星神ステルラに願う〜この死から逃れるすべを〜
とうとうこんな辺境の田舎まで奴らがやって来てしまった。
俺は弟の手を引いて森の中を逃げ惑うが、暗闇で足元が悪く足が取られてしまう。弟など何度も体勢を崩し、足を止めただろうか。
背後から村人の悲鳴に混じり、高笑いする声が頭に響いてくる。奴らは人をもてあそび殺していくらしい。そう、人の苦しんでいる様を見て楽しむのだ。
今日は新月だ。普段であれば2つの月が空に浮かび辺りを照らし、行く先を導いてくれるはずだった。だが、森の中は暗闇で満たされ、空を見上げても夜の星々しか見えない。きっと奴らは新月だとわかって襲ってきたに違いない。
「にぃちゃ……ん。ぼくをおいて……いって」
息を切らしながら震える足を必死に動かしている弟のユリウスが言ってきた。
「ユリウス、兄ちゃんは絶対にこの手は外さないからな」
俺は左手を強く握って答えた。何があってもこの手は離さない。
「ユリウス、顔を上げて見てみるといい。赤い星がよく見えるだろ?」
「う……うん」
新月なので夜空には多くの星々が空を満たしていた。
「あっちの青い星と白い星を繋げてみたらどんな形だ」
俺は空の星を指し示し、じいさんに教えてもらった言葉を思い出しながらユリウスに話しかける。
「よく……わからない」
ユリウスの声からは今はそんな事を言っている場合じゃないという雰囲気が出ている。だが、大事なことだ。
「三角形だ。その中心には何も見えないがあの中心には星神ステルラ様の冬の神殿があると言われている。冬に迷ったときはその三角形を探して祈るといい。必ず星神ステルラ様の導きが得られる」
「ステルラ…………」
「三角形を探すんだぞ」
星神ステルラ様はどのような者にでも、正しい道へ導いてくださる星の女神様だ。
どうか俺たちが……いや、弟だけでもこの絶望から生き残れる道に導いてください。
俺は空に輝く夜空に願った。背後から忍び寄る死を退けられる何かを俺たちに与えて欲しいと。
「ユリウス、だから……」
俺は左手に違和感を感じ、立ち止まる。
先程まで感じていたユリウスを引っ張る感触がないことに、恐る恐る振り返れば……俺の手にはユリウスの右手だけが存在していた。
肘から向こうはただの暗闇が広がっており、ユリウスの姿が見えなかった。
俺は思わず、肘から先だけになってしまったユリウスの手を放す。辺りを見渡してもユリウスの姿が何処にもない。先程まで声がしていたはずだ。
「おやぁ?手は離さないって言っていたよなぁ?」
すぐ背後から聞こえてきた声に、振り返るもバランスを崩し、地面に倒れ込む。
『にぃちゃ……ん。ぼくをおいて……いって』
ユリウスの声がして、ハッと顔を上げるとそこには皮膚が闇と同化したように真黒な存在が目の前にいた。しかし、その表層には血管のような青い紋様が闇に浮かび、全体の形を顕にしている。
人の形をしてはいるが、目は夜目が利くようにか光をまとい、頭部には漆黒の髪の隙間からねじ曲がった角が二本、天に向かって突き出ていた。
悪魔と呼ばれる存在だ。ここ数年、人という種族を根絶やしにする勢いで、各地で暴れ回っている突如として現れた者たちだ。
その悪魔からユリウスの声が聞こてきた気がする。どういうことだ?もしかして村を出た時から?森に入った時からか?
いや、森に入った頃はユリウスがバランスを崩し、腕を引っ張られていたはずだ。
俺は浅い呼吸の中で必死にここから逃げて、ユリウスの元に行くことを考えていたが、俺の脳裏には目の前の死を具現化した存在しか映っていない。そう、死しかないのだ。
「神に祈っても何も変わらねぇ。何も与えてはくれねぇ。そんなモノに縋った愚かな自分を恨んで死ねばいい。アハハハハ」
違う!神々は我々の祈りに応えてくださる!
俺は……いや、俺たちはお前たち悪魔に負けやしない。例え俺がここで死に絶えたとしても。
俺は腰に差していたナタを抜き取り地面から爆ぜるように振るった。
「火の神の息吹よ。全てを燃やし尽くす轟炎となれ!」
火神プロクスの神力を帯びた赤き炎が俺の持つナタを覆い、悪魔の黒き皮膚を切り裂……刃は悪魔の肩に食い込むことすらなく、金属に当たったような感触が手に響くのみ。
「見てみろ!神の力なんて無力!」
三日月のように歪めた口から、また神を愚弄する言葉が出てきた。
「残念だったなぁ」
全てを否定する言葉と共に、闇をまとい蒼き紋様が浮き出た腕が俺に迫ってくる。
「残念やないで」
何処からともなく聞いたこともない声が聞こえてきた。風が吹き抜けたかと思うと、魔導騎士団の隊服を着ている人物の背中が目の前あった。
「あんたが最後や。残念やったなぁはこっちのセリフや」
そう言って彼は絶対なる死をいともたやすく排除した。そう、金属のように硬い皮膚を粘土細工のように切り裂いたのだ。
「大丈夫か?怪我は……なさそうやな」
振り返って俺を見た魔導騎士団の隊服を着たものが、心配そうに声をかけてきた。このあたりでは見かけない凹凸がない顔に漆黒の髪の青年。
その姿を見た時、俺は夜空に瞬く星々に向かって祈りを捧げた。
『女神ステルラ様。俺たちの村に勇者を導いてくださったことに、感謝いたします』と。
そう、目の前の人物は、この世界を救うべく異界から来た勇者ナオフミだ。
「なんや?どないしたんや?」
「星神ステルラに祈りをささげているのでしょう。星神は暗闇に導きの火をともす存在ですから」
声がした方を見てみると、あの魔導師長様がユリウスと共にこちらに向かってきていた。
「ユリウス!」
「にぃちゃん!」
俺とユリウスは互いに駆け寄り、抱きしめ合う。そして、ハタッと思い出した。
「お前腕は!」
「聖女様に治してもらった」
そう言って見せてくれた右腕には傷ひとつないユリウスの腕があった。聖女様。この混沌とした世界を光で満たしてくださる唯一の御方。
「女神ステルラ様。女神様の導きに感謝いたします」
俺は再び天を仰いだ。この美しい星の海の中にいるステルラ様を探すように。
「ふーん?星の神さんかぁ。ほんま空に居るんかいな」
「あの、強く光を放っている3つの星を繋いだ中央に星神の神殿があると言われています」
「なんや相変わらずこの世界はおかしなもんやなぁ」
勇者と魔導師長様の話を聞きながらら、ユリウスとお互いの無事を喜び、助けてくださったことへの感謝を口にするのだった。
読んでいただきましてありがとうございました。