【9ー4】華の無い舞台
バーニーと別れたモニカが校門付近に向かうと、すぐにラナは見つかった。ラナのそばには恰幅の良い中年男性が佇んでいる。彼がラナの父親のコレット男爵だろう。
「モニカー! こっちこっち!」
モニカが小走りでラナのもとに駆け寄れば、ラナは上機嫌に自身の父を紹介する。
「わたしのお父様よ。お父様、この子がモニカ。いつも手紙に書いてる子」
「おぉ、君がモニカ君か。初めまして、ラナの父です」
コレット男爵は口髭を弄りつつ、ニコニコと愛想良くモニカに笑いかけた。
コレット男爵は恰幅の良い中年男性だが、亜麻色の髪はラナとよく似ている。身につけている物は華美ではあるけれど、不思議と下品な感じはしない。恐らく組み合わせ方が上手いのだ。
そういう洒落者なところも娘にそっくりだった。
モニカは緊張しつつも、失礼の無いよう懸命に言葉を絞りだす。
「あの、ラナにはいつも、良くしていただいて……っ」
「いやいや。こちらこそ、娘と仲良くしてくれてありがとう…………ふむ」
コレット男爵はふっくらした顎を撫でると、目を細めてモニカを見た。その表情は、モニカの服装や髪型をチェックする時のラナによく似ている。
「なるほど手紙で見た通り……うん、ラナが十二歳の時のドレスなら、あの若草色のが一番映えそうだ。あぁ、仕立て直したドレスはラナの部屋に運んでおいたからね。あとで確認しておくれ」
どうやらラナは、今夜の舞踏会でモニカに貸すドレスの仕立て直しを、父親に依頼したらしい。
コレット男爵は娘を見て、少しだけ得意げな顔をした。
「あのドレスは、この年頃の子が着るには肩周りのフリルが子どもっぽかっただろう? だから、針子に指示して袖を落とし、上半身はスッキリしたデザインにしてみたんだ。その代わり、腰に大きめのリボンをつけて、そこから斜めにフリルとドレープが流れるようにして、ボリュームを出してみたよ」
「そうなの、そうなの! 最近はドレープの凝ったドレスが流行してて……!」
「だろう? だろう? 我ながら良い仕事をしたと思うよ。期待していておくれ」
「さすがパパだわ!」
「ちなみに余った生地でリボンを作らせたんだ。髪に編み込んでみたら素敵だと思わないかい」
「素敵! 絶対それやるわ!」
ラナとコレット男爵の会話の内容がモニカには殆ど理解できなかったが、どうやらラナのお古のドレスにコレット男爵が色々と手を加えてくれたらしい。
それにしても、この手の話題で盛り上がっているところが、なんとも父娘である。
コレット男爵が娘を見る目は、とても優しい。コレット男爵が一人娘に深い愛情を注いでいることが、そばにいるだけで伝わってくるようだ。
(…………お父さん)
流行に疎く社交的ではなかったモニカの父と、ラナの父親は似ても似つかない。それでも、娘に向ける優しい眼差しは同じなのだ。
モニカは懐かしくも切ない気持ちで、父娘のやりとりを静かに見守った。
* * *
モニカはコレット父娘と共に、野外舞台の演劇を観に行くことにした。
劇はこの学祭の最大の目玉と言っても良い。まだ開演まで時間があるのに、用意された椅子は殆ど埋まっている。
中には校舎のバルコニーや窓から見ている者もいた。
空いている席にモニカが座ると、小鳥に化けて待機しているリンの声が響く。
『第二王子が着席されました。〈沈黙の魔女〉殿の斜め前方の席です』
モニカは不自然でない程度に目線だけを動かして、フェリクスの位置を確認した。
フェリクスは前方の特等席で、迎賓らしき貴族達と共に着席している。
更にリンの言葉は続いた。
『それと、一般客に紛れ込んだルイス殿が……』
(ルイスさんが……?)
『〈沈黙の魔女〉殿の、真後ろにいらっしゃいます』
「へぁっ!?」
思わず奇声を漏らすと、背後から椅子を蹴られた。モニカがひぃっと息を飲んで恐る恐る振り向けば、リンの言う通り、モニカの真後ろの席に〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが足を組んで座っている。隣には妻のロザリー夫人も座っていた。
ルイスはモニカと目が合うと、ニコリと美しく微笑む。
「失礼、椅子に足がぶつかったようで」
「い、いえ……」
モニカがぎこちなく前を向けば、ラナがモニカの腕をつついて、小声で耳打ちした。
「ちょっと! 後ろに座ってるのって、七賢人のルイス・ミラー様じゃない!」
「……あ、えっと……」
「竜殺しで有名な人よ! すごいわ、すごいわ。こんなところでご本人に会えるなんて……!」
ラナの声は興奮に弾んでいる。
ルイスは竜討伐の実績がずば抜けて多いので、七賢人になる前から国内で注目されている魔術師だった。
その実力もさることながら、美しい容姿も女性の目を惹くらしい。
七賢人の名前を全員挙げろと言われたら、一番目か二番目に名前が挙がるのがルイス・ミラーであった。ちなみに〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは「七賢人の七人目って誰だっけ?」とよく言われる影の薄さである。
ラナは自分の隣に座っているモニカがルイスと同期の七賢人とは露知らず「すごいすごい!」とはしゃいでいた。
(ううう、どうしてルイスさんが、わたしの真後ろの席に……っ)
モニカがキリキリする胃を押さえていると、リンの声が聞こえた。
『ちなみに、先に着席していたのがルイス殿です』
(あうっ……!)
つまり、先ほど椅子を蹴られたのは「なんでよりにもよって私の前に座るんですか、馬鹿娘」というルイスのメッセージというわけだ。
(ごめんなさい、ごめんなさい、偶然なんです、気づかなかったんですぅぅぅう)
モニカはシクシクと痛む胃をなだめながら、劇が始まるのを待った。
やがて、舞台の幕が上がった。
劇の内容はこのリディル王国の初代国王ラルフの物語。この国の人間なら誰もが一度は聞いたことがある、有名な建国物語だ。
かつてこの土地がまだ「国」という体をなしておらず、七つの部族が争い合っていた時代。
地の部族の青年ラルフは地の精霊王アークレイドから「七つの部族を統合せよ」と命じられ、長い冒険の果てにそれを成し遂げる。そして、最後は竜の棲まう土地の暗黒竜を倒し、そこに「リディル王国」を築くのだ。
物語は結構な長さがあるので、七つの部族の統合に至るまでの冒険と最後の竜退治とで、前後編に分けて舞台は行われる。
主人公のラルフ役は背の高い金髪の男子生徒だ。本当はフェリクスに白羽の矢が立っていたらしいが、生徒会長は多忙なので辞退したらしい。
「あぁ、ラルフ様、どうかわたくしもお連れくださいませ。例え、我が水の部族の掟に反することになろうとも、わたくしは貴方様に一筋の光を見出したのです」
主人公のラルフにそう語りかけるヒロイン、後にラルフの妻になるアメーリア役は、どこか儚げで可憐な令嬢だった。
陶器のように白い肌に、ふわふわと柔らかな小麦色の髪。大きな瞳は淡いブルーグレイだ。
彼女がブリジットとクローディアに並ぶ学園の三大美人の一人、エリアーヌ・ハイアットというのだと、ラナが小声で教えてくれた。
小柄で華奢で、どこか儚げな印象は、華やかなブリジットや神秘的なクローディアとはまた違った雰囲気だ。
やがて劇が進んでいき、主人公のラルフは七つの部族を統一して、七人の精霊王の加護を得る。
だが、劇が進むほど観客の反応がダレてきているのが肌で感じられた。観客達の中には談笑に夢中になる者や、席を離れていく者も少なくはない。
長い劇ではあるが、芝居の台本自体は決して悪くはないのだ。長い原作を上手くまとめているし、見せ場も分かりやすい。
舞台装置は凝った作りをしているし、花火の演出も華やか。衣装だって、古典衣装を上手く現代風にアレンジしていて見栄えが良い。
──ただ、どうしても役者に華が足りないのだ。
主人公のラルフ役の男子生徒は、立ち回りはそれなりに様になっているが、台詞があまり上手くなかった。滑舌が悪く、声の張りが足りないのだ。だから、世間一般の「雄々しい英雄王」というイメージに届かない。
それは、アメーリア役のエリアーヌにも同じことが言える。
アメーリアは強く気高く美しい女性だ。だが、それを演じるエリアーヌは儚げでか弱い、いかにも守ってあげたくなるような深窓の令嬢である。
エリアーヌの演技が下手なわけではないのだが、強く気高いアメーリアのイメージには程遠い。言ってしまえば、完全にミスキャストである。
やがて前半の舞台が幕を閉じ、観客達は拍手を送る。まばらな拍手というわけではないのだが、観客達の反応に、舞台に対する感動はなかった。
誰もが知っているお決まりの物語を、名のある貴族の子息と令嬢がそれを演じたから、拍手は送られるのだ。
──やっぱり、ラルフ役は、殿下こそ相応しい。
──アメーリア妃役は、ブリジット様にすれば良かったのに。
──エリアーヌ様は、巫女役の方が良かったでしょうにね。
──あぁ、殿下が演じるラルフが見たかったわ!
そんな声が、そこかしこから聞こえてくる。
(やっぱり、殿下とブリジット様って、お似合いなんだなぁ……)
華やかな美貌のフェリクスとブリジットは、並んで座るだけで絵になるのだ。
なによりフェリクスの堂々とした振る舞いと、ブリジットの凛とした雰囲気は、どちらもラルフとアメーリアのイメージにピタリと合う。
あの二人が舞台に上がっていたら、きっとこの拍手の質も変わっていた筈だ。
「モニカ、劇の後半まで少し間があるから、軽く何かを食べに行きましょうよ」
「あ、うん」
ラナに促されて立ち上がったモニカは、首を捻ってフェリクスを探したが、フェリクスの姿は人混みに紛れ、すっかり見えなくなっていた。
* * *
「エリアーヌお嬢様、とても素晴らしい舞台でしたよ」
舞台裏に下がったエリアーヌに、使用人達が口々に声をかける。
エリアーヌはどこか心ここにあらずと言った表情で「そう」と短く相槌を打ち、羽織っていたベールを使用人に押しつけた。
舞台の上から観客席はよく見える。彼女が最も執心している人物──フェリクス・アーク・リディルの姿も当然に。
エリアーヌは演技の最中も常にフェリクスを目で追いかけていた。ラルフに告白するシーンでは、演技指導の指示を無視して、フェリクスの方を向いて演技をしたぐらいだ。
フェリクスは確かに観客席からエリアーヌを見てくれた……けれど、その目は舞台の役者としてしかエリアーヌを見ていなかった。
それは、ラルフ役や他の端役を見るのと同じ目だ。エリアーヌだけを見ていたわけじゃない。
(そんなのおかしいわ。だって、あの方はいずれ、わたくしの夫となる方なのに)
エリアーヌはどこか夢見るような表情で、切ない溜息をこぼす。
(こんなのいけないわ。フェリクス様はわたくしだけを見ていてくれないと……もっともっと、わたくしだけを愛してくれないと)
フェリクスと同じ舞台に立ちたくて、何度も監督役にフェリクスを主役にとねだったのに、とうとうエリアーヌの希望は通らなかった。
生徒会が忙しいからという、素っ気ない理由で。
(わたくしはもっと愛されてないといけないの。だって、大伯父様がそう仰ったのだから、フェリクス様はもっともっと、わたくしを愛さないといけないわ。そうするべきだわ)
エリアーヌは使用人達を適当にあしらい、一人、舞台の端に向かった。舞台の端にはバルコニーを模したセットがある。観客席からは見えない舞台端の梯子を上ると、このバルコニーに移動することができるのだ。
エリアーヌは梯子に手を添えると、短く呪文を詠唱する。そんなに大した術ではない。ほんの少し、木の板に亀裂を入れるだけの風の魔術だ。
やがてエリアーヌは梯子から手を離すと、小麦色の髪に挿していた髪飾りを抜き取り、舞台上のバルコニーに放り投げた。
そして、ラルフ役の男子生徒が近くを通ったところで、悲鳴を上げてみせる。
「きゃっ!」
エリアーヌの悲鳴に気付いたラルフ役の男子生徒は、すぐに「どうしたのですか!」と駆け寄ってきた。
エリアーヌは涙に潤む目で、バルコニーの上を指さす。
「鳥が……わたくしの髪飾りを取ってしまって……バルコニーに」
「おやおや、きっとその鳥も、エリアーヌ嬢にかまってほしくて悪戯をしたのでしょう」
その男子生徒は快活に笑い、バルコニーに繋がる梯子をスルスルと上り始める。エリアーヌに良いところを見せようとしたのだろう。
だが、バルコニーまであと少しといったところで、男子生徒が足をかけていた梯子に亀裂が入る。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
男子生徒は助けを求めるように、空中に手を伸ばした。だが、その手を掴む者は誰もおらず、その体は真っ逆さまに床に叩きつけられる。
エリアーヌは両頬に手を添えて、絹を裂くような悲鳴をあげた。
「きゃああーーーー! 誰かっ、誰か来てーーーっ!」




