訪問者
昨日、広場でお婆さんに治癒の魔法を使った事は、ルクレイツィアが自宅で「やってしまった!」を連発している瞬く間に、この城下町で一気に広まってしまっている事に当の本人は気付いていない。
朝が来た今、一歩家のドアを開けて外に出ようものなら、ちょっと怪我したり病気を治したい人がルクレイツィアの家の前にたくさん集まってきている可能性は高かった。
実際に、街の中の安全を守る憲兵が、ルクレイツィアの家の方に押しかけようとする群衆が歩いているのを見つけて、かなり早朝から規制をかけている状況にまでなっていたのだ。
その事を未だ当のルクレイツィアは知らずに、昨日の興奮冷めやらぬまま夜更かしした代償で朝寝坊を決め込んでいたのだが、流石に外から何やら多くの人のざわめきが聞こえてくるのに気付いて、ようやく起き出した。
「う、うう~ん?一体外は何の騒ぎなの?」
2階の寝室の窓のカーテンを少しずらして外を見てみると、ルクレイツィアの家の前にある小さな空き地に大勢の人が集まっているのが見えた。その大勢の人が何やら叫んでいるので耳を澄ませてみると、「私の怪我も治して!」とか、「俺の病気も治せるだろ!」とか、結構自分勝手な事ばかり叫んでいる。
「もしかして、昨日のあのお婆さんの足を治したのが原因なの・・・?」
ルクレイツィアは自分のした事に、再度驚いた。と言うか、そんなに人々の印象に残ってしまった事に驚いたと言う方が正しいかも知れない。
外の群衆は減るどころか増える一方の様な気がしたルクレイツィアは、とりあえず着替えて階下に降りて行った。そして、もし何か困ったことがあった時は、この鈴を鳴らすようにと言う注意書きが添えられていた鈴を、そっと鳴らすのだった。
鈴を鳴らしてほんの数分?程経った頃だろうか。玄関の戸口から何やら上位の者?を敬う様な声と、それらの声がまるで蜘蛛の子が蹴散らかされた様な速度で遠くに去っていくどよめきが聞こえた。
一体何が起きたのだろうか?
そう思ってルクレイツィアが玄関のドアを開けようとすると、玄関をノックする音が先に響いた。
「オルトフレイルのルクレイツィア!俺は、ラフェトニカ王の王弟グリースルフ・レイン・ラフェトニカだ。どうかこのドアを開けて欲しい。」
ノックの音が鳴り終わるか同時かのタイミングで、そう叫ぶ声が家の中まで響いた。
「王弟?」
ルクレイツィアは、恐る恐るドアを開けた。
すると目の前には、赤い短めの髪で人当たりの良さそうな笑顔の、ルクレイツィアとそう歳が変わらなそうな青年が立っていた。
「かたじけない。」
赤い髪の青年ことグリースルフ・レイン・ラフェトニカは、短い礼の言葉を述べると、すぐにドアを閉めた。そして、
「昨日、貴方が街の広場で助けてくれた老婆に代わって、俺の方から礼を言わせてもらう。ありがとう。非常に助かった。」
言い終わると同時に、かなり深々と頭を下げた。
「い、いえ!とんでもないです!私は、私に出来る事をしたまでで、目の前に居た困っている人を見過ごせなかっただけなんです。でも・・・」
そう、でも今、外にはルクレイツィアの治癒の魔法を求めてラフェトニカの人々が集まってきてしまっている。この状況を何とかしないとこの先、ルクレイツィアは気軽に城下町での買い物はおろか、友達になった人達とのたわいもないお喋りですら出来なくなってしまう可能性が高かった。
「あの外の状況だな。今城の兵士達やメルルーク・ラングルスの者達と、貴方の居住地を変更した方が良いのでは?と協議中だ。ただ当の本人を差し置いて移動を求めるのは、たとえ軟禁状態とは言え一国の姫に対して行なうべきでは無いと言う判断から、俺が通達も兼ねてここに来た。」
言いながらまた、少し会釈気味にペコリを頭を下げる。
いや、多分私の方が身分的には下・・・の様な気がするんですがね?とルクレイツィアは思ったが、どうにも相手の方がルクレイツィアを上に見ている感が拭えそうになかったので、そのまま頭を下げられる側に徹するしか無さそうだった。
「頭を上げてください、え~とグリースルフ・レイン・ラフェトニカさん!」
ルクレイツィアがそう呼ぶと、
「いや、俺の事はレインとだけ呼んでください。」
と、青年は言った。
ええ?突然名前呼び捨てで大丈夫なんですかね?と、驚いて一歩後ずさったのを見逃さなかったレインは、
「やはり驚きますよね、急に名前だけで呼んでくれだなんて親しくもなんともない初めて会った者から言われるの。でも、本当にお願いします。何て言うか、俺の名前のグリースルフの部分の意味って実は、王の弟と言う呼称の様なものなので、名前でも何でもなかったりするので。」
レインは、髪色と同じ位に顔を真っ赤にしながら、自分の名前の説明をした。
「それにこの呼称最初からついていた訳じゃなくて、兄が王になった時に初めて付いたので馴染みが薄いと言いますか、未だにちょっと俺の中では邪魔な部分の様な気がしてならないんですよね。」
そう言って、ポケットからハンカチを取り出して汗を拭った。
ルクレイツィアは、このレインと名乗るラフェトニカ王の弟に、かなりの好感を抱いた。
昨年から約一年の間、街の人達はともかくとして、ラフェトニカの王家やその兵士達の多くがルクレイツィアに対する態度を当初から一切変化させてはくれていなかったのだ。
あの日、この国に連れて来られてきてから、王族や王家としか話せない様な込み入った内情の話が出来る相手が見つからず、結局あの四ツ巴のごちゃごちゃの侵攻戦はどうなったのか?な話を、誰ともせずに一年間を過ごしてきたのだ。
そんな事を思い出していたルクレイツィアは、王族のレインを見て、何だか色々と安堵してしまった。それまで、この何となく緩い感じの軟禁生活でずっと暮らしていくのだろうと思っていた、自分の本音を隠して生きていくしか無いと思い込んでいた心が、ようやく救われた様な気がしていた。
「あの、もしかして、この鈴を鳴らしたから来てくれたんでしょうか?」
ルクレイツィアは、さっき鳴らした鈴をを手に取りレインに見せる。それを見たレインは、
「ああ、そうだ。その鈴はラフェトニカに大昔から伝わる魔道具で、報告の鈴と呼ばれているものなんだ。この鈴の内側に自分の名を書いた紙を貼っておくと、どんなに遠くから鈴を鳴らされてもその音が聞こえてかつ、どこで鳴ったのかの場所が分かると言う優れ物だ。凄いだろう!」
そう言って、ルクレイツィアの手から鈴を受け取ると、鈴の裏面に貼ってある紙に自分の名が書いてある所を見せた。
「凄いですね~!オルトフレイルにも古い魔道具はありましたが、このタイプは見た事がありません!」
ルクレイツィアは、こんな風に対等な立場の者同志で話をする事に飢えていた?のに気付いた。
街の人達には、完全に心を開いていなかった。
あの日、自分の身の上に起こった事や、これから起こるであろう未来の話や家族の事、国々の話や世界の鍵の事を打ち明けられる相手がずっと欲しかったのだと、レインを目の前にしてようやく気付いた。