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「お姉さん、僕を買ってよ」


少年は確かにそう言った。



 三年前のことになる。その日、世界は妄想に飲まれた——

 最初の異変は月だった。どこからともなくもう一つが現れ、月は二つになった。

 二つの月が動くのに危機感の薄い私たち日本人が順応した頃、それは起こった。

 二つの月が重なり合い、赤く染まる。ゲートが開いたのだ。そこからは、想像上の生き物が生まれた。


 彼らはいつの間にか地球に、元からいたかのように生活をし始めた。


 ゲートが開いたのはたった一日だったと言われている。しかし、それでも一夜にして、住んでいる環境は変わってしまった。


 夜になれば、魔女が飛び交い、山には鬼が出るという。




 仕事終わりの金曜日、私は、その日とても疲れていた。26歳、独身、彼氏なし。寂しくて、手のかからない植物でも買って帰ろうかなという気分だった。

 いつもの商店街を歩いて花屋に向かっていたはずだった。そうしたら、花屋の少し手前で14歳くらいの少年が出てきて、僕を買ってと言ったのだ。


「ええと、ごめんなさいね」

 面倒なのに引っかかった。この子、売春してるわけじゃないわよね? 人間? それとも、例のアレかしら……。もし、空想上の生き物だった場合、機嫌を損ねると危ないと言われていた。


 少年は、柔らかそうな茶色い髪に翠の瞳をしている。恐ろしく整った顔をしているし、人間じゃない、気がする。


「ごめんなさいね」

 そう言ってちょっと強引に振り切ろうとすると、あっさり前を譲ってくれた。


「いらっしゃいませ」

 花屋につくと、サボテン・多肉植物という棚を探す。丸っとした可愛いフォルムの植物を手に取った時だった。


「お姉さん、多肉植物は夏ダメになっちゃうかもよ?」

 さっきの少年だ。

「おすすめはこれかな」

 少年は、鉢を一つ棚から取ってくる。

「これは?」

 見たことのない植物だった。取扱注意と書いた札が貼ってある。


「マンドラゴラでございます」

 店員のお姉さんが無機質に説明してくれる。

「マンドラゴラ?」


 聞けば、縁起物で煎じれば長寿の薬になるとか言っていた。

 多年草と聞いて、いいなと思った。すぐ枯れてしまうのは寂しかったから。


「じゃあ、これください」

「ありがとうございます。植え替えの際は、耳栓をご利用ください」


「耳栓?」

 店員さんはそれだけ言った。植え替えに耳栓とは聞いたことない。詳しく聞きたかったけれども後ろのお客さんがイライラしたように待っていたので、帰ってから調べればいいか、と店を出る。



「またね、お姉さん」

 少年は笑顔で手を振っている。なんだ、花屋の子だったのか。


 Bluetoothイヤホンをして、音楽をかけ、暗くなった道を家まで歩く。

 後ろに人影があったので、避けようとした時だった。


 右手に持っていた鞄と鉢の入ったビニール袋が前に引かれた。走っていく男に思い当たる。

——引ったくりだ。


「ちょっと、待ちなさい! 返して!」

いや待たれても怖いな。声をかけたのは間違いだったか。


 男は、叫ばれるのが嫌だったのか、重いから要らないと思ったのか、鉢の入ったビニール袋をこちらに向かって放り投げる。


 当たったら危ないとかよりも、反射的に身体が動いて受け止めようとしてしまったけれども、どこからともなく伸びた手に腕を掴まれて、安全な場所に引っ張られる。その手に、イヤホンの上から耳を塞がれた。


鉢は盛大に砕け——

「アンギャァァァ!」


凄まじい音が響き渡った。

なんだなんだと近くを歩いていたらしい人が、こちらを恐る恐ると言った風に覗いている。


「ひぃぃぃ!」

鞄をを放り出し、咄嗟に耳を抑えた男は一目散に逃げて行った。



「危なかったね。お姉さん」

気がつけば、さっきの少年が投げ出された鉢の袋を拾っている。


「ちょっとあなた……私の後、つけてきたの?」

「やだなぁ、お姉さんが僕を買ったんでしょ」


少年は、マンドラゴラを持っている。さっき耳を塞いだのは彼か。にしても……

「あなた……もしかして人じゃないの?」

「そうそう。僕マンドラゴラだから」


「その姿は?」

 彼は姿を消したり、出したりしている。

「うーん。僕らは擬態って呼んでるけど、便利でしょ? 人みたいで。ほらマンドラゴラって薬の材料になるから乱獲されると困るじゃない? だから進化したんだと思ってる」


 あなた、売られてるじゃないという言葉はかろうじて飲み込んだ。彼にも事情があるのかもしれないし、突っ込まれたくないかもしれない。


「僕、水と日光で育つし、手軽だよ? できれば買ったんだし、捨てないでくれると助かるんだけど」


 どう? と至近距離で覗き込まれて、思わず身を引く。美少年のドアップは心臓に悪い。犯罪者にでもなった気分だ。


「……とりあえず家にいきましょ。今日は泊めるわ。どうせ一人だから話し相手にでもなってくれる?」

「優しいんだね。お姉さん」


加奈子かなこよ」

「加奈子さん?」

あなたは? と促すと、小さな声でセツと言った。


「セツくんか。よろしくね」



住んでいるのは駅から少し離れた、古めのアパートだ。

駅近の物件より落ち着けるし、広めなのが気に入っている。



「本当に水しか飲まないの?」

私は、セツくんと向かい合ってご飯を食べていた。もっとも食べているのは私だけだけれど。彼は水をちびちびと飲んでいる。


「マンドラゴラだから」

彼はニコニコとしている。それからちょっとだけ眉眉間にしわを寄せて、困ったようにこう言った。

「にしても、加奈子さん、不用心。 連れてきてもらってありがたいけど、人をそんなに簡単に信用したらダメだと思う」


 私だって、この子がもう少し歳が上だったら家に入れなかった。14歳くらいというのが庇護欲を誘った。なんか、放り出したらいけない気がしてしまったのだ。


「僕、イイ子だから、夜は人型にはならないから」

 それは正直助かる。ありがとう、と言うと、彼は驚いたような顔をしてどういたしまして、とへにょりと笑った。その姿は消えていく。


彼は本当に人間ではないのだ。



 次の日、休みだった私は、セツくんを誘って100円ショップを訪れていた。割れてしまった代わりの植木鉢を買うためだ。本体が近くにないと、擬態の人型は動けないと言うことで、ビニール袋に入れたままの、マンドラゴラを片手に持って。


「どれがいい?」

「加奈子さんの植物なんだから、加奈子さんが選んでよ」


 私は軽い焼物風の植木鉢を手に取った。ドンブリくらいのサイズ。最初に植わっていたものはもっと小さかったけれども、人型を見てしまうと、あんまり小さいのもなんだか窮屈で可哀想な気がしてしまって。ついでに栄養のある土も買っていく。


 セツくん曰く、命の危険がなければマンドラゴラが叫ぶことはないらしく、新しい鉢に無事植え替えることができた。


「土、ありがとう」

セツくんが言う。たった一日の間だったけれども、彼が人間でないことは疑いようがない。


「セツくん、行くところないの? なんでお店で売られていたの?」

言いたくなかったら言わなくていいよ。と前置きして私は聞いた。


「んー、言っても信じられないと思うけど」

それでもいいから、話して、とお願いする。

「ダメ?」



「加奈子さんならいいけど……三年前、普通の多肉植物だった俺に、自我が生まれてさ、唐突に理解したんだよね。マンドラゴラだって。形も全然変わっちゃうたしさ。誰に聞いたわけでもないし、でも確かに僕はマンドラゴラなんだって話、信じられないでしょう?」


「確かに……それはちょっと信じられないけど……多肉植物って根っこがメインではないわよね?」

「ほらね。意味不明の植物として処分されそうになったから、一生懸命アピール? プレゼン? してあの花屋に卸してもらったわけ」


 彼は笑っているけど寂しそうだった。うっかり私は想像してしまった。それ、本当だったらメチャメチャ波乱万丈な人生(人じゃないけど)じゃない。


「わかった。好きなだけ家にいなよ」

しばらくして私が弾きだしたのは、ちょっと頭がおかしい回答だったかもしれないけど、こんな行くあてのない少年を外に放り出すなんて、私は許せなかった。


「いいの? ありがとう、加奈子さん」




 彼は、意外と器用だった。味見もできないと言うので、料理はさせなかったけれど、掃除をしたり、なにより裁縫がやらせてみたらハマってしまって、私は100円ショップに糸を買いに走った。


 私は、壊滅的に不器用だったので、外れたボタンを直すのに苦戦していた。でも、それを見ていた彼が貸してと言うので渡したら、きちんと綺麗につけてくれたのだ。

 その流れで、ハンカチと刺繍糸というものを買ってみた。セツくんは多分暇してるし、暇つぶしになればいいかなくらいの感じで。


「ごめん。ちょっとやりすぎたかな? 初めてだったから加減がよくわからなくて」

「いやいや、すごいねセツくん。才能でしょこれ」


帰宅した私は、すっかり別物と化したハンカチを眺めながら感嘆する。無地だったはずのハンカチがフローラルになっている。インターネットしか見ていないはずなのに、どうやったらこんな花の刺繍が……。


「花屋に居たからね。多少は花も見たし」

照れたように言葉を濁す。


「ねえ、これもらってもいい?」

「どうぞ。普段使いするには派手すぎる気がするけど」


「いいの。記念だもの。ありがとう」



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