3 噂とは
「やあ、これは珍しいお客様だね。ようこそ、エスター・レイナルド竜伯爵」
「お初にお目にかかります。ルメール・ブルク伯爵。突然の訪問にも関わらずお招き頂きありがとうございます」
ガイア公爵家に程近い場所にある、真っ白な屋敷。
カルロが養子へと売られた先は、男色家と噂のあるルメール・ブルク伯爵だった。
先代の伯爵亡き後、若くして当主となったルメール伯爵は、悪い噂もあるがその優秀な頭脳を使い、領地に繁栄をもたらせており、領民からの信頼は厚い。
小柄で華奢な体つきではあるが、堂々とした佇まいが、実際よりも背を高く見せている。
肩で切り揃えられた艶やかな黒髪、髪色と同じ黒く長い睫毛が縁取る濃い青の目は美しい。
しかし、その目はエスターを訝しむように見ている。
「私のカルロに用があるんだってね。彼なら今、庭にいるよ。案内しよう」
ふと、ブルク伯爵はエスターの持つ、変わった木に目を向けた。
「その木は何か尋ねても?」
「はい、これは『想想の木』というものです。この木の事でカルロ様にお聞きしたい事があり、お伺いしました」
「そう……なるほど」
ついて来て、とブルク伯爵はエスターを連れ、カツカツと足音を立て廊下を進み中庭へと抜けて行く。
「カルロ」
ブルク伯爵が庭へ向け声をかけると、高い薔薇の木の間から青年が現れた。
「……君だけか」
カルロは、以前エスターが見た頃のおどおどとした雰囲気は消えていた。弱々しい印象をもたらしていた白い肌は陽に焼け、健康的な見た目になっている。
彼の妹、ソフィア嬢とよく似た金の髪が、陽の光を受け煌めいている。目を隠す様な前髪と長くもっさりとしていた髪は、長すぎず短すぎず、綺麗に整えられて、カルロの端麗な容姿を露わにしていた。
あの時の指輪の石と同じ色をした目が、正面から鋭くエスターを見つめる。
エスターも思わず鋭い目を返してしまう。
そんな二人を見て、ブルク伯爵はクスリと笑った。
カルロはエスターから目を逸らすと、横に立つブルク伯爵を見て、優しく目を細めた。
近くに咲いていた薔薇を、持っていたハサミで一つ切ると、こちらへと歩いて来る。
スッと薔薇をブルク伯爵へ差し出し「今日も綺麗だよ」と渡す。
「やめろよ、人前だ」
受け取りながら頬を染めるブルク伯爵。
……なんだ、すごく仲が良さそうだ。
聞いていた話と違うな……とエスターは思っていた。
それに、確かカルロは養子と聞いていたが……養子ということはブルク伯爵の子供? 兄弟? いや、それは無理がある。それよりももっと距離が近い。どうみても、二人は恋人同士か夫婦にしか見えない。
ジッと二人を見ていたエスターに、カルロが冷たく声をかけた。
「エスター卿、何か僕に用があるのでしょう?」
「ああ、この『木』の件で聞きたいことがあるんだ」
木を見せると、カルロは「どうしてその木を貴方が?」と首を傾げた。
立ち話ではなんだから、お茶を飲みながら話そうか、とブルク伯爵に促され、三人は庭にある四阿へと場所を移した。
すぐにメイド達がお茶を運んでくる。
竜獣人であるエスターを間近で見ることなど滅多にない。三人分のお茶を、五人のメイド達が運んで来た。
ブルク伯爵はそんなメイド達を見てクスリと笑う。
「すまないね。私もだが、彼女達も竜獣人にあまり会った事がないんだ。それに君は人気があるから、彼女達は気になって仕方がないみたいだ」
メイド達はエスターを見て頬を染めている。
エスターは表情無く、メイド達に一度だけ目を向けた。
その冷たい表情ですら、彼女達には嬉しくて仕方がない様だ。
ブルク伯爵は紅茶にミルクを落としスプーンで混ぜながら、エスターに話をした。
「大変だね、そんなに人気があれば、貴方の奥方も気が気じゃないだろうね」
「僕は彼女しか愛していないので」
「…………そう」
「……………………」
ブルク伯爵は、もういいかな? と優しくメイド達に告げ、下がる様に告げた。彼女達がいなくなった所で、エスターは話を始めた。
この木は『想想の木』というもので、この木がシャーロットを眠らせてしまった。目覚めさせる為には対となる木が必要で、その木を探す為植えた者を探している。
話を聞いたカルロが顔色を悪くした。
「そんな、ロッティが……」
「やはり君か……」
「何? 僕がどうしたと言うんだ」
「この木がシャーロットのことをロッティと呼んだらしい。彼女をそう呼ぶ人を僕は知らない」
「ああ、そういう事か……」
「魔獣術師が言うには、どうやらこの木には……君の想いが宿ってしまっているらしい」
「僕の想い……?」
「君がディーバン家にいる間、その……」
「ああ、僕は彼女を好きだったからね。確かにロッティが屋敷に帰って来るのを、僕はずっと待っていた。両親に売られる迄、そうか……」
「帰ってくるのを待って……?」
カルロはテーブルのカップに目を落とす。
「この木は、僕が庭に出ていた時、目の前に落ちてきた種を植えて生えてきた物だ。成長も早くて、葉の形が珍しいと思っていたが……そうか『想想の木』という名前なのか」
「シャーロットは僕と結婚していたのに、ずっと帰って来るのを待っていた? どういう事だ?」
カルロは目を上げ、エスターを見た。
「僕には、ロッティが幸せだと思えなかったからさ。君が連れ去ったあの日から、ロッティの話は一度も聞くことがなく、それどころか竜獣人と結婚した者は、監禁され命を吸い取られ続けるのだという噂も聞いた」
「なんだ、それ……」
初めて聞く黒い噂に、エスターは驚愕する。
「あれはまだ君たちが婚約中……ソフィアの結婚式の日だ、彼女は一人で来ていた。あの日の彼女は顔色も悪くて、君のご両親はいたが、婚約者であるはずの君はおらず、ロッティは婚約して随分経つのに、指輪の一つもはめていなかった」
「それは……」
「僕はね、ロッティが君に大事にされていないんだと思った。だからあの日、僕はロッティに婚約指輪を渡して。待っているから帰っておいでって言ったんだ……」
「僕は……」
僕は彼女を大切にしていた。そう言いかけて、エスターは声を呑んだ。
言ったところで、ただの言い訳に過ぎない。
確かにすぐ蜜月に入り、その後討伐遠征で離れ、プロポーズも指輪も後回しになってしまった。
連絡も出来ず、ひと月も離れていた間、不安にさせてしまった。二度も攫われた為、危ないからと外にも出さず……大切にしていたと言っても、これでは信じてもらえない。
それに、外に出さなかった事が、黒い噂になっているなんて……
ブルク伯爵は二人を横目で見、紅茶を飲んだ。
静かにカップをソーサーに戻す。
「噂とは……」
ブルク伯爵は、静かに話を始めた。
「噂とは、それの元となる種があるから花開く。例えば、この私もそうだね。この身形のせいか、世間では男色家だと言われているらしい」
クスリと笑って、ブルク伯爵はエスターを見た。
「……それは」
「男色家? 君を男だといっているのか⁉︎」
カルロは驚いて立ち上がりテーブルを叩く。
「何故そんな噂が? まさか、エスター卿もそう思っているのか?」
「ここに来るまでは……僕はあまり他人に興味がない。世間では皆そう言っているし、そう聞かされていた」
「貴族や獣人は男女の区別もつかないのか⁉︎ 」
「……ブルク伯爵は見た目もだが、雰囲気もとても中性的だ。獣人ならば気づくはずだが、立ち居振る舞いや話し方、服装など、男性だと言われれば先入観でそう思ってもおかしくはない」
エスターの話を聞いたブルク伯爵は、フッと自嘲的な笑みを浮かべる。
「いいんだよ、その噂で私が困る事は特にない。仕事の面でも、女性だと下に見られる事がたまにあるからね、男性だと思われていた方が都合がよかったのさ。それに、私は殆ど社交界には出ないからね。尾鰭を付けやすかったようだ」
フフッとブルク伯爵は笑うと、テーブルの上のカルロの手を握った。カルロは伯爵を見て、席に着く。
「ルメールは女性だ。ただ男装を好んでいるだけだ。……確かに、父達もそう思って僕を売り付けたらしいが……まさか僕と結婚しているのに、まだそんな噂が流れているなんて」
「結婚? 僕は養子だと聞いていた……」
エスターは驚いて目を見開いた。
「ふっ、ふふふ、ふははははっ!」
突然大きな声でブルク伯爵が笑い出す。
「そうか、養子ね。確かにそう言われたな。あの日は、仕方なく行った夜会だった。あまりにつまらなくて、テラスに出て一人で飲んでいたんだよ。そこにディーバン男爵夫妻がやって来て『うちの息子は美形だからきっと貴方は気にいるはずだ』って、最初は僕を女性だと分かって縁談を進めてきたと思ってたんだ、そうしたら養子に貰わないかって、どう使っても構わないと金額を提示して来た」
ブルク伯爵はカルロの頬をスルリと撫でた。
「カルロは大人の男性だよ? それを金欲しさに売り付けるなんて……それも男色家と噂されている人物にだよ、酷い話だろう? でも、私にとってはいい話だったよ。おかしな噂のせいで婿も来てくれる者がいなかったし、カルロは僕の好みだったしね。だから婿養子になってもらったんだ」
ブルク伯爵は頬杖をつき、カルロを見て目を細める。
「ルメール……」
名前を呼ばれ、花の様な笑顔を見せるブルク伯爵は、カルロの前では美しい女性以外の何者でもなかった。
エスターは自身の目で見ず、碌に調べもせずに他人の話を聞いただけで男色家だと、男性だと思い込んでしまっていた自分を恥じた。
「それで、君の眠り姫を目覚めさせるために、カルロは何をすればいいの?」
ブルク伯爵とカルロは、エスターに詳しく話を聞いた。




