「こんなのが、婚約者なんて」と思った婚約者同士のお話
「こんなのが、婚約者なんて」
婚約者同士の、庭でのお茶会。
数年ぶりに聞いた懐かしい台詞に、当時とは違うニュアンスを感じて、私は視線を上げた。
決意が固まったような赤錆色の瞳と、それを薄めたような茶色の髪。
(ほんと、あの頃よりずっと成長して……)
彼が続ける前に、私も口を開いた。
「私も、同じことを思っていたの」
私、フィアルダ・オールストナは、オールストナ伯爵家の長女だ。
婚約者となる、かもしれない子とのお茶会が決まって、幼い私は、ずっと落ち着かない気持ちでいた。
完全な、政略結婚のための話ではあったけれど、合わなければ再考すると言われていた。
「いーいフィアルダ。男の子とは、とても幼いものだからね」
私の母は、お茶会の話が決まってからずっと、このように言っていた。
初対面で、意地悪をされるかもしれない。
失礼な態度や言動が、あるかもしれない。
もしそんなことをされたら、すぐに言ってほしい。
あまりにも母が言うものだから、父が止めようとしたものの、
「あら、あなたは私の言葉を止めて良いような、初対面での態度だったのかしら?」
と母に言われ、小さくなっていた。
まあ、その後、母に、父と母の初対面でのお茶会の話を聞けば、とても初々しく素敵なお茶会の話だったのだけれど。
そう、だからだろう。
幼い私の中で、婚約者とのお茶会は、とてもキラキラした憧れの眩しい世界での出来事のようになっていた。
たしかに、お茶会の話の前に、相手の姿絵を見たはずなのに。
幼い私はもう、王子様が来てくれるものだと、思い込んでいたのだ。
(こんなのが、婚約者なんて)
晴れた日。庭で、初めて会う婚約者との、二人だけのお茶会。といっても、周りに使用人はいたけれど。
幼い私は、目の前に座った婚約者に、落胆していた。
もっとキラキラとした、王子様がくると思っていたのだ。
それが、なんだか全体的に重たい色合いの、くすんだ人。
こんな感情を出すのは、失礼なことだと、幼いながらに頑張って抑えていた。
でも、
「……こんなのが、婚約者なんて」
ぼそりと。けど、ハッキリと聞こえた声に、幼い私は顔を上げた。
目の前では、顔を青くした婚約者が、口を押さえていた。
よく見ると、小刻みに震えている。
どう見ても、思わず言ってしまったような、そんな幼い態度を見て。
私は、笑ってしまっていた。
「あ、あの、ごめんなさい、フィアルダ様……」
「いいのよ、いいの。謝らないで、ルフレード様」
なんとか、笑いを落ち着ける。
きっと本当なら、怒った方が良いことだった。
きっと、母が言ったような、失礼なことだった。
けれど。
「あのね、私も、同じことを思っていたの」
「……えっ」
「こんなのが、婚約者なんだぁ。って」
幼い私にそう言われた、同い年の幼いルフレード様は、少しの間固まっていた。
それから、怒ったような、笑ったような、不思議な表情になっていった。
言われてみれば、そうなのだ。
キラキラな王子様が来れば良いな、なんて思っていたけれど、
私の容姿は、陽の下でもあまり輝かない灰色の髪に、ぼやけて印象が薄くなりそうな、灰色の瞳。
キラキラな王子様の隣に立てば、王子様の眩しさで、サーッと消えてしまいそうな容姿なのだ。
いったい、何を高望みしていたのか。
「あの、本当に、ごめんなさい。フィアルダ様は、すごく可愛いのに……」
「いいのよ、本当に。あんまり申し訳なくされると、私も申し訳なくなってしまうわ」
「いえ、あの、その……僕は、そう思われても、仕方ないというか」
「そんなことないわ。すごく安心するお顔立ちをされているもの」
それから、お互いに、お互いを褒め合うという、不思議な時間が流れた後には、
私はすっかり、この婚約者のことが気に入っていた。
「あのね、ルフレード様。私たち、始まりが始まりでしょ?」
「本当にごめんなさい……」
「それはもういいの。そんなことより」
少し、はしたないけれど、私は身を乗り出して、ルフレード様へ伝えた。
「私たち、こんな風に、遠慮することなく話しましょう」
幼いルフレード様は、目をぱちぱちと瞬かせた。
「お母さまに聞いたのだけれど、政略結婚の婚約者たちは、最初の数年は遠慮がちに過ごすのですって。
そしてその後も、見栄を張ったり、張らなかったり、なんだかぐるぐる面倒くさいそうですわ」
「……言われてみれば、そうなのかも?」
幼いルフレード様は、たぶん、お兄様かお姉様のことを思い浮かべていたように思う。
「でも私たちは、最初が失礼ですもの。あとはもう、何を話しても大丈夫ですわ」
「そ、そうかなぁ」
「ええ!……少なくとも、私は。ルフレード様のお顔に安心して、穏やかな気持ちで話せますわ」
幼い私がそう言うと、ルフレード様はお顔を赤くされていた。
それがまた、かわいらしくて、たまらなくて。
このお茶会が終わった後すぐに、私の婚約者はルフレード様に決まった。
まあ、それはそれとして、
幼い私としては、愛しくなりそうな婚約者に「こんなの」と思われたことを、実は気にしていた。
それまでずっと、私は世界の中心だった。
父も母も愛してくれるし、友だちとは色々あったり、なかったりもするけれど、それも普通のことで。
とても当たり前に、優しい世界に住んでいた。
自分のことを、こんなに客観的に意識したのは、その時が初めてだった。
幼いながらに、痛感したのだ。
私には、誇れるものが何もない。
心を奮い立たせた私は、そこから真面目に学びだした。
東に素晴らしいマナー講師がいると聞けば、行って教えを請い学び。
西に素晴らしいパーティーを開く婦人がいると聞けば、行って手順や品を学びまくる。
学びたいという姿勢は変わらぬまま、学園へ通うこととなり、何とか成績も上位を保っていた。
なのに。
婚約者のルフレード様は、今や時の人。
革新的な法案をいくつも提出し、鋭い着眼点をお持ちとのことで、学生にして、既に政務補佐関連の王宮勤めに誘われている。
まるで天の上の人。
なのに、ルフレード様は、いつも変わらずお優しい。
『こんな私が婚約者でいいのかしら』
いつの頃からか、芽吹いた種。
こんなのが婚約者?なんて、幼い頃の自分の言葉が、返ってくる。
こんなの、なんて嫌だって、足掻いていたはずだった。
貴方に釣り合うようにと、もがいていたはずだった。
けれど、差は広がるばかり。
婚約者同士の、庭でのお茶会。
私はぼんやりと、お茶を眺めていた。
僕、ルフレード・ニーグレンは、ニーグレン伯爵家の三男だ。
婚約者が決まるかもしれない、ということで、幼い僕は何日も前から緊張していた。
父と母は恋愛結婚だったものの、向き不向きなどを考え、子どもたちの婚約相手は決められてきた。
ぼんやりとした兄には、きっぱりとした相手。
恋愛による婚約をした姉もいれば、他領や王家との関係で、結ばれた兄もいる。
そして僕の相手は、政略により、オールストナ伯爵家のお嬢様。
僕はまだまだ幼く、貴族らしい言動や、表情を保つことも苦手だけど、
その日はしっかりと、紳士的に頑張るぞ!と意気込んでいた。
のに。
「……こんなのが、婚約者なんて」
出てしまった言葉は、いくら口を押さえても、戻るものじゃない。
なんて失礼なことを言ってしまったんだろう、と、幼い僕は目の前が真っ暗になった。
連日、兄や姉に、婚約者の良さを聞いていた。
僕は、本を読むのが好きだったから。婚約者はこんな子だったらいいな、なんて、お姫様に憧れたりもした。
姿絵も見て、きっとキラキラと素敵な子なんだろう、なんて、想いを膨らませていた。
それが、なんだか、動いて喋る彼女を見た瞬間。
こんなものか、と落胆してしまったのだ。
お互いの両親と共に顔合わせも終わり、まずは二人だけで、と、お茶会に案内された途端。
抑えていた感情が、ぽそりと、零れ落ちてしまった。
ああ、終わりだ。
もう、この子の婚約者には、なれないんだ。
どれだけ傷つけてしまっただろう。
時間を戻したい。
いろんな気持ちが、ぐるぐると渦巻いていた。
「あのね、私も、同じことを思っていたの」
そんな僕のぐるぐるが止まったのは、フィアルダ様の、明るい声が聞こえた時だった。
申し訳なさで俯いていた顔を上げると、フィアルダ様はとても輝いて見えた。
彼女がそこにいるだけで、ぱっと華やぐ感じがする。
どうして僕は、最初から、この眩しさに気付かなかったんだろう。
フィアルダ様は、とても前向きで、見た目どおりに輝いていた。
それから、色んなことを話した。
遠慮なく話そう、と、フィアルダ様に言われたものの、僕はまだまだ緊張していた。
けれど、手紙のやり取りで、お互いのことを知って。
二人のお茶会で、笑ったり、怒ったり、愚痴りあったり、話し合っていくうちに、
そんな緊張は、跡形もなく、消えていた。
初対面でのお茶会の後、僕は、フィアルダ様に「こんなの」と思われたことを、気にしていた。
そもそも、口にしてしまったのは僕なのだから、気にすることが間違っている、と思うこともあった。
そんな気持ちを、傷つけてしまったフィアルダ様のため、という気持ちで塗りつぶして、僕は頑張ることにした。
それまでは、目標もなく、ただ言われるがままに勉強していた。
本を読むのが好きだったから、知識だけはあったけど、それを使うということを、全く理解していなかった。
覚えてきたことの、使い方。利用の仕方。
それを、人に聞いたり、それこそ本を読んだりして、自分のものにしていく。
フィアルダ様に並べる自分になるために、がむしゃらにやってきた。
父と共に王宮へ行き学び、学園に通うようになってからも、学園の勉強にも手を抜かず。
そうして、やってきたのに。
婚約者のフィアルダ様は、今や時の人。
フィアルダ様の装いは、流行を作る先駆けとなり、開くお茶会は評判も良く、王女の覚えがめでたい。
まるで天の上の人。
なのに、フィアルダ様は、いつも変わらず気さくに笑いかけてくれる。
『こんな僕が婚約者でいいのだろうか』
いつの頃からか、芽吹いた種。
こんなのが婚約者?なんて、幼い頃の自分の言葉が、返ってくる。
こんなの、なんて嫌だって、足掻いていたはずだった。
貴女に釣り合うようにと、もがいていたはずだった。
けれど、差は広がるばかり。
婚約者同士の、庭でのお茶会。
僕は、遠慮なく、話そうと思っていた。
「こんなのが、婚約者なんて」
婚約者同士の、庭でのお茶会。
数年ぶりに聞いた懐かしい台詞に、当時とは違うニュアンスを感じて、私は視線を上げた。
決意が固まったような赤錆色の瞳と、それを薄めたような茶色の髪。
(ほんと、あの頃よりずっと成長して……)
ルフレード様が続ける前に、私も口を開いた。
「私も、同じことを思っていたの」
一口、お茶を飲む。
そうして、言う。
「こんな私が婚約者なんて、貴方に合わないんじゃないかしら」
ルフレード様は、昔よりずっと、素晴らしい方になった。
もちろん、昔も素敵な方だったけれど、今は、誰が見ても素晴らしいと思うだろう。
「それは、僕の台詞だよ」
ルフレード様が、カップのハンドルを撫でる。
そして、お茶を眺めたまま、言った。
「こんなのが、婚約者なんて。貴女に合わないと思う」
やっぱり。
出逢った時と同じように、私たちは、同じことを思っている。
それが、嬉しくて、暖かくて。
私は、初めて会ったときのように、笑ってしまっていた。
「ルフレード様、凛々しい顔をしていますけれど、まさか婚約解消を願ったりはしませんわよね?」
たくさん笑った後に、聞いてみる。
昔より、ルフレード様の表情は読みづらくなった。
それでも、私には、わかるのだ。婚約者なのだから。
「それも、考えていたんだけどね。貴女も同じことを考えていたと知って、そんな気持ちは飛んでいったよ」
「あら。じゃあもう戻ってこないようにしないと」
「遠慮なく話そう、と思っているうちは、きっと戻ってこないよ」
お互いの目線が合って、笑う。
ずっと、不安な気持ちが芽吹いてから、もやもやとした雲があった。
それが、こんなにあっけなく、晴れてしまう。
こんな、少し話しただけで。少し、目が合っただけで。
考えてみれば、今までだって、そうだった。
遠慮なく話すと決めてから、楽しいことばかりじゃなかった。
喧嘩することもあった。
すれ違うこともあった。
それでも、話し合うことだけは、やめなかった。
そうしているうちに、相手のことに、納得がいったり、いかなかったり、気持ちの落ち着くところが決まるのだ。
もう二度とお話なんてするものですか、なんて思っても、数時間後には、すぐお話したくなっている。
だって、ルフレード様のことが、好きだから。
こんな私が、なんて思ったって、もう離れられないのだから、思うだけ無駄な気がする。
そして、ルフレード様も今、私と同じことを考えているとわかる。
「こんな貴女が、婚約者なんて、素晴らしいよ」
ルフレード様の、あの頃とは違う、はっきりとした声。
少し、からかうような、弾んだ声。
ああ、好きだなぁ。
私も笑って、お返しで言った。
「私も、同じことを思っていたの」