挨拶なら僕にして
レイナルド公爵のお邸はとても大きかった。
玄関を入るとすぐに広い庭があり、たくさんの花が植えられている。
「すごい…」
邸の中に庭があるなんて…
「父上が、母上の為に作ったんだよ。これなら外に出る事なく好きな花を見る事ができるだろうって」
この場所の天井はガラス張りになっている。こんなの初めて見た。
邸に入ると、漸く彼は私を下ろしてくれたが、離れない様にずっと腰に手は添えられていて…まだ彼は上半身裸のまま。私は目のやり場に困っている。
「エスター令息、とりあえず服を着てくださらない?」
私達の後ろにいるサラ様が心底呆れた様にエスターに言った。
「そうだね、じゃあシャーロット、僕の部屋へ行こう」
「えっ、あのまだ」
「まだ?何?」
「ご家族にご挨拶もせず入る訳には…いかないかと…」
「そんなもの、しなくてもいいよ」
「でも」
腰に添えられた手がぐっと引き寄せられ、もう一方で私の顎を持ち上げる。
エスターの金色の目がフッと細められた。
「挨拶なら僕にして?」
顔がそのまま近づいて鼻と鼻が触れる
「まて、エスター」
少し低い大人の男性の声が、彼の動きを止めた。
「はぁ……父上」
何でこう邪魔ばかり入るんだ…とエスターが呟く。
エスターとよく似た、銀の髪に銀色の目の紳士が片手に美しい女性を抱いてこちらへと歩いてくる。
「ようこそ、シャーロット嬢。私はエスターの父、ヴィクトール・レイナルド、そして私の妻のローズだ、よろしく」
ヴィクトール様は柔らかく微笑まれた。
「ローズ・レイナルドです。あなたがエスターのお嫁さんね、会えて嬉しいわ」
少女の様なかわいい声で話された美しい女性がエスターのお母様…確かに綺麗な青い目元がよく似ている。
「初めまして、シャーロット・ディーバンです。この度は…ちっ治療費をお支払いして頂きありがとうございました」
( うっ、ちょっと噛んでしまった…)
私が挨拶をすると、エスターもレイナルド公爵夫妻も目を丸くしていた。
( 私、おかしな事言った?)
「治療費の事…どうして知ってるの?」
エスターが首を傾げている。
「あの、先程の北の塔で魔獣術師のジークという方に会って教えて頂きました」
それを聞いたヴィクトール様は片手で頭を抱えた。
「何だ、犯人は奴か…」
「知っているのですか?」
「ああ、知っている。この件はオスカーに任せておけばいい。関係しているのはエリーゼ王女の方だからな」
「はい」
「それよりお前はまず彼女の治癒を優先しろ、それから二人共体を清めた方がいい。特にエスター、マリアナ王女の匂いが臭いほど付いている。それでよく『花』を抱けるな、嫌われてもしらんぞ⁈ 」
「えっ、まだ臭いますか?」
「シャーロット嬢には分からん位だと思うが、臭いぞ」
「ええっ⁉︎」
ヴィクトール様は、エスターの焦る様子を見て笑うと、私に「では、またその内に」と言われ、ローズ様を抱かれたまま邸の奥へと戻られた。
「……ごめん…シャーロット」
横にいたエスターはほんの少し体を離した。
「浮気じゃないから、仕方なかったんだ、嫌だったけど、そうしないとサラに君を診せる事は出来ないと脅されて…」
「はい、あの…そんなに謝らなくても」
( 謝られると余計に気になっちゃう…)
「でも、僕…」
「はい、はーい!エスター令息そこまでで一旦終わってくださらない?私もね暇じゃないのよ?明日も朝早くから仕事があるの、だからサッサと治療させて頂戴」
後ろにいたサラ様が言った。
エスターは執事が持ってきた上着をとりあえず着ると、私とサラ様を客間へと通した。
部屋にはダブルサイズのベッドが置いてあり、サラ様が私にそこに服を脱いで横になる様にと言う。
「……あの、エスター」
「もう一度言って」
「えっ?」
「名前」
「エスター…?」
「はい」
エスターは手を握り、嬉しそうに私を見つめている。
「服を脱ぎたいのです」
「うん、脱がせてあげるよ」
エスターの瞳がキラリンと妖しく輝いた。
彼は迷う事なくドレスに付いているボタンに手をかける。
「ちょ、ちょっと待って!」
ぺチッと彼の頭にサラ様の平手打ちが入った。
「治療するからエスター令息は部屋から出なさい!乙女の裸を見るつもりなの⁈ 」
「はい」
「…………あなた、たった一週間で変わってしまったのね」
客間から出て行こうとしないエスターに、サラ様はレイナルド家の執事を呼び、連れて出る様に言った。
「3時間だけ待っていなさい!」
「無理だ!せめて1時間にしてください!」
「それこそ無理よ、傷がほとんどなくなる様にするから、じゃないと困るのはあなたでしょう⁈ 」
サラ様はエスターの耳元に何かを話す。
それを聞いた彼は、私をチラリと見て何故か照れていた。
「はい、分かりました3時間待ちます」
この様な私にはよく分からないやり取りがなされた後、エスターは執事に引きずられる様に部屋を出て行った。
「さ、ここにうつ伏せに寝て頂戴」
私はドレスを脱ぎ上半身だけ裸になるとベッドに横になった。
サラ様が背中の傷痕をそっと撫でる。
「コレではまだ、痛かったわね」
そう言って治癒魔法をかけ始めた。
背中に温かな感覚が広がる。気持ちがいい…
「それにしても、このドレス凄いわね」
私に治癒を施しながら、壁に掛かるドレスを見たサラ様は、ほぉとため息を吐いた。
「叔母さまに作って頂いたドレスです」
デザインもしてくれて…と伝えると、違うわよとサラ様が全てを教えてくれた。
ドレスを頼んだのは確かにディーバン夫人だが、デザインは全てレイナルド公爵閣下による物に変わっているのだと。( 支払いはエスターがしていると教えてくれた)
「この、銀と青の刺繍…これは貴女がエスター・レイナルドの『花』だという事が古代文字で入れられているのよ。読める人から見たら凄く独占欲の強い恥ずかしいドレスだわ…あなた大変ね」
…知らなかった…蔦と花がデザインされているとばかり思っていた…
だからジークさんもあんな事を言ったのか…
「それに、このドレスには防御魔法も施されてる。一度着たらあなたかエスター令息しか脱がせる事は出来ない様にもされてるわ」
「脱がせる…」
「愛する者を守る為ね」
サラ様は途中で白ワインを一本飲みながらケーキを2ピース程食べた。
私の魔力はコレで回復するのよ、と話すとまた治癒をしてくれた。
「よし、これで傷は殆ど見えないわ、痛みもないでしょう?後一回掛ければ完璧だけど、まぁそれはひと月後か二月後に会えたらやりましょう」
「はい」
私は用意されていたガウンを羽織る。サラ様が渡す物があると、持っていた鞄から箱を取り出した。
「コレは回復薬よ…20本でいいかしら、1本飲めば普通なら2日は持つけれど…彼、17歳だものね、あと10本足しとくか…」
「回復薬?傷はもう全然痛く有りませんが…」
( 彼?エスターがなぜ回復薬と関係あるの?)
「傷じゃないわよ?知らないの?竜獣人は…」
そこまで言って、サラ様はウフッと笑った。
「後は自身で確かめなさい、もう扉の向こうで彼が待ちきれない様だから、ま、頑張って!」
サラ様が扉を開けるとすぐそこにはエスターが居て彼女と入れ替わる様に部屋へと入って来た。
「優しくするのよ、無理させないであげて」
そうエスターに話すと、サラ様は手を振って城へと帰って行った。