳鳴りがうるさいと苛立つわたしに『悪いことっていうのは案外、いいことが起きるキッカケになったりもするのよ』と言っていた。
その言葉を大真面目に信じているわけではないが、お母さんの死を少しでもいいキッカケにするため生家を離れ王都を訪れた初日にこの耳鳴りだ。憂鬱にもなる。
「お客さん? どうかされました?」
わたしはハッと顔をあげる。
宿屋の主の声。恰幅のいい男性が、わたしの顔をのぞき込むようにこちらを見ていた。
耳鳴りのせいで変な顔をしていたか、なにか反応が遅れたのかもしれない。わたしは「ううん」と首を横に振る。
「なんでもないの、気にしないで。それより、どうしてもダメ?」
「うーん……申し訳ないけどねぇ。やっぱり子ども一人ってのは、ちょっと……。あとあとトラブルになって巻き込まれるのはこっちだからさ」
「ひどいわ。こんなにかわいい女の子がトラブルを起こしそうに見えるの?」
「かわいい女の子ってのがまた怪しいというか……」
「お金はたっくさんあるわよ?」
「むしろたくさん持ってる方が怪しいというか……」
「もう! じゃあ、どうしろっていうのよ! ここ以外の宿屋も、全部断られてるのに!」
「あー……まあ、よそもそうだろうなぁ。大聖堂のお墨つきがあればまた話は変わってくるが……」
「お墨つき? なんのよ」
「そりゃあ決まってる。魔女じゃないってお墨つきさ」
一瞬、言葉に詰まる。
すぐに「それって、簡単にもらえるものなの?」と発言したが、不自然な間だとは思われなかっただろうか。
顎髭を撫でさする男性の様子は、先ほどまでと別段変わりないように見える。
なにも気づいてない……か?
「さて……トントン拍子で行けば一週間、そうじゃなければ一か月とか」
「意味ないじゃない! もういいわ!」
わたしは怒ったフリをして、逃げるように宿屋から飛び出した。
◇
「まったく……。王都は楽しい街だって言ってたじゃない。お母さんの嘘つき……」
王都トゥリエ・サヌイの中心部には、王城と比べても遜色ないほど巨大な世界樹がそびえ立っている。
その世界樹を守るために興った宗教がトゥリエ聖教であり、聖教が世界樹を脅かす敵と位置づけた存在が魔女である——と本には書いてあった。
そしてなにを隠そう、わたしも魔女だ。
つまり洗脳でもしない限り、宿に泊まるためのお墨つきをわたしはもらえない。もらえないどころか、聖教の連中に捕まって殺される可能性だってある。……いや、返り討ちにできはするんだけど。
生家がある山の麓の村じゃほとんど聖教の教えなんて広がっていなかったから、まさか宿に泊まれないほどの事態になるなんて思っていなかった。
何件も宿を回ったせいで、もうほとんど夜に近い。
閉まる寸前の店でギリギリ買えたサンドイッチを手に、世界樹前公園のベンチに座る。
燻製肉に葉野菜、チーズまで入った贅沢サンドイッチだ。その分わりといいお値段だった気がするが問題ない。お金は魔法でいくらでも増やせる。
「……おいしい」
とくにソースが好みだ。
飲食店まで身元不明の女の子お断りじゃなくてよかった。
よくよく味を覚えて、いつでも魔法で再現できるようにしておこう。
「ふぅ」
おいしくて、あっという間に平らげてしまった。少し物足りなさも感じる。
こういうとき、いつもだったら魔法でもう一個作り出すんだけど、いまはだれかに見られると面倒だから気軽には魔法を使えない。
いろいろと窮屈な場所だ。
宿の問題だって、魔法を使ってよければ自分でちゃちゃっと寝床を作って解決できたのに。
……いや、いっそ魔法で目撃者の記憶を吹っ飛ばせば問題ないか?
宿の主を魔法で操って泊まって、帰るときは記憶もわたしがいた痕跡も全部消しちゃえばいい。
魔法を感知できるのは魔女だけ。魔法に対抗できるのも魔女だけ。
お母さんはそう言ってた。だから大丈夫なはず。うん、いける。きっと。
思い悩むより、まず行動。魔法を使わず慎重に、なんて魔女らしくもない。
「……よし!」
「あなたが魔女ってことはわかっているのよ!!」
「えっ!?」
突然、甲高い女の声が響き渡った。
しかも内容が内容なだけに、慌ててあたりを見回してしまう。
叫んだ女がだれかはすぐにわかった。
公園に近い店の前。停まっている大仰な馬車のそばでふんぞり返っている女だ。
遠目だけど着ているドレスや雰囲気から、年若い貴族だと推測できる。
その女はわたしではなく、どうやら店員に向かって魔女だと叫んでいるようだ。
「ち、違います! どうしてわたしが……!」
「素知らぬフリで通すおつもり? 魔法で何人も男性を……それも、婚約者がいる方まで! 本当にはしたない……!」
「待ってください、本当になんのことだか……!」
「あなたがなにをおっしゃろうと、証拠は何件もあるのです! 衛兵のみなさま、連れて行ってください!」
「いや! いやよ! なにもしてないのに……!」
「無実を主張するのであれば、おとなしく大聖堂へ連行されてくださいませ。抵抗すれば……いいえ、むしろ魔法で抵抗してくださった方が、面倒が少なくて済むかしら? 大聖堂で審判を受けるまでもなく、この場で処刑できるものね?」
「そんな……!」
……なんだか、すごく不快なものを見せられている気がする。
あたりは薄暗く、まばらにいる人間もみんな騒ぎの方に注意が向いている。
まあ……やれなくもない、か。
魔法を使うのに道具は必要ない。アクションもいらない。
ただ純粋に、想像すればいい。
わたしの黒髪を金色へ。印象的だと言われやすい紫の瞳を、さらに鮮烈な赤色へ。
顔の形は、村の子の顔でも借りておこう。
服はどこにでもある黒の外套を羽織っているから放置。
ざっと周囲を見渡して——よし、わたしに注目してる人はいない。顔を変えたことにも気づかれていないみたいだ。
わたしは騒ぎの中心へと歩きだす。
「離して! だれか助けて!」
「もう、往生際が悪いわね」
甲高く泣き喚く声も、笑いを含んだ下卑た声も、聞くに堪えない。
ああ、そうだ。忘れるところだった。
最後にきちんと声も変えて。
わたしはニヤニヤと笑っている女へ「ねえ」と話しかけた。






