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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第9章「学園祭編」
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【9ー7】最高の演出

 エリアーヌには、二つの誤算があった。

 一つ目の誤算は、魔術の素人であるエリアーヌが放った風の魔術は、舞台の火薬を倒すのみにとどまらず、僅かな火に酸素を送り込んで炎にしてしまったこと。

 そして二つ目の誤算は、この場に無詠唱魔術の使い手である〈沈黙の魔女〉がいたことである。



 * * *



 エリアーヌが舞台の上で風の攻撃魔術を詠唱していることに気づいたモニカは、咄嗟の判断に悩んだ。

 エリアーヌが何を狙っているのかが、モニカには分からなかった。そもそもモニカは、舞台に演出用の火薬が設置されていることを知らない。

 ただ、エリアーヌが誰かを攻撃しようとしていることだけは察し、モニカはエリアーヌの視線の先を追いかけた。彼女が詠唱を口にしながら目を向けていたのは、舞台下。

 もしかして、エリアーヌはグレンを狙っているのではないか? そう判断したモニカは、咄嗟にグレンの周囲に簡単な防御結界を張り巡らせる。

 結果としてそれは、グレンの身を救った。

 エリアーヌの風の魔術で、演出用火薬の僅かな火は大きく膨れ上がり、炎となってグレンに襲いかかったのだ。もし、モニカが防御結界を張っていなかったら、グレンは大火傷だ。

 事情を知らない観客達には、このわずか数秒の出来事が、全て演出に見えていたらしい。

 アメーリアの防御結界が、ラルフを暗黒竜の炎から守ったのだと。

「はて、今のは火薬だけでなく、魔術ですかな?」

「本物の魔術を使った演出とは、今年の劇は凝ってますなぁ!」

 観客達は呑気に感心しているが、モニカはそれどころではない。舞台の上の非常事態はまだ終わっていないのだ。

 火薬の火は魔術的な火とは違い、空中で長時間燃え続ける性質のものではない。それでも、何かに燃え移れば話は別だ。そして、舞台の上には紙や木などの燃えやすい物が多い。

 モニカは全ての意識を集中して、それらの鎮火に努めた。

 火を消すには水をぶちまけるのが一番手っ取り早いが、それだと魔術を使ったことがバレてしまう。

 故に、モニカは飛び散った炎全てを、小さい結界で包み込む。〈螺炎〉の鎮火と同じだ。酸素を通さない小型の結界の中で、炎はみるみる内に消えていく。

 隣に座るフェリクスは真剣な目で舞台を見ていた。隣に座るモニカが、舞台の消火活動に奮闘しているとも知らずに。

(残っている火の粉は、あと幾つ──っ!?)

 その時、舞台の右端で「きゃぁっ!?」と甲高い悲鳴が響いた。エリアーヌが立っている崖を模したセットが傾いている。セットを支える柱の一つが、今の火で焦げて崩れかけているのだ。

(──いけないっ!)

 あのセットが崩れ落ちたら大惨事だ。セットの上にいるエリアーヌも、その下にいるグレンも。下手をしたら観客席にも被害が及ぶ。

 モニカはセットが崩れた瞬間に、周辺の人を保護する結界を張ろうとした。だが、モニカが同時に維持できる防御結界は二つまで。

 エリアーヌ、グレン、観客席──手が足りない。

 モニカが判断に悩んだ数秒の間に、更に事態は悪化した。風向きが変わり、演出用火薬の煙が舞台の上を一時的に覆い隠してしまったのだ。これではグレンとエリアーヌの正確な位置を把握できない。

 煙の向こう側で、メキメキと木の折れる音が聞こえた。もう時間がない。


(──駄目、間に合わないっ!)


 モニカが青ざめたその時、煙の中から何かが飛び出してきた。

 それは、エリアーヌを横抱きにしたグレンだ。グレンは飛行魔術でエリアーヌを助け出し、煙の外に飛び出して、上空に移動したのだ。

 滅多にお目にかかれない飛行魔術に、観客席がざわつく。

(今しかない……っ!)

 モニカは崩れ落ちるセットが観客席に飛び散らぬよう、素早く防御結界を張る。幸い目に見える範囲で、火の手が上がっているところはない。

(ま、間に合ったぁぁぁ…………)

 モニカはバクバクとうるさい心臓を制服の上から押さえ、こっそり冷や汗を拭った。



 * * *



(なに? なに? なにが起こっているの?)

 グレンに横抱きにされたエリアーヌは、ただただ混乱していた。

 自分はちょっと火薬を倒して、グレンを驚かせてやろうとしただけなのに、火薬の火は膨れ上がり、セットの一部を焦がしてしまった。

 そうして焦げてしまったのが、運悪くエリアーヌが立っていた崖のセットだったのだ。

 エリアーヌが立っていたのは、言うなれば簡易なやぐらだ。柱が折れれば、当然倒壊する。

 だが、エリアーヌが地面に投げ出される直前、地面に叩きつけられるのとは違う衝撃が、エリアーヌを襲った。

 ぼふっ、と音を立てて誰かの胸板がエリアーヌの頬に当たる。力強い腕がエリアーヌを抱き上げる。

 目の前は煙で曇って何も見えない。コホコホと咳き込みつつ、辛うじて目を開けると──そこには、青空が広がっていた。

「…………え」

「ふぃー……間一髪っス!」

 その声は、ギョッとするぐらい近くから聞こえた。そこでようやくエリアーヌは、自分がグレンに横抱きにされていることに気づく。

 しかも、グレンの体は抱き上げたエリアーヌごと宙に浮いているのだ。

(なに? なにこれ? なんなの??)

「危ないから、しっかり掴まってるっスよ!」

「あ、あ、あなた、これは……これは……っ」

「飛行魔術っス! いやぁ、しかし、こんな演出があるなんて、初めて聞いたっスよー。監督さん、説明が足りなすぎっス!」

 どうやらグレンは、この非常事態も演出の一環だと思っているらしい。

(こんな演出があるわけないでしょう!?)

 眼下の舞台は煙が晴れ、惨状が明らかになっていた。エリアーヌが立っていた崖のセットはバラバラに崩れて舞台に散らばっている……が、幸い、観客席にまで被害は及んでいないらしい。暗黒竜のハリボテも無事だ。

 そのことにエリアーヌがこっそり胸を撫で下ろしていると、グレンはペロリと舌舐めずりをした。

「さーて、ここらでいっちょ、仕上げといくっスよ」

「……は? え?」

「ちょっとギュギューンと飛ばすんで、しっかり掴まっててほしいっス!」

 そう言うと、グレンの体は舞台に向かって一気に急降下を始めた。エリアーヌは大慌てで、グレンの首根っこにかじりつく。こんな男にしがみつくなんて不本意極まりないが、そうでもしないと体勢が安定しないのだから仕方がない。

 グレンは舞台すれすれまで下降し、舞台の上に投げ捨てられたラルフの剣を右手で拾い上げる。そうして、左手にエリアーヌ、右手に剣を握りしめたまま、グレンは飛行魔術でハリボテの竜の頭上まで飛翔した。


「『これで終わりだ、暗黒竜!』」


 ラルフの剣が竜の眉間を貫く。

 竜のハリボテを動かしていた者達は、竜の断末魔の声をあげ、そして舞台袖へと引っ込んでいった。


「『──かくして、英雄王ラルフは暗黒竜を退治し、支配されていた土地を解放したのです』」


 ナレーター役の生徒がすかさずそう読み上げれば、観客席はワッと盛り上がった。

 英雄王ラルフが飛行魔術を使ったなんて記述は、どの歴史書にもない。それでも、グレンの飛行魔術は演出として非常にインパクトがあった。

 舞台に向けられる拍手は前半の時の比ではない。誰もが舞台に夢中になり、そして歓声をあげている。

 エリアーヌはハッとした。そうだ、まだ自分の台詞が残っている。

 ラストシーンでアメーリアはラルフを称賛し、そしてその頬にキスを贈るのだ。

 フェリクスではない男にキスを贈るなど、たとえ演技だとしても不愉快極まりなかった。それでも己の役目は果たさねばならない。

 エリアーヌはこみ上げてくる怒りと不快感を腹の底に押し込め、その顔に美しい笑みを浮かべた。

「『あぁ、ラルフ様に精霊の祝福を……』」

 グレンに横抱きにされたまま、エリアーヌはグレンの頬にキスをしようとした。勿論寸止めにするつもりで。

 だが、エリアーヌが唇を近づけると、グレンはサッと首を傾けてエリアーヌから遠ざかる。

 そうしてグレンは、唖然としているエリアーヌの耳元で小さく囁いた。

「そういうのは、好きな人にとっとかないと、ダメっスよ」

 エリアーヌは白い頬をサッと薔薇色に染めて俯く。

 観客達にはエリアーヌが恥ずかしさ故に俯いたように見えただろう。事実、彼女の体は小刻みに震えている。

 だが、エリアーヌの中を渦巻いているのは、羞恥心ではない。純然たる怒りだ。

(……わたくしが、このわたくしが、嫌々キスをしてさしあげてるというのに、それを拒んだ? たかだが代理役風情が?)

 怒りのあまり、頭の奥でパチパチと火花が散りそうだ。


(……わたくしに恥をかかせたわね。許さない。絶対に許さないわ、グレン・ダドリー)


 盛大な歓声の中、エリアーヌは暗い怒りの炎を静かに燃やしていた。

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