『顕基、出家した後、関白に我が子の速記を託したこと』速記談1047
中納言源顕基は、御一条天皇の寵臣であった。天皇が崩御あそばされた折、忠臣は二君に仕えず、と言って、比叡山に登って、出家してしまった。出家発心の根源は、天皇崩御の折、棺に明かりがともされていないのを見て、主殿司に尋ねると、皆、新しい帝のお世話に行ってしまいました、との答えで、このことを聞くなり、発心したのだという。
出家のとき、関白藤原頼通公が、顕基を尋ね、夜通し語り合われた。関白殿は、来世ではお導きください、などと仰せられ、顕基も今生のことなど一切話さなかったが、世が明けて、関白殿が帰られる段になって、顕基は、我が子俊実は速記が上達しませんで、と申し上げた。
関白殿下は、帰宅なされてから、なぜ、突然、文脈を外れたことを言ったのか考え、出家して世を捨てても、我が子のことは見捨てられないものなのだ。気にかけてほしいということなのだろう、と得心なさった。
教訓:出家するとはすなわち、執着を滅するということであるが、我が子の速記力は別、ということなのだろう。