宿屋にて
どれ位の時間が経ったのかは分からないが、マルグリッドが目を覚ますとそこは、どこかの大きな神殿の様な建物の屋上の様だった。
普段は人が立ち入る事は無い様で、屋上に入るための扉も誰かの足跡も付いていない。
周囲を警戒しながら起き上がってみるが、特に誰の気配も感じられなかった。
「どう言う事なんだ?」
そう。
ついさっきまで?いや数時間か数日前なのかも分からないが、とにかく陸地に居た記憶は無い。
そもそも海洋国家オセアニアスと、グラムスドラドがまさか結託してオルトフレイル空軍を謀ったと言う事実に、マルグリッドはかなりの衝撃を感じていた。
それと同時に、仲間を死に追いやった彼らの愚行に、必ず天誅を喰らわしてやろうと決意もしていた。
だが、今の状況を全く理解できていなかった。
「ここは一体どこなんだ?」
思いながら周囲を見回してみると、今マルグリッドが立っている教会の様な建物の周囲には同じ様な建物が点在していて、更に、街の中心部と思われる場所には、天にも刺さりそうな程に高い塔が建っていた。
「マジか・・・」
この、超高層の建造物にマルグリッドは覚えがあった。
まだ12か13歳の頃に連れてきてもらった、魔道国家のスレアドニス帝国の首都フレベルツだった。
「フレベルツ・・・なのか?」
確かめる様にマルグリッドは、周囲の他の建物や風景を見回して確信した。
魔道国家の何ふさわしく、魔法で中空に浮かせた色々な商品の広告や、通勤通学に使われる宙を走る乗り物、更に夕やみに染まりかけている時間帯にもかかわらず、町全体を魔法の光が鮮やかに照らし出していた。
マルグリッドが教会の様な建物の屋上に立ちすくんでいても誰かにすぐに気付かれずにいたのは、日も暮れて夜の帳が下り始めている時間帯だったからに他無かった。
これが真昼間だった場合はもう、スレアドニス軍に捕らえられていても不思議では無かっただろう。
それでも、マルグリッドはそろそろこの場所からは撤退する必要があった。建物の下から、屋上に誰かが建っていると騒いている人が増えてきたからだ。
「っとまぁ、仕方が無い。ここに居ても何も進まないしね。」
そう言うとマルグリッドは、自分の立っている場所のすぐ横に、指で大きめの楕円を描く。そしてその楕円が空中で固定されると、迷わずその中に入った。
楕円はマルグリッドが入るのを確認したかのように閉じると、スっとその場から消えた。
マルグリッドごと消えた。
「ここなら割と見つかりにくいかな?」
先程、建物の屋上に居たはずのマルグリッドだったが、今は建物と建物の間の薄暗い路地裏に居た。
あの、指で囲った楕円の中に入っただけで、誰にも見つからずに移動をなすことが出来たのだ。
これこそが、ある意味マルグリッドの魔法の神髄とも言っても良い、空間操作の魔法だった。
オセアニアスの海域の上空を移動する時に、中空に常時浮かんでいられる魔法もこの空間操作の魔法で、今しがた移動に使った魔法も空間操作、とにかくマルグリッドは一つの魔法の使い方の応用が上手く、同じ様な空間操作の魔法を使える魔導士ですら、ここまでの域に達する者は誰も居なかった。
と言う事から、今も実はマルグリッドはスレアドニス帝国の魔道大学から、空間操作の魔法の極意を教えろ!的に追われる身となっているので、出来ればこのスレアドニス帝国にだけは!降り立ちたくなかったのも事実だった。
「でも、命があっただけでも物種。どんな原理か知らないが、助かった事だけは感謝しておこう。ただこのままだと、確実にスレアドニスに捕まるなぁ~。」
そう言ってマルグリッドは途方に暮れた。
誰か知り合い・・・のような人物は居ただろうか?と頭の中の記憶を思い返してみたモノの、特にコレと言った人物の心当たりが無かった。
「はぁ~、どうしたモノかね。」
多分、さっきの建物の屋上に落ちた?時に身体に衝撃を受けたのだろうか?何だかちょっと節々が痛むな?と思いながら、マルグリッドはその部分をさすりながら溜息をついた。
その大きな溜息が聞こえたのか、それともこの路地が通り道になっているのか分からないが、一人の少女がマルグリッドの前に現れた。
「お姉ちゃん、疲れてる人?」
少女がそう尋ねると、
「まぁね。ちょっと色々あって何かこの街に来ちゃったんだけどさ、行く当てが無いんだよね。」
見知らぬ、今会ったばかりの少女に何を言ってるんだ?しかも、もしかしたらスレアドニスの尖兵かも知れないのに!とマルグリッドは考えを巡らせたが、
「そうなんだ。じゃ、おいでよ。私の家ってすごい小さい宿をやってるの。でもここ最近、全っ然!お客さんが来なくて、私今から魔鉱石の工場に働きに行くところだったんだよ!」
少女はマルグリッドの返答を待つことなく、マルグリッドがこれから行くべき場所を提案した。
「え!?何?宿屋をやってるのかい?助かるよ~!」
マルグリッドは、これこそ渡りに船ってヤツだろ?と思いながら、少女の提案に二つ返事で同意した。
「わーーい!やったぁ!今日は私、働きに行かなくて済む!」
少女は、マルグリッドの手を引いて、自分の家の宿まで引っ張って行った。
「おいおい、アタシは一人で歩けるよ。」
マルグリッドが手をほどこうとすると、
「駄目だよ~!私のお客さんだもん!」
と言って、宿に着くまでその手を離さなかった。
少女に案内された宿は、道中少し話してくれた通りにこじんまりとして、想像していた通りにかなり小さい宿だった。
客室は6・・・あるか無いか?位だったが、屋根裏と言う格安の部屋を入れるとかろうじて7部屋あるとの事だった。
「じゃ。アタシはその、屋根裏を希望しても良いかな?」
マルグリッドは少女にそう伝えると、
「え~~!!お姉ちゃんはこの、高級ベッドの1等部屋って思ってたのに!!」
と言ってプンプンと怒りながら駄々をこねる。
それを見ていた宿屋の女将、つまりこの少女の母親が、
「スミマセンねぇ~、久しぶりのお客さんだから欲張りになっているのかも知れません。」
そう言いながら、マルグリッドは屋根裏の部屋に案内された。
「え!?全然屋根裏って感じじゃないですよ?何か、この宿でもかなり良いお部屋の様に感じます!」
マルグリッドの通された通称屋根裏の部屋は、思っていたよりもしっかりとした作りで、調度品もみすぼらしさは感じられず、むしろ秘密基地とか隠れ家的な雰囲気を感じたい人向けのコンセプト部屋の様に感じられた。
「流石!お目が高い!実はこの部屋、割と人気の部屋なんですよね。でもここ最近の王政の転換で、今はウチの宿屋に限らず、この国全体の宿泊業が危機に陥ってるんですよ。」
女将は、屋根裏部屋の小さな窓から見える街の風景を見ながら、マルグリッドに実情を話し始めた。