君の声で呼んで
ジークさんが出て行くと同時に、トンッともう一つの窓から人影が入って来た。
はぁはぁと息を切らして、その人は真っ直ぐに私の元へ歩み寄る。
「エ…エスター様… ど、どう」
「誰、今の男」
もう一つの窓の方を見ながら話す声が… 怒っている様だ。
「あの」
話そうとした矢先、彼は急に私の体を押し倒した。
「えっ」
バフッとクッションの上に組み敷かれる。柔らかいクッションのお陰で全く背中は痛くないけれど…
私を見るエスター様の青い目がサッと金色に変わった。
「エスター様… あの…」
「シャーロット」
エスター様は揺らめく金色の瞳で私を見つめる。
「あの…」
彼の長い銀色の髪が私の頬にサラリと触れる
「エスター様…」
彼は何も言わず、ただ私を見下ろす。
金色の瞳はいつもの蕩けるような優しい感じではなく、獲物を捕らえる獣の様に鋭くて…
何だか様子が違う…気が立っている?
私は何かしてしまったの?
エスター様はギュッと目を閉じて頭を横に振った。その度に彼の髪が私の顔にあたる。
「エスター…」
彼は小さな声で言った。
……?何故自分の名前を呼ぶの?
「… ごめん」
以前目は閉じたまま、エスター様は何故か私に謝った。
「エスター様?どうしたのですか?」
「エスターと」
彼はゆっくりと目を開いた。鋭かった瞳は、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳へと変わっている。
「シャーロット、君の声で呼んで欲しい」
…… どういうことだろう
彼は切ない声で、私に名前を呼んで欲しいと頼む。
「迎えに来るのが遅くなった…ごめん」
「あ… それは大丈夫です。何も無かったので…」
起きたのもさっきだし、特には… あったかな?ジークさんの事話した方がいいよね、そう思って話そうとした。
「大丈夫⁈ … シャーロットは僕と離れていても平気なの?」
エスター様の顔がぐっと近づいて来る。
「僕は」
部屋の窓は二つとも開いていた。
そこから夜風が強く吹き込んで、彼の綺麗な銀色の髪を揺らした。
彼の上着が風を孕んで…膨らみを帯びる。
ゾクリと体が震えた。
……匂いがする。
……彼とは違う
……甘ったるい女性の匂い
全身をゾワッとした嫌悪感が襲う。
咄嗟に私は力一杯エスター様を押し退けた。
「いやっ!」
「シャーロット⁈ 」
突然、拒絶されて彼は驚いている。
私は彼から距離を取ると、近くにあったクッションを抱きしめ顔を埋めた。
ドクドクと胸が痛いくらい鼓動が高まっている。
全身に鳥肌が立っている。
自分でも分からない。
なぜ…
ザワザワとした知らない感情が押し寄せて来る。
何故こんな事をしてしまっているのか…
分かっているのは…甘い匂いが嫌。
その匂いを付けている彼が嫌だ。
甘い女性の匂いを纏う彼に触れられる事が耐えられなかった。知らずに体が拒絶する。
あれだけ好意を向けられているのに…
いや、いるからこそ…
何故?
そんな甘い匂いを付けているの?
私の知らない匂いがするの?
彼は私だけを愛すると言っていたのに…
胸の奥に、初めて知る…これは嫉妬心?
出会ってそんなに時は経っていないのに
私は彼を自分だけの人だと思っている…
これが『花』だから…
互いに惹かれ合う存在だからなの?
…違う、私は…
「どうしたの?… 怒っている?僕が遅くなったから?」
「違う、違います」
顔を上げると泣きそうな顔をしたエスター様がいた。
彼は壊れ物に触れる様にそっと私に手を伸ばしてくる。その指先が触れる前に体は無意識のうちに彼から距離を取ってしまう。
「シャーロット… どうして?僕は… 君に触れたくて仕方ないのに、君は嫌なの?」
嫌じゃない、そう私は首を横に振る。
「じゃあどうして?僕を避けるの?… さっき押し倒したから… 怖かった?ごめん…もう、僕は……限界なんだ」
彼の瞳は悲しげに揺めき、私へと向けられた手は、そのまま強く握りしめられた。
「エスター様…」
「ーーだから、エスターと呼んでくれと言ってるだろう!」
歯痒そうに声を荒げるエスター様は、まるで駄々をこねる子供の様だった。
…… 私も同じだ…
甘い匂いがしたと言うだけ彼を避けているのだから……
でも
でも…
「… エスター……匂う」
ポツリと呟く様に言った。
…… 言ってしまった。
「……えっ?」彼は何を言われたのかわからないと言う顔をしている。
「匂う?匂うって…臭いの⁈ 」
はっ…と、彼はすぐに何かを思い出した様に
「やっぱり僕が悪い」
そう言うと、着ている服を脱ぎ出した。
次々と部屋の隅に服を脱ぎ捨てていく。
「きゃあ!」
私は慌てて抱いていたクッションに顔を埋めた。
自慢じゃないが男の人の裸など見たことはない。
それも、こんなカッコいい男性の…鍛え抜かれた体なんて。
ーーうっ、結構ちゃんと見てしまったわ…私。
「しっ、下は脱がないでっ!」
いや、裸にはならないよね?いくら何でもこんな場所で…って場所が違えばいいの?
私…ああ、もうっ!
「あ、うん…さすがにこの場所では、ね」
( ……ん?この場所では?)
いつのまにか私の側に来た彼に、クッションを取り去られ腕の中に抱きしめられた。
「もう、匂わない?」
「…う、うん」
( さっきの嫌な甘い匂いは殆どしないけれど、今度は違う匂いがする…何なの⁈ すごくいい匂い…)
「よかった、嫌われたのかと思った」
「…そんな」
「嫌われても、離さないけど」
エスターは私の肩に顔を埋めた
「はぁ……したい……」
「ーーふぇっ⁈ 」
( したい?したいって言ったよね?何…何を⁈ )
「シャーロット、好きだ」
ギュッと抱きしめられている腕に力がこもり、ちょうど背中の傷に当たった。そこからズキッと痛みが走る。
「いたっ…」
「はっ…ごめん、力が強すぎた?あ、もしかして傷?傷が痛むんだね⁈ ああ、もう僕何やって…」
そう言うとエスターは私を横抱きにした。
「僕に掴まって、今すぐサラの所へ連れて行くから」
( サラ?って…誰?)
彼は私を抱いたまま、トンと軽く窓枠に飛び乗ると、迷う事なくそのまま飛び降りた。
「………!」
私は落とされない様に、とにかく必死で彼にしがみ付いていた。上半身裸の彼の首に腕を絡めると、かなり密着してしまい恥ずかしさが恐怖を上回った。
彼はまるで羽根のように地上に降りる、とそこに一人の治癒魔法士の服を着た女性が立っていた。
塔の下で待っていた女性は、最初に私を治療してくれた命の恩人だった。
「城の治癒魔法士長のサラ・ドリンズよ、あなたがあの時のお嬢さんね」
「はい、あの時はありがとうございました。その…何も言わずに居なくなって、ごめんなさい」
「いいのよ、それより…」
サラ様は私達を見て( 特にエスターを…) 呆れた顔をしている。
「あのね、私もこういう事は言いたくはないのよ。でもね、人を待たせておきながらイチャイチャしてたんでしょ⁈ 挙句に何ですか、エスター令息のその格好は!まったく竜獣人は手が早いって本当よね!」
「いや、僕はまだ何も出来ていない」
「聞いてないから!聞いてやらないから‼︎ ほら、サッサと公爵家に向かいますよ」
「はい」
私達三人は、そこに待っていたレイナルド公爵家の馬車に乗った。
「だから!馬車に乗っている時ぐらい、彼女を離しなさい」
「嫌です」
「おばちゃんに見せつけるな!この若造めっ!」
「見なければいいでしょう?僕はもう離さないって決めたんだ」
「見るわよ、見るでしょう?こんな面白そうな二人が目の前にいるんだから」
「あなたが一緒じゃなければ、もっと…」
「いやーっ、若者はすぐそんな事ばっかり考える、いやらしいわっ!」
「いいでしょう?ただ膝の上に抱いてるだけなんだから。今、僕はかなり我慢してるんだ」
……恥ずかしいです。
私はあれからずっとエスターの腕に抱かれたままで( 離してもらえず ) レイナルド公爵邸へと向かっている。
馬車の中で、繰り広げられている二人の会話も、こうして抱きしめられている事も恥ずかしくて仕方ない。
けれど…
…同じくらい嬉しかった。
私を抱くエスターの腕はとても優しくて、伝わる熱は温かく心を包み込む。
こんなに大切に扱われるのは…
優しい腕に抱きしめて貰うのは
お父様とお母様が亡くなって以来だった。