心配したんだよ
頭を優しく撫でる手
今、私に触れている温かい手を
間違える筈はない
……この手は私の愛しい人
「う……ん……」
私の寝ているベッドに、黒いタキシードを着て仮面を着けた黒髪の男が腰掛けていた。
その人が私の頭を優しく撫でている。
「カ……イン?」
「……⁈ 」
どうして私を触れるんだろう?
さっきカイン様は防御魔法が発動して触れないと言っていたのに……それから帰ると階段を降りて行ったのに。
「……カイン……しゃま?」
「それは誰⁈ 」
うーん、エスターの声はするのにエスターじゃない。
だって目の前の人は服も髪も真っ黒だ。エスターはキレイな銀の髪だから。
「 ほら、起きて……って、シャーロット」
黒い人に抱き起こされた。
纏っていた上掛けがハラリと落ちる。
( ……あれ、この人私の名前知ってるのね? )
「なぜ……ちゃんと着てないんだ……」
黒い人は何だか怒っているみたいだ。
「どれしゅ? あーコレはでしゅねー」
「はっ? シャーロット?……酔っ払ってるの?」
「ん?」
「お酒飲んだの?」
違う、と私は頭を振った。
あ……クラクラする。
「のんでないれしゅ、ジューしゅをのんだの……れしゅ」
カイン様はジュースだと言っていた。
確かにおいしいぶどうのジュースだった。
……まぁ、今の状態が正常かと云われたら自信がないけど……何だか上手く喋れないし……
黒い人は突然自分の髪をぐっと握り引っ張った。
「…………!」
被り物を外したそこから、サラリと銀色の髪が落ちる。
仮面を取ると青い瞳が煌めいていた。
「エシュター?」
何故黒い人になっていたんだろう?
まるでさっきのお茶会にいた男の人達みたいな格好だ。
「シャーロット、心配したんだよ」
エスターは私の頬を持ちぐいぐいと引っ張った。
「いらい……れしゅ」
「痛くしてるんだよ」
「しどいっ!」
「ああっもう!」
そのまま頬を挟まれ、チュ、とエスターがキスをする。
「なにしゅるのっ」
「かわいい……」
「かわい?」
珍しく彼の目尻が下がっている。
「でもね……」
「でも?」
「なぜドレスがはだけてるんだ 」
さっきの甘く下がった目が、一瞬で凍る様に冷たく鋭い瞳に変わった。
( ……怖いっ! エスターの怒った顔めちゃくちゃ怖いですっ )
「シャーロット」
「は……い」
私はちょっとふらふらしながら、ベッドの上で姿勢を正して彼にキチンと訳を話した。
今の私なりに……ちゃんと初めから話をした。
「あの……れしゅね。おちゃかいが、出あいのばーで、それでダンしゅをおどりました」
「ダンス? 誰と」
「うーん……カインというひとれした。じょうずだって……いってく……れました」
「さっきも言ってたけどカインって誰? 何でソイツと踊ったの? 僕ともまだ踊った事ないのに」
( ああ、やっぱり嫌だったよね )
「ごめんなしゃい、はじめては……エシュターがよかった」
私は社交界にもまだ出ていない。ダンスもお父様が生きていらっしゃった頃に教えてもらっただけ。最近はローズ様に教えて頂いていて、人前で踊ったのは今日が初めてだった。
「初めて? ダンスが?」
「うん」
「……そうか」
「エシュターは?……おどったことありましゅか?」
( 公爵令息だものね、とっくに社交界には出ているだろうし、 誰と踊ったのかなぁ……)
「えっ、あ……うん……それは」
エスターは気まずそうに私から目を逸らした。
「んんっ? もし……かして、マリアナおーじょしゃまなのねっ!」
「あの、それは仕方なくて」
「はじめて……も?」
「あ……うん練習以外は……そうなるね」
「いいな……マリアナおーじょしゃま……」
マリアナ王女様は私の知らないエスターを知っている。
当たり前だけど、彼の幼い頃からを王女様は見て来ている。
私はまだ出会ってから三ヶ月にも満たなくて、知らない事が多いのは当たり前だけど……こんな時、やっぱり王女様が羨ましい。
「シャーロット……」
何だか今度は悲しくなってきた。
さっきまで楽しかったのに……やっぱり酔っているのかな。
エスターの過去にはいつもマリアナ王女様がいる。
それは仕方ない事。分かってる、分かってるけど、私は自分で思っているよりも心が狭い様だ。
今もまだ、王女様とエスターの過去が気になっている。
それに私は、マリアナ王女様から多分嫌われている。
突然現れてエスターを取っちゃったから。
でも……だからって攫わせなくても、知らない人に悪戯させなくても……そこまでしたいほど私が憎いのだろうか。
私がもしこの下着を着けていなかったら、今頃どうなって……そう考えて、スッと血の気が引いた。
……本当に何もされてない?
ドレスを着ていた時には触れたのよ?
現にここまで運ばれている。
彼は何もしていないと言ったけれど、それが真実とはいえない。
私は上掛けを纏ってエスターから距離をとる。
「急にどうしたの、シャーロット」
エスターが急に離れた私に手を差し出すけれど、嫌だと首を振ってしまった。
ゆっくり、言葉がおかしくならない様に話をする。
「あの……ドレスき……るから……」
「手伝うよ」
エスターは優しく言ってくれた。
「だいじょぶ……ひ……とりでしま……す」
「でも」
「おねがい……すこ……しだけ……そとにでて、くらさ……い」
「どうして? シャーロット」
下を向き頼むとエスターは「僕はすぐそこに居るから」と部屋を出てくれた。
少しずつ酔いは醒めて来ている。
上掛けを取り隈なく体を見回した。
……大丈夫そうだ。
下着はちゃんと着ている、どこも緩んでいないし体にも何もない。
ドレスを脱がせた途端に触れなくなったとカイン様は言ったから……。
けれど赤いドレスを着ている状態では私に触れている。
現にここまで運ばれてベッドに寝かされていたのだ。
私は、何もしていないと言った彼の言葉を信じるしかない。
何一つ覚えていないから……。
ドレスをちゃんと着て、深呼吸をする。
迎えに来てくれたエスターにまだお礼も言っていない。その上部屋から追い出してしまった。
謝らなくっちゃ、それから来てくれてありがとうって言わないと……私、ダメだな。
ベッドから降りて下に並べて置いてあった靴を履いた。
少しふらつくが大丈夫。
エスターに声をかけようと、扉へと向かって……足が止まった。
外から、かわいい女性の声が聞こえてきたのだ。
マリアナ王女様の、鈴のような声が。
「エスター、ここにいたのね」
「……どうして僕がいると分かったのですか」
嬉しそうなマリアナ王女様とは対照的な冷たい声でエスターが話をする。
「あら、私があなたを分からない訳がないわ」
「こんな事はもう二度としないで頂きたい」
「こんな事? 彼女は楽しそうだったわよ? 殿方と音楽に合わせて踊って、その後はお酒を飲んで……しなだれかかっていたわ」
「それは彼女の意思ではないでしょう⁈ 」
「そうかしら? 私ならキチンとお断りするわ。彼女も満更でも無かったのではなくて?」
「彼女はきっと断り方が分からなかったんだ」
「あら、そんな人があなたの妻なんて務まるの?」
「彼女は『花』だ、僕は彼女しか認めない」
「そう……あら?」
「何だ?」
「エスターあなたの瞳、金色になっているわよ?」
( ……えっ⁈ )
「はっ?」
「うふふ、もしかして『花』は一人では無いのでは? 今までが、偶々近くに一人しか居なかったというだけではなくて?」
「何を言っているんだ」
エスターの声は動揺している様に聞こえた。
「だって獣人の中には何人も番がいる方達もいらっしゃるでしょう? 竜獣人もそうかも知れないわ、前例が無かっただけなのではないの?」
「違う、そんな事は無い!」
いつもは冷静な彼が声を荒げている。
……そういえば、さっき彼の瞳はずっと青いままだった。
でも、彼は瞳の色をコントロールできるようになっているし……
違う、今いるのはマリアナ王女様だけ、ならば王女様の狂言ということもあり得る。
だって『花』は触れ合えば直ぐに分かるのだから、エスターは今まで……何度も王女様と触れた事がある。
だから、違う……違うはず。
その時また別の声が聞こえてきた。
「まぁ、本当ですね。キレイな金色」
この抑揚の無い話し方は……メイド?
『花』と見つめ合うと金色に変化する竜獣人の瞳。
……もし王女様の言う通り、『花』が一人では無かったら……?
「そんな訳ないだろう!何を言っているんだ、マリアナ! いい加減にしろ!」
( ……マリアナ……また…… )
「うふ、エスターったらそんなに名前を呼ばなくてもよろしいのよ? あの日もずっと私の名前を呼んでいたものね、寝室でも……」
「アレは!」
( ……あの日……? もしかして……あの『ごめん』はそういう事?)
ーーーーーー*
後ろからカタンと小さな音がして、振り向くとカイン様がそこに立っていた。
立ちすくむ私に向けて、彼は何も言わず手を差し伸べる。
どうしていいか分からない。
頭の中は『目の色』の事とエスターが『マリアナ』と呼ぶ声と『あの日』の事で一杯になっている。
私は、カイン様に差し出されたその手を無意識のうちに取ってしまった。
真紅のドレスをキチンと着たからなのか、エスターに触れてもらったからなのか、下着の防御魔法は止まっていた。
カイン様は私の手を引いて階段を降りる。
その先にある真っ暗な地下道を、まるで見えているかの様にスタスタと歩いて行く。
「シャーロットちゃん、どうした? 泣いてんの?」
「……ないてない」
「ねぇ、もう酔いは醒めたの?」
「よってない」
「……ふうん」
そこからカイン様は暫く黙ったまま、私を連れて真っ暗な道を何処かへと進んで行った。