【番外編6】アシュリー兄妹のお茶会
シリル・アシュリーは基本的に茶会の類を率先して行う人間ではない。だが、学祭二日前のある日、彼は学園内にある個室のティールームを一部屋借りた。
招待されたのは、彼の妹のクローディア・アシュリーただ一人。
この兄妹、どちらも仲良く和気藹々とお茶会をするような性格ではない。つまるところ、これはお茶会という名目の密談である。
クローディアもそのことを理解しているのだろう。彼女は静かに紅茶を一口飲むと、美しい顔に心の底から面倒臭そうな表情を浮かべて言った。
「……それで、私に何をさせたいのかしら?」
話が早くて結構である。
シリルとしても、ダラダラ世間話をする気はなかったので、クローディアを呼んだ理由を簡潔に口にした。
「お前のドレスを貸してくれ」
クローディアは紅茶のカップを持ち上げた姿勢のまま、たっぷり十秒間沈黙した。その間、瞬き一つしないものだから、シリルは蝋人形と向かい合っているような不安に見舞われる。
そうして兄の不安を存分に煽った後、クローディアは一言告げた。
「……お兄様に女装癖があったなんて知らなかったわ」
ここで怒鳴り散らして席を立てば、クローディアの思う壺である。
シリルは怒鳴りたくなるのをグッと堪え、頬をひくつかせながら言った。
「何故、私が着ることが前提になっている」
「あら、ご存じないの? 学祭の劇のヒロイン、初代国王妃アメーリア役に誰が相応しいかの学園内秘密投票の結果、第一位がブリジット・グレイアム………………第二位がお兄様よ」
「なん、だと……っ!?」
初耳である。
絶句するシリルの向かいで、クローディアは見る者の不安をかきたてる、意味深で不気味な笑みを浮かべた。
「ちなみに三位が私……正直、こんなものにランクインしても、嬉しくもなんともないけれど、二位、三位にお兄様と私の名前が並んでいた時は、笑いが止まらなかったわ」
そう言ってクローディアは、美しくも心無く笑った。
そんな投票が密かに行われていたことも知らなかったシリルは、ギシギシと歯軋りをする。
まぁ、投票結果がなんであれ、生徒会役員であるブリジットとシリルは舞台に立つ余裕など無いし、クローディアはその性格上、劇に出るはずもない。
それで最終的に、四位になったエリアーヌ嬢が王妃役に選ばれたのだろう。エリアーヌはフェリクスの遠縁の令嬢で、ブリジット、クローディアと並ぶ学園三大美人の一人である。
だが、エリアーヌはどこか夢見がちで、繊細で儚げな令嬢だ。
強く気高く賢い女性であった初代国王妃アメーリア役が適任かと言われると、評価が分かれるところだろう。
「……それで、どうしてお兄様は、ドレスを貸して欲しいなんて言いだしたのかしら?」
クローディアは散々兄を馬鹿にしておきながら、どうでも良さそうな顔で話を本題に戻す。
シリルとしても今の話題は続けたいものではなかったので、軽く咳払いをし、事情を話した。
「その、だな……お前のドレスをノートン会計に貸してやってほしい」
学祭の後夜祭として行われる舞踏会は、礼装が基本だ。制服で参加する者はまずいない。
だが、モニカの境遇や性格を考えるに、ドレスなど持っていないと考えるのが妥当だろう。
モニカは生徒会役員なのだ。舞踏会に欠席することはできない。
「ノートン会計が制服で舞踏会に出席したら、我が生徒会の──つまりは殿下の恥になる。だからこそ殿下の右腕である私が殿下に恥をかかせぬよう、事前に根回しをするのは当然のことであって私の義務であり……」
「ドレスなら、クラスメイトに借りるらしいわよ」
クローディアの一言に、シリルはしばし硬直していたが、やけに落ち着きのない仕草で紅茶を飲むと、フンと高慢に鼻を鳴らした。
「そうだったのか。ならば何も問題はないな」
「普通に考えて、私のドレスがモニカに入るわけないじゃない……お兄様の方がよっぽど似合うわよ」
「…………」
女性にしては長身のクローディアと小柄なモニカでは、身長差がありすぎるのだ。どちらかというと、男性ながら華奢なシリルの方が、クローディアのサイズに近い。
密かにそのことを気にしているシリルは、こめかみに青筋を浮かべつつ、なんでもないような顔でシュガーポットの蓋を開けた。
そんなシリルを、クローディアは無表情に眺めて言い放つ。
「私とお茶会なんて死んでもごめん、って顔に書いてあるお兄様が、わざわざ私を呼び出したから何事かと思えば……ふぅん……そう……」
「言っただろう、これは円滑に学祭を進めるために……」
「そんなにモニカのドレス姿が見たかったのね」
スプーンで山盛りにした砂糖が、ドバドバとシリルのティーカップに零れ落ちる。危うくスプーンまでカップに落としかけたシリルは、慌ててスプーンをシュガーポットに戻し、クローディアを睨みつけた。
「生徒会役員は全生徒の模範でなくてはならない。そのために必要な根回しをしただけで……」
クローディアはもうシリルの話など聞いていなかった。
心底どうでも良さそうな顔でビスケットをサクサクと齧り、ふと思い出したようにテーブルに飾られた花瓶を見る。
「そういえば、ニールは……」
「なぜ、ここでメイウッド総務の名前が出てくる」
「……私が自分の婚約者を話題にして何が悪いの。それで、ニールは今年も忙しいのかしら?」
「当たり前だろう」
学祭当日に、挨拶など表舞台で一番忙しいのはフェリクスだが、裏方の部分で一番忙しいのが、実は総務のニールだ。
備品の管理、食事の手配などもそうだが、それ以外にも何かトラブルがあった時、折衝役になるのが大抵ニールなのである。他にも各部門長と密に連絡を取り合って、その情報を生徒会役員と共有をしたりなど、やることが多い。
シリルが当然だと断言すれば、クローディアは長い睫毛を伏せて、少しだけ憂いを帯びた顔でため息を吐いた。
「……そう。今年も花は用意してくれないのね」
「花? あぁ、恒例の花飾りか」
セレンディア学園では、学祭の時に男性から女性に花飾りを贈るという習慣がある。
この花飾りは「舞踏会で一番最初に自分とダンスを踊ってほしい」という意味が込められていて、受け取った女性がその花飾りを身につけていたら、ダンスの誘いを受けたということになるわけだ。
花飾りは花やリボンの色が、贈り主の髪や目の色のことが多いので、見る者が見れば、誰から贈られたかは一目瞭然である。
強制参加のイベントではないし、実際に参加しているのは、その殆どが婚約者が決まっている者達だ。
「……去年の舞踏会、私はニールと踊っていないわ」
「メイウッド総務は多忙だからな」
「……花飾りも貰っていないのよ」
「それが何だと言うのだ。花飾りなど、ただのお遊びだろう」
クローディアは人形のような無表情で、少しだけ首を傾ける。
美しい瑠璃色の目は、どこか小馬鹿にするように兄を見ていた。
「……女心が分かってないのね」
シリルがムッと黙り込むと、クローディアは殆ど口を動かさずにボソボソと呟く。
「……花飾りを貰っていない女が、どういう目で見られるかお分かり? ……『誰からも相手にされない売れ残り』」
「それは思い込みだ。少なくとも男性側は、そんな風に女性を見たりは……」
「そうよ、男はそう思っていなくとも、女は勝手にそうやって勘ぐり合うの……陰険でしょう?」
クローディアの声に背筋がぞっとするような冷ややかさを感じ、シリルは息を飲む。
そして、妹に気圧されたという事実を誤魔化すように、彼は口を開いた。
「だが、お前は……去年の学祭で、十人ぐらいから花飾りを貰っていただろう」
ニールという婚約者がいるにも関わらず、自分こそクローディアの婚約者に相応しいと名乗りでる輩は、毎年後を絶たない。
クローディアの持つ圧倒的な美貌と頭脳は、優秀で美しい子どもを欲しがっている者達にとって、喉から手が出るほど欲しい存在なのだろう。それだけハイオーン侯爵家の直系の血は、王国内でも一目置かれているのだ。
地味な男爵家の息子より、自分こそがクローディアの夫に相応しいと考える者は、学祭の日になると、ここぞとばかりに花飾りを持ってクローディアに群がる。
「……私がニール以外の花を受け取るわけないでしょう」
クローディアは心底軽蔑するような目でシリルを見た。今更分かりきっていることを言わせるな、と言いたげに。
シリルは少しだけ気まずくなり、咳払いをする。
「メイウッド総務は誠実だ。お前に花飾りを贈らなかったのは、当日忙しくて踊れない可能性が高かったからだろう」
絶対に踊れるという確証もないのにダンスの予約をするのは失礼だと、ニールが気を回したのは想像に難くない。
クローディアもそのことは分かっているのだろう。
そうね、と短く呟き、彼女は瑠璃色の目でぼんやりと外を見る。そうして、独り言のようにポツリと言った。
「私、お兄様のことは別に好きでも嫌いでもないけれど……」
「藪から棒になんだ」
「ニールを正当に評価してくれるところは、割と好きよ」
シリルは高慢に鼻を鳴らし、甘ったるい紅茶を一口啜る。
「メイウッド総務の実力に気づかぬ奴らの目が、節穴なだけだ」
「えぇ、そうね」
呟くクローディアの声は、彼女にしては珍しく穏やかだった。
紅茶を飲みながら、シリルは一人の少女のことを考える。
シリルの懸念材料である生徒会会計モニカ・ノートン。彼女も誰かから花飾りをほしいと望んだりするのだろうか? 誰からも花飾りが貰えないことを、惨めに思ったりするのだろうか?
(……いや、そもそも、あのノートン会計がダンスをしたがる筈がないな)
シリルの考えなど杞憂に決まっている。
人前に出るのが苦手でダンスも下手なモニカが、舞踏会で踊りたいなどと言うはずがない。
* * *
学祭前日、生徒会室にやってきたモニカ・ノートンは、なにやら様子がおかしかった。
唐突にその場で服をパタパタとはたきながら、奇怪なステップを踏んでいるのだ。
「……ノートン会計、何をしている」
シリルがじとりとした目を向ければ、モニカはぎこちなく笑いながら言った。
「あ、あの、その……ぶ、舞踏会に向けて、しゃ、社交ダンスの、練習を……っ、ぶ、舞踏会楽しみですっ!」
その言葉にシリルは心の底から仰天した。
(ノートン会計がダンスに興味を持っていた!? のみならず、楽しみにしている、だと!?)
絶対に興味ないと思っていたのに、まさか、そんな……いや、そういえば、チェス大会の日にモニカは化粧をしていた。もしかしたら、そういった普通の少女が好むことに興味を示すようになったのかもしれない。
それ自体は悪いことではない。悪いことではないのだが……何故だろう。酷く胸がモヤモヤする。
そのモヤモヤを誤魔化すように、シリルは眉根を寄せてモニカを睨んだ。
「……貴様、その奇怪なステップが、ダンスだと言うつもりじゃないだろうな? あの訓練の日々はなんだったのだ」
「わ、わわっ……ももももちろん、覚えてますっ、えっと、ワンツースリー、ワンツースリー……」
そう言って、モニカはその場でダンスのステップを踏んでみせた。まったく酷いステップだ。少し前に自分が手ほどきしてやった時は、もう少しマシだったというのに……。
(……あぁ、そうか)
シリルは自分の胸のモヤモヤの正体に気がついた。
モニカが下手なダンスを披露すれば、生徒会の恥になる。自分はそのことが不安だったのだ。だから胸がモヤモヤしたのだ。きっとそうだ。そうに違いない。
ともなれば、解決方法は簡単だ。
(私か殿下がリードすれば、ノートン会計のダンスも少しはマシになる……殿下の手を煩わせるわけにはいかんから、私が見てやるのが妥当だな)
そう結論づければ、胸のモヤモヤはすっきり解消する。
やけに上機嫌で仕事に取り組み始めたシリルを、ニールが不思議そうに見ていたが、シリルはこれっぽっちも気付いていなかった。
本作における、二大女顔がルイス・ミラーとシリル・アシュリーです。
ルイスは自覚していますが、シリルは無自覚です。