離れても平気なの?
それは王族専用の馬車だった。
「エスター様!」
先頭に止まった馬車の中には、エスター様だけを見つめ笑顔を向ける王女様が乗っている。
「…… マリアナ王女殿下は何故ここに?」
エスター様は疑いの眼差しを向けている。
マリアナ王女様が男爵家を訪れるなど、不自然でしかないからだろう。
「エスター様を迎えに来たに決まっているわ」
「…… 僕は… 迎えなど頼んでいません、それに今日は大切な用事があります」
「その後ろに隠している娘の関係することでしょう?」
マリアナ王女様は扇子越しに私を見ると嫌な者を見る様に目を顰めた。
その顔を見たエスター様は王女様に睨むように鋭い目を向けている。
「まあ、そんな怖い顔なさらないで?私、その娘を、城の治癒魔法士の所へ連れて行ってあげようと思い来ましたのよ?」
( ……!治癒魔法士って… 王女様はあの時怪我をしたメイドが私だって知ってるの⁈ )
「それに、エスター様は私とお約束されていましたわね?」
「…… はい」
「それを今から果たして下されば良いのですわ。その間に、汚らしい傷を持つその娘を治癒魔法士に診せれば良いでしょう?」
ふふふ、とマリアナ王女様は笑うとエスター様に馬車に乗るように言われた。
「…… 分かりました」
エスター様は王女様と何かしらの約束があるのだろう、何か諦めた様に私の手を取ると、王女様の乗る馬車へと乗せようとした。
「ダメよ‼︎ 」
マリアナ王女様の強い叱責が飛ぶ。
「男爵の娘が?メイドなどをしていた者が、私と同じ馬車に?同席をとる⁈ ふざけないで欲しいわ!あなたは後ろの馬車に乗りなさい!」
「ならば僕も彼女と同じ後ろの馬車に乗る」
それを聞いたマリアナ王女様は扇子を畳むと掌に打ちつける。バシッという音に体がビクッと反応してしまった。
「…… そんな事を仰るならば、その娘を城の治癒魔法士に会わせる訳にはいかないわ、その傷は、あの者にしか綺麗に治す事は出来ないと聞きましたけれど… よろしくて?」
マリアナ王女様は、ゆっくりと諭す様にエスター様に言われる。
… どうやら私の傷の事でエスター様は何かしらの約束事をされた様だ。
彼と繋がれた手からは怒りの様な感情が流れ込んで来ていた。
「…… エスター様、私は大丈夫です。さすがに王女様と同じ馬車に乗る事は、畏れ多くて出来ません。私がもっと早くお伝えすべきでした」
私はエスター様に手を離して貰うと、王女様に頭を下げた。
「シャーロットは僕と離れても平気なの?」
急に切なげな表情を浮かべるエスター様
( …うっ、私が悪い事しているみたいだわ)
「あの… そうではなくて… お城迄の事ですし」
「僕は、ひと時も離れたくはないよ」
「…… あっ、あの」
凄艶な青い目で見つめられ、照れてしまった。
( …… ううっ、まだ全然慣れません。カッコ良すぎます!)
私達が馬車の前で話していると、バキッ!と何かの折れる音がした。見れば馬車の中から私達を見ていたマリアナ王女様の手に持つ扇子が真っ二つになっている。
「エスター様‼︎ 早く行きますわよ‼︎ 」
ーーーーーー*
エスターはシャーロットを後ろの馬車に乗せると、渋々マリアナ王女と同じ馬車へと乗り込んだ。
あの日、父から『花』の事を聞き、レオンと話を付けた後、エスターは、会いたい気持ちを胸に抱えて城へと急いだ。
しかし、シャーロットはマリアナ王女の命で解雇された後で、既に城には居なかったのだ。
直ぐに男爵家に向かおうとした矢先、マリアナ王女が目の前に現れた。
エスターは物干場で会ったメイドの女性こそが、自分にとって竜獣人が『花』と呼ぶ唯一の愛する人なのだとハッキリと王女に言った。
彼女しかもう見えないし、愛せない。
王女にはハッキリと言わなければ分かってもらえないと思い伝えたのだ。
それを聞いたマリアナ王女は青ざめていた。
ワナワナと震える手を押さえながら
「… 分かりましたわ… それならば私は貴方を諦めるしかありませんわね… 」そう言って、ホロリと涙を流して見せたマリアナ王女。
「…… エスター様ぁ」
「… 何か?」
「私、諦めますわ、貴方を諦めますから最後に一日だけ… たった一日でいいのです。恋人として過ごして欲しいのです」
侍女に手渡されたハンカチを目尻に当てながら、マリアナ王女は媚を含んだ目でエスターを見つめる。
しかし、エスターは王女に何の感情もない声で答えた。
「出来ない」
そもそも、エスター達は父から( 父は王から)頼まれて王女達と会っていたのだ。本来なら騎士としての仕事を優先したい所だが、仕方なく王女達との時間に当てなければならなかった。
それにエスターにはシャーロットという愛すべき人が見つかったのだ。嫌々会っていた相手などと、それも恋人として一日も過ごさねばならないなどとても考えられなかった。
その返事に、マリアナ王女はスッと表情を変えた。甘える様な顔が冷たく表情のない顔になる。
「…… その娘、まだ治癒が済んでいないのでしょう?体には醜い傷が残っているそうね」
その言葉にエスターはハッとした。シャーロットがあの時怪我を負ったメイドだとは話していない。物干場で会った事だけを言った筈だ。何故マリアナ王女は知っている⁈
「シャーロット・ディーバンでしたわね」
「何故、名前を…」
「うふふ… 私に付いている者達は優秀ですの、それに近衛の中に大変耳の良い者もおりましたのよ」
物干場に来た近衛の中に獣人がいたのか… 気が付かなかった。あの時僕は彼女に夢中だったし、王女の声も五月蝿くて…
「彼女に何かするつもりなのか?」
「まさか、そんな事をして何になると言うのです?ただ、私は貴方と最後に思い出が欲しいだけ、それだけですわ」
「私のお願い、聞いて頂けますわね?」
聞かなければシャーロットに何かするかもしれない、それに治癒魔法士に会わせる事も出来なくなりそうだ… エスターはそう考えて要求を受け入れる事にした。
「一度だけだ。半日だけ、それなら」
「ええ!十分ですわ!」
願いが聞き届けられ満足し、いつものように媚びる様な笑顔を見せるマリアナ王女。
最後だと思えば我慢できる。エスターはそう思った。
「… 話は終わった様なので僕はこれで失礼します」
今からシャーロットの元へ向かおうと、エスターは急ぐ様に挨拶を言って立ち去ろうとする。それをマリアナ王女は引き止める様に声を掛けた。
「そういえば、国境に魔獣が出たそうですわね、エスター様も直ぐに討伐に出られるのではなくて?」
「… 国境に魔獣?」
そんな事は聞いていない。と、エスターはマリアナ王女を見た。
いつもと違う表情を見せるエスターにマリアナ王女は嬉しさを隠せない。
「あら、たった今入った情報ですわ…… 残念ですが暫くは会えませんわね、私にも… ディーバンの娘にも」
ふふふと愉しげに笑うと、マリアナ王女は満足したのだろう、ようやく侍女を引き連れエスターの前から立ち去った。
エスターは王女の話した通り、それから直ぐに魔獣討伐へと向かう事となった。
魔獣の出た国境まで彼は単騎で向い、( 他の騎士達は彼の速さに追い付けなかった) 既に出発していたオスカーより先に現場へ到着した。
シャーロットに会いたいエスターの活躍で、あっという間に討伐は済んだ。
彼は帰るなりシャーロットの元へと向かおうとしたのだが
「今は行かない方がいい」
レイナルド公爵がエスターを止めた。
「何故ですか⁈ 」
「マリアナ王女の監視がお前に付いている、気づいていないのか?」
「そんなもの… 」
もちろん気づいているが、大した事はない。振り切るなど簡単な事だ、とエスターは思っていた。
それよりも会いたい、もう何日も姿すら見ていない。
「まぁ待て、後一日まてばレオンがディーバン男爵家に行く。お前もその時一緒に行けば良い。それに明日ドレスが届けられるからな」
「ドレス?」
「ああ、男爵夫人が嫁に出す為ドレスを頼んでいたから、ちょっと手を入れさせて貰ったよ。シャーロット嬢のドレスにはお前の色を入れておいた、楽しみにしていろ」
「僕の…色…」
会えるまで後一日… 一日も待たなければならないのか、エスターの顔からは落胆の色が隠せない。
エスターの落ち込む顔を見て… だろうな、と父ヴィクトールは思う。自分は出会って直ぐに連れ去りひと月以上も今の妻であるローズを誰にも会わせず手離さなかった。
…… 過去を思い出して一人ニヤける父。
まぁ、それを思えば息子は理性的だな… と考えながら、ヴィクトールはエスターに話を続けた。
「それから、城に現れた魔獣の事にどうやら王女達が関係している事が分かった」
「王女達が?」
「そうだ、三人の誰かが『魔獣術師』と関係を持っている様だ、今オスカー達が調べているが相手が王女達だからな、ちと厄介だ」
「王女が何故、危険な魔獣を城へと入れるのですか?」
あんな事が無ければシャーロットは傷を負わずに済んだのに… そうエスターは思ったが、あの事が無ければ未だに会えてはいなかったのかも知れない… そう考えると複雑な気持ちになった。
「魔獣を退治出来たのは、あの場所ではお前たちだけだ。大方、退治したお前たちに何だかんだと婚約を迫るつもりだったのだろう、現にそうなっていただろう? 王は、竜獣人には『花』がいる事を知っているのだがな、王妃と王女達には話していない。それが厄介事の要因でもあるのだが…」
「マリアナ王女には僕が話しました」
「… そうか、うむ…それが吉と出れば良いが」
「どういうことですか?」
「既にマリアナ王女の心はエスター、お前に向いている。それもかなり情熱的にだ。それが突然現れた『花』に奪われたのだ、女の嫉妬とは怖いものだぞ?嫉妬からくる怒りのその矛先は大概は同性に向くものだ」
「どうして?」
「その女さえ居なければ、自分を愛すると思うのでは無いのか?私は男だから分からんが…」
「まさか…」
あの時の父の言葉を、僕はそれほど大事に考えてはいなかった。