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そんな感じで、私たちの共同生活は連なっていった。
「38.2℃か」
重だるい気がして体温計を挟んでみたら、熱がある。
一応休めたら休むか、と会社に連絡を入れたら、今日は来なくていいと言われた。
「加奈子さん、大丈夫? 具合悪いの?」
再びベッドに戻った私に、人型に擬態したセツくんが話しかけてくる。
「頭、痛い」
熱があるせいか、立っているとぐるぐるする。
「セツくんに移っちゃったらどうしよう」
「そんなこと言ってないで布団入りなよ。僕はマンドラゴラだから移らないから」
お水飲んだほうがいいよ。とコップを差し出してくれるけれど、飲めるだろうか。
ちょっと飲んで、うっと詰まった私に、彼は心配そうな顔を向けてくる。
「人も水飲めないと干からびちゃうでしょ。薬は? ある?」
ふるふると首を振る。風邪なんて滅多に引かないから切らしていた。首を振るとさらに頭がぐわんぐわんして気持ち悪くなる。
「寝てれば大丈夫だと思うから」
私は、布団に入った。セツくんは、インターネットで調べたのかどこの知識か、タオルを濡らして額に乗せてくれた。気持ちがいい。
眠りに落ちて、目覚めるとまだ、体の不快感はあった。
「体温測ったほうがいいよ」
私の額に手を当てて、熱いといったセツくんは真面目な顔で促す。
「39.0 ℃か」
体温計を取り上げたセツくんは、何やら考え込んでいた。
「これ以上上がらないといいけど……」
久しぶりにこんなに高い熱が出た。医者に行ったほうがいいのは分かっているけれども、今歩いて医者に行くのは自殺行為だ。足に力は入らないし、途中で行き倒れる気しかしない。
「加奈子さん、苦しいよね……」
「セツくん?」
「僕が鉢を持って外に出れば買い物できるかもしれないけど、どうする?」
それは、助かるけど彼にもし何かあったら、と不安がよぎる。
もし、本体に何かあって戻ってこれなくても、加奈子さんのせいじゃないからなんて言われたら特に。
「それはいいから、ここにいてくれる?」
「でも……」
「セツくんがもし帰ってこなかったら、心配で寝てるどころじゃなくなっちゃうもの」
夜、私は悪寒と戦っていた。波の間をたゆたうように意識がはっきりとしない。ただ、セツくんが私の名を何度も呼んでいたのは分かった。
「加奈子さん、ごめん、口開けて」
言われて何かが口に突っ込まれる。噛むと苦くて甘かった。
「噛んで、飲み込んで」
きっと心配そうな顔をしているのだろう。私の目は開かなかったけれど、彼の綺麗な翠の目が見れないのが残念だなぁと思いつつ、私の意識は眠りに沈んでいった。
翌朝、昨日の熱が嘘のように身体が軽かった。仕事に行かなきゃ、と支度をしていると、ダメだよ、と声がかかった。
「加奈子さん、夜危なかったんだから。無理やり薬で元気にしたんだから、まだ動いちゃダメ」
「セツくん、薬って?」
昨夜押し込まれたアレのことだろうか。
「アレって何だったの?」
「マンドラゴラの葉だけど」
しれっと言われて驚愕する。
「それって、食べて大丈夫なの? というかセツくんは大丈夫なの?」
「ちゃんと治ったでしょ? 知識としてあるから、大丈夫だと思うけど、本調子じゃないの心配だから、今日一日は様子見てほしい」
とりあえず、会社にはまだ体調が悪いと連絡して、その日は休んだ。
結局、体調は前より身体が軽くて調子がいいくらいになっていた。
だから、私は気づかなかったんだ。セツくんの様子がおかしいことに。
夜、目がさめると、目の前にセツくんがいる。これは夢だ。イイ子のセツくんが、私のベッドサイドに立っているわけないもの。くらくらする、甘い草のにおい。それを口に入れられる。彼の唇が、噛んでと動く。私は、差し出されたその葉を噛む。甘い苦い。彼の指が私の唇をたどって……そして夢はそこで終わる。
背徳的だ。彼を拾ってから6ヶ月が経っていた。その夢を見るのはもう4回目だった。私は、彼のことを邪な目で見ているのだろうか。悩ましい。
家に帰ると、彼は今日も刺繍をしていた。その真っ直ぐな背を見て、だいぶ伸びたなと思う。彼は、成長している。人ではないくせに、声変わりが始まり、掠れた声をよく聞くと思ったら、一週間前くらい前に、低くて良い声に変わった。
「加奈子さん、おかえり」
相変わらずニコッと笑って迎えてくれるけれど、夢のこともあって、まっすぐその目を見れない。
私は、彼を男性として意識するようになっていた。
「ただいま」
手を洗って戻ると、彼が冷たいお茶の入ったコップを手渡してくれた。
指先がちょっと当たってドキッとする。
「加奈子さん、大丈夫?」
「なにが?」
しれっと聞き返す。彼は、私の様子がおかしいことに気づいている。
「最近僕の目見ないでしょ。何かしちゃった?」
「それは……」
セツくんは、私の目を覗き込んできた。罪悪感で耐えきれそうにない。
「ごめん」
「なんで謝るの?」
「だって、私、セツくんのこと……変な目で見ちゃってる。危ない人だよ。セツくん逃げなきゃ」
言ってしまった。私は顔を伏せた。どんなに酷いことを言われても仕方ない。そう思って。
「よかった……少しは意識してくれたんだね。僕、イイ子にしてたんだけどね。前に加奈子さんが熱出した時あったでしょう? あの時、ちょっと生理的反応で加奈子さんが好きって気づいちゃいまして……最近アピールしてました」
そういえば思い当たることがある。
「コップ渡してくれた時、指当たったのワザと?」
うん、と彼は困ったように笑う。
「ごめんね。嫌いになった? 出て行けって言うなら出て行くけど」
「それは……」
あなた、行くところないじゃない。
「加奈子さんの優しさに付け込んで、卑怯だって分かってる。でも、それでも僕はここにいたい」
その目を見てしまって、彼が本気でそう思っているのが伝わって、顔が熱くなる。
彼は、続けた。
「加奈子さんが、僕を恋愛対象に見ないのって、この外見だからでしょう? それは解決すると思うんだ」
どういうことだろうか。クエスチョンの顔をしたまま固まっていた私に彼は言った。
「マンドラゴラって不老長寿の薬って言われててね。僕らの身体もそれを象徴するように成長するはず。最盛期で身体の成長は止まるけど、加奈子さんの買ってきた成長促進の土のおかげで、ちょっと前より大分大きくなったと思わない?」
「確かに……」
もっと大きくなるから、待っててね。という彼に、私はさすが人外と思いつつ、楽しそうな姿に何も言えなかった。
彼に出会ってから4度目の春が来た。結論から言えば彼の姿は、23歳くらいの青年で止まった。あれからも、あのちょっといかがわしい夢をたまに見た。私は、彼に聞けば答えてくれると思いつつ、恥ずかしくて言えないままだった。
私は、今日アパートの契約が切れて実家に帰ることになっている。仕事は、当然辞めなければなかなかったが、大学を卒業してからずっと働いていたから、キャリアアップにはなったはず。心機一転になるかもと思っったのもあった。
「加奈子さんのご両親ってどんな感じなの?」
「父はもういなくてね、母がいるだけよ。私は全く植物に詳しくないけど、母は緑が好きで、庭は花だらけだったなぁ」
四年の間、電話はしたけれども、一度も帰っていない。
電車を降りて、バスに乗り継ぎ、ちょっと変わってしまった懐かしい道を歩く。
「あそこよ」
母方の亡き祖父が買ったという、こじんまりとした一軒家、そこが実家だ。
インターホンを押す。
応えは隣の敷地からあった。
「おかえり加奈子。お隣の魔女さんが、不思議なお花を育てててね。人面花っていうらしくて……」
「お隣って田中さんじゃなかったっけ?」
確かに美魔女さんだったけど、魔女って言う?
「やあねぇ、田中さんが魔女になったのよ。すごいわよねぇ」
ダメだ、話についていけない。母は昔から少しズレている。
「こんにちは、加奈子ちゃん」
「田中さん、こんにちは」
お隣の美魔女さんは、更に年齢不詳になっている。
全身黒づくめのその姿は本当に魔女みたいで、魔女というのもあながち嘘でもないのかもしれない。
「母が、いつもすみません」
「いえいえ。こちらこそ、楽しくお話をさせて頂いて。そうだ、加奈子ちゃん、植物に興味ある? 珍しい植物があるのだけど」
と言いかけた田中さんに、横から声が飛んでくる。
「お誘い有難うございます。残念ですが結構です」
これはもちろん私ではない。
「セツくん?」
あらあら、と母が言っている。
彼は失礼します、と私の手を引いた。
「ちょっとちょっと」
「加奈子さん、浮気はダメだよ」
セツくんはちょっと拗ねている。
「加奈子の彼氏さんかしら」
ゆったりと追ってきた母が尋ねる。
「彼は、マンドラゴラのセツくん。細かい話は家に入ってからでいい?」
私が早口に周りを気にしながら言うと、母はおっとりと笑って家に入れてくれた。
私は、今までの経緯を話す。正直信じて貰えるかなんてわからなかった。
でも、母はあっけらかんとしている。
「へえ、刺繍がお上手なのね。加奈子は裁縫が下手でね、知ってるわよね? もちろん」
お土産のくるみボタンの髪留めは、セツくんの渾身の刺繍入りだ。それを見ながらのほほんとお茶を飲む。
「信じたの?」
「あら、嘘だったの?」
本当だけど、釈然としない。仏頂面をしていると母は言った。
「もうあの日は七年もまえのことになるのね。お隣の田中さんも、あの日魔女になってしまったらしいわ。なんで、とかじゃなくて、そう理解したと言っていたし、セツくんのお話と似ているわよね」
「だから疑ってないの?」
「加奈子はそんな嘘をつく子じゃないわ」
そう言われてしまうと、何も言えないのだけれど。
「そうだ、セツくん、通信販売で物が売れるの知ってるかしら。これだけのクオリティがあればお金になるわよ。ハンドメイドっていうらしいわ」