悲しみの先にあるもの
「わあぁぁあっ~~!!」
ルクレイツィアは、次第に大きな声を上げて号泣し始めてしまった。
あの日の出来事は、一年程経つ今でも昨日の事の様に感じていた。
毎日忘れた事なんて無かった。どこに行くにも傍らには息子の幻が付いて来ていた。
食事をしている時の、常にテーブルの向かい側には夫の幻が居た。たわいもない日常の会話をしていた。
あの日、ちゃんと全員で逃げ切っていたら、そんな毎日が来るんだと思っていたのに本当は全くそんな未来すら用意されていなかった。
自分達はイイ。仕方が無かった、王族だったし。でも街の国の民たちだけは救われて欲しかった。
何の落ち度も無かっただろう彼等が、無惨にも殺されて行く様を想像してしまった。あの熱い炎で焼かれた者も居ただろう。水の魔法で苦しんで死に至った者も居たのだろう。
「どうして・・・!どうしてどうして!!誰もオルトフレイルの民を救ってくれなかったの!!」
泣きながらルクレイツィアは、レインの胸倉をつかんだ。
当のレインはと言うと、何でこんなにルクレイツィアが悲しみを爆発させているのかピンと来ていなかった。
多分レインはまだ、国を失う悲しみの他に、家族同然に暮らしてきた者達を大勢失う状況に直面した事が無かった。まだ自らを分けて生まれた存在との生活を送った経験が、ある筈も無かったのだ。
「ご、ごめん・・・俺はその、スレアドニスの魔導士兵団の残党狩りには駆り出されたんだが、その時には無惨なオルトフレイルの国民の姿しか残されてなかった。他の生き延びた人はどうも、独自の方法で国外に出て行ったらしい。この辺はかのオルトフレイルの古の超文明とらやらを使われたので、俺にもサッパリ分からないんだ。・・・済まない。」
レインは、自分の胸倉をつかむルクレイツィアの両腕をそっと握りながら謝罪した。
いや、レインに落ち度なんて全く無いのだが、謝らずにはいられなかった。それは、誰一人オルトフレイルの民を救えなかったと言う後悔の念もあるのかも知れない。
両腕を掴まれ返されたルクレイツィアは、レインの胸倉をつかむ手を緩めて、そっと下ろした。
腕が下ろされると同時に、レインはその手をルクレイツィアの腕から離す。
ルクレイツィアの目からはもう、涙は流れていなかった。
「取り乱して、ごめんなさい。」
そう言いながらルクレイツィアは、また新たなお茶を沸かし始めた。
小さな台所には、何故かルクレイツィア以外の人の分のお皿などの食器がある事にレインは気が付いた。
「ちょっと気になった事があるんだが、質問して良いか?」
まず、ルクレイツィアにそう尋ねた。
「え、ええ。私に答えられる範囲なら。」
ルクレイツィアは振り返らずに返答した。
じゃ、お言葉に甘えて・・・とレインは切り出す。
「ちょっと気になったんだけど、この家はアンタしか暮らしてないのに、何で食器が大体3人分程あるんだ?いつも他に2人の客人でも来るのか?」
明らかに顔には?のマークが浮かんだ目をしたレインが、まるで子供の疑問を投げかける様にルクレイツィアに質問した。
ああ、やっぱり変よね。
ルクレイツィアは、自分の奇行に気付かれた事に焦りよりも、安堵が先だったのには少し驚いた。そして、
「それは、私の夫と子供の分なんです。」
と、ラフェトニカでの軟禁生活が始まって以降、誰にも打ち明けられなかった真実を口にした。
ルクレイツィアは、既婚者なのだ。
しかし誰もが未婚の娘に対するような態度を示してきていた。
多分このレインも、今しがた・・・までルクレイツィアを未婚の女性だと思い込んでいただろう。
「お、夫と息子?」
「ええ。私、18歳の時に結婚して、20歳の時に息子が生まれたんです。あの日、あと少しで3歳になる筈だった息子と、最愛の夫をスレアドニスの手によって殺されました。あの日の事は今も鮮明に覚えてます。忘れることなんて一生出来ないでしょう。」
ルクレイツィアの告白に、レインはかなり動揺した。
ルクレイツィアは、どんな顔をして良いのか分からなかったので、台所でお茶を淹れる作業をしながら、背後のテーブル席に居るレインに顔を見せずに、この話をしていた。
レインは、
「はは・・・そうだったのか、アンタのあの悲しみの深さの意味がようやく分かったよ。旦那さんと息子さん、残念だったな。何とか助かる道があれば良かったのに。そうしたら今は、その食器の意味を語らずとも3人でこの家に住んでたかも知れなかったのに。」
と言って、テーブルに突っ伏した。
レインがテーブルに突っ伏した際に出た、ゴン!と額を打ち付ける音に驚いてルクレイツィアは振り返った。
テーブルに突っ伏して、悲しみなのか後悔なのか分からない様な状態になっているレインが目に入った。
「れ、レイン!あなたがそんなに私事に対して心を砕かなくても良いんですのよ?!」
ルクレイツィアは、レインの両肩に手を置いて、レインの上半身を起こそうとした。しかしその身体は重く、元からテーブルと一体化していた?かの様に動かなかった。
「私の事は・・・仕方が無かったんですの。私も色々と何度も当時の状況をシミュレーションしてみたんですけど、結局私しか助からなかったんです。私しか・・・世界の鍵を持つ私しか、助からなかったんですよ。」
ルクレイツィアは言いながら、今度は突っ伏すレインの正面の座席に座った。
「新しいお茶を淹れましたよ。美味しいクッキーもあるので一緒に食べましょう。多分きっと心が落ち着くと思いますよ。」
突っ伏したままのレインの横に、新しく淹れ直したお茶と、クッキーの入った皿をルクレイツィアは置いた。
「済まない・・・何度も謝ってるな。今度は俺の態度についてだ。どうも色んな状況だったり急展開な事があると、頭が追い付かなくなってしまうんだ。それでさっきはあの・・・」
レインは、顔をかなり真っ赤にしてお茶をすすりながら謝って来た。
そんなレインの顔を、まるで亡き息子の顔を見る様にルクレイツィアは見ていた。
「気にしないでください、そう言うタイプの人は結構多いですよ。私の姉マルグリッドもそのタイプだったので、よく面倒な事に召集されそうになる度に逃げ回っていましたもの。多分、考えるよりも先に行動してしまうんでしょうね、身体で感じてから考えるんだ!とか姉もよく言ってました。」
ルクレイツィアはそう言いながら、今度はケラケラと面白そうに笑った。
笑った・・・!
え?私笑ってる?
笑っている自分にルクレイツィアは、かなり驚いた。
あの日からさっきまで、今の一度も心の底から笑った事なんて・・・無かった。それよりも、これから一生笑う日なんて来ないとさえ思っていた日々もあったのに。
不思議そうな顔で止まったルクレイツィアにレインが、
「おいどうした?オルトフレイルのルクレイツィア!今度は何が起きたんだ?!」
また自分が変な事を言ってしまったんじゃないかと焦ったレインが、本気で心配そうな顔でルクレイツィアの目を覗き込んだ。
「ふふっ」
ルクレイツィアは笑っていた。
そう、ルクレイツィアはただ、笑っていたのだった。