幕間 「ひどくみにくいかたまりが それをのぞんだ」
ただの、愉快で果てのない地獄だった。
目が覚めた瞬間の僕は、姿すら記憶がない。
視覚はあったが、それだけの記憶しかなかった。
数センチ刻みの細切れのものがつながっている空間が見渡す限り繋がっていて、それのどれもこれも形が歪んでいる。
その、いびつさが、気持ち悪くて耐えられなかった。
目をふさぐようなことはできない。
眠ることもできない。
ただ、動くこともできないまま、それを見て気分が悪くなるだけ。
ずっと見続けるだけ。
もしかすると、人という形すら持っていなかったのではないだろうか。
口もないようで、叫ぶこともできなければ食べ物を食べることもないが、死ぬこともない。
それをただ維持して、話によると5年ほどやっていたらしい。
狂わなかったのは、奇跡なんじゃないだろうか。
それだけやっても、慣れることはない。
ただ、微妙に思考することはできるようになった。
何が起きていて、自分がどうなっているのか考えることはできるようになった。
「…こえますか…聞こえますか…」
「誰ですか?少し声が大きい…ようですが…」
その時、自分に口があることの自覚、そして、起き上がろうと手を使うことに、違和感を感じた。
いや、体の異常や、手があることに感じたのではない。
何も迷いなく、体を起こそうとした自分の行動。
それを考えた事が違和感だった。
自分はそうである、という前提が、五体があって体の向きを手で変えられる姿の存在だと無意識で決定していた。
初めて視点を変えることで猛烈な吐き気はしたが、出すようなものはないのだから口がただ動くだけ。
「やっと聞こえましたね、意識そのものが死んでいないことしかわからなかったので、心配しましたよ」
女性っぽい声。
だが、聞こえているのが心で受けているのか耳から聞いているのか、そこを自分は理解していない。
「誰…です?何もかも歪んでいて…目の前が気持ちが悪くて…」
「なるほど、構成物を視覚化して見る力を、無意識に持ってしまっているのですね。苦しいでしょう」
「誰なんですか…」
「世界は、そして存在が立つべき全ての場所は、理想的に整えられた盤面となることはありません。全て変動し、つじつまを合わせようとすれば歪むものです。それを美しいと、思わなくてはいけません」
「…答えて…!」
「私は、名もなき者。昏き聖櫃の守護龍と呼ぶものもいます。永遠にここにあり、棺の中から世界を愛し続けるもの…」
「愛する…もの…?」
これが、この存在との、最初の会話だった。
「つまり…僕を作った?…母なんですか?」
「呼びたいのならそう呼んでもいいでしょう。ただし違います。私には子を産む力も、命を生む力もありません」
そこから数日。
相変わらず歪んだ世界に苦しんだまま。
他者がいること、そして意思疎通とはどういったことかを少しだけ考えながら、その存在と話し続けた。
その龍は、自分の体の切れ端を適当にまとめ、何度か形にしていたと言った。
そこに、いくつもの世界でこぼれて消えるだけの、意識や記憶に当たるデータ。
あるいは、魂にあたるものがあてもなく浮いていたら、それを適当に吸いこんで、あるいは混ぜて、切れ端に入れる。
すさまじい生物への冒涜にも、見方によってはなりうることを平然と話された。
つまり、そうしてできた存在。
僕。
もはや何と混ざったのか、何をしていてどういう記憶があるのか、誰であったのか、さっぱりとわからない。
いや、個人として存在していた可能性も、疑えばその条件すら満たせなくなるかもしれないもの。
自分の存在意義に全く価値を与えてくれる要素がない。
それだけで狂ってよさそうな話をされたが、意思の形成にはずいぶんサポートが入っていたのか、そうはなれなかった。
「ですが、あなたはまだ、私です。固有の意識があっても、姿があっても、存在としては私でしかないのです」
「定義として、個になることはない?」
「いえ。ですからあなたには義務があります。すべての認識力と確固たる意識を作り、あなたは自信という存在にならなくてはいけない」
「どうなったら、そうなると…全くわからない…」
「その体によって、自分を認識して自分になることを確定できるなら、あなたはその心で己と呼ばれる別のものとなることもできるでしょう…すべてを望むとおりに…そして、あなたは新たな生命の樹の根にも、切り取るだけのハサミにもなれる。この世界の知りえない新しい種として」
「自分のなりたいものになれ、平たく言うとそう聞こえますが…少し違うんでしょうね」
「わかるようになりますとも、あらゆる記憶な認識を積み重ね、自分を得るという大変さとその意味が…少しだけ、その助けに私の力を与えます」
「出来るかどうか、あなたの言葉も、すみません、今は何も、わかりません」
「ですから…どうか…美しく育ってください」
無理を言ってくれる。
だが、道だけ存在することがわかる。
それに従って自分であろうとする。
それは、別に普通のことのはずだ。
人であるからには、自分探しくらいはするものなのかもしれない。
そう思い、そのまま僕はその生き方を飲んだ。
そして、その存在を、母と呼んだ。
しかし、問題は増えた。
僕が助力として求めた力。
この、気持ちの悪くなる視界をどうにかしたいという願いをかなえてくれたもの。
これにあらゆる暴走が付きまとい、またそれに年単位、苦しめられ続けた。
あれには、母に迷惑をかけていたと思う。
そうしてから、ようやく自分の目を認識し、人としての視覚をどういうものか理解し、僕は、この世界での最低限の形を得た、と…思った。
そうして、そのままあてもない旅に出た。
「今は、ただ、いさせてくれてありがとうと言っておきます母さま」
「それは、この世界に言うだけでよいのです、私はあなたに義務を押し付けただけに過ぎない」
「それでも、僕がここにいることを嬉しいと思いたいのですよ」
「では受けましょう…そして、もう一つ、あなたに頼みたいことがあります」
「なんですか?」
「あなたのように、私が生んだ存在で、すでに命だけで意識が消えたものに出会うかもしれません…それだけは、消してあげてください。そのもののために」
「…頭に入れておきます…ですが、そんなことがあるのになぜまた作ったんですか、僕を」
「愛しているからですよ…この世界全てを。だから、私は常にあなたたちのような存在がすべて自由であり、あらゆるところを混沌とさせ続ける存在でいて欲しいのです」
「…理解できませんが、母らしいとだけ…」
「では、いってらっしゃい…そして、あなたは、名を持つべきです。名乗りなさい」
「僕の記憶の片隅にある混沌と通じる人ならざる者の名を、それでは名乗りましょう…竜王、いえ、一字落としてリューオとでも」
「すこやかに、リューオ」
そのまま、ある程度人の姿を自分として、自分を鍛え続けた成果を持って旅に出た。
二つの義務を持ち、自分であろうとするために。
旅に出た世界は、柔らかかった。
触れば砂のようになる、ひ弱な世界、ひ弱な生物。
これまで会ったことのなかった、気に障るものは、言葉は通じるのに理解者になる要素が一つもなく、触れば壊れた。
たぶん母の望む存在とは、これだった気がする。
僕は理解せず、ちょっとした何かに割り込んでは昼も夜もなく、相いれないと認識して壊したり消したりした。
相手の何たるかを、知らないからだ。
痛みも知らなければ、心も知らない。
自分であるために必要な領域と。
心で許せる行動と許せない態度と。
それぞれの立場として譲るべきではない柱のような感情と。
僕はそんなものすら考えていなかった。
そのまま、自分が気に入るか気に入らないか、同調するかひれ伏すか。
それしか見ていなかったのだと思う。
そんな世界を見ていた、ある日。
「やりすぎやろ!そいつは悪気なんてないんやから、ゆるしてやりな」
「僕じゃなくては危険じゃないですか。相手に危害を与える生き物なら、排除していいんですよ」
「だから、そんな単純に酷いことしたらあかんて!これやるから、落ち着いて許してやりぃ」
「…あなたはなんなんでしょう…」
「べつに?ただの遺跡漁りやなぁ」
不思議な存在に会った。
気に入らない横やりは入れられるが、危害を与える敵の一味でもない。
区分として理解の及ばない、どっちともつかないもの。
意味が分からないが、何かをくれるなら敵と認識もできない。
「それでこれはなんなんでしょう」
「…え…プリン知らんとか、無いやろ?大丈夫かおたく」
「ぷりん」
「本当に知らんのなら教えてあげる。ほら、こうして柔らかいとこ食べるんや」
「食べる…そうか、そんなことをしてた…」
棺のにいるだけの世界。
あの中では食事などしていなかった。
完全な生き物であり、食物の摂取など全く考えない、つまり必要なくなっていたものだけしかいないから、すべてがずれていた。
そんなことも忘れていた。
「大事に運んでたんやから、ちゃんと感謝して、味わって食うんやで?おいしいやろ?」
壊さないようにするのは大変だった。
各所をなるべく動かさないように、特に急には動かさないようにして、口にモノを入れる。
そんな感触を、自分の肉体ではやったことのないがゆえ、記憶だけで探り…やってみる。
必要がないから、何も感じない。
しかし、懐かしさはあった。
柔らかさがあり、手で触る物とは違う気分がした。
「何が気に入らんかったのか知らんけど、そうやってゆっくり食べ物食べて、おいしいものが食べられることに感謝して、楽しみを満喫すれば他人に当たり散らさなくてもよくなるんやないの?」
「何を言ってるかわかりませんが…すごいもろくて、柔らかいです」
「おいしいやろ?」
「たぶん」
ゆっくりと楽しむ。
時間をかけて周囲を眺め、何気ないことに感謝する。
考えることすらなかったことを、何の疑問もなく教えてくれる。
それを、知りたいと思った。
記憶を探りながら、無かったことを得ようとした。
すると。
「…甘い、です」
「なんや?そんなにめずらしいんか」
そうか。
これが、自分を得て、認識するということか。
「ありがとう、ございます」
「おうおう、神妙そうに言うなあ?」
「いえ、あなたは、僕の知らない何かを作ってくれた、とてもすごい存在だと思います」
「…泣いとんの?プリンで?なんで?」
そのまま、僕は、その人間になんとなく、ついていってよくなった。
心を作るのに、ほとんどすべてを彼女から貰った気がする。
様々な遺跡を回り、時に離れたり喧嘩もして、また何となくついていって研究もして。
実験もして。
最後には、街も一緒に作ることを決めたりした。
マリカさん。
あの龍が存在を作った母であるとするなら、心をくれた母と認識するのは、マリカさんに間違いない。
何も気にせず壊す手は、マリカさんと握手がしたいから人のように弱い力になるよう僕が望んだ。
いろいろな料理を楽し気に作ってくれるマリカさんを見て、特に吸収する必要もない食べ物を入れる構造が体に必要だと思ってみた。
より人間であるようにした方が迷惑にならないだろうと、全身くまなく柔らかくきめ細かい肌であるように願った。
僕は、徐々に望む僕を作っていった。
マリカさんがいたから。
そうして、僕が出来た。
「そういえば、あんた名前ずっと話してくれんなあ」
「…リューオです」
「じゃ、よろしくなリューオ」
「はい」
きっと笑った顔も、あなたのために作ったのだ。




