【2−2】意地悪令嬢式交渉術
セレンディア学園は貴族の子らが通うだけあって、校舎も立派なら寮も立派であった。
かつてモニカは魔術師養成機関の最高峰ミネルヴァに通っていたことがある。ミネルヴァの校舎も庶民のモニカの目から見れば立派な物であったが、セレンディア学園はそれ以上であった。下級貴族の屋敷なんぞより、よっぽど華美で豪勢である。
生徒に与えられる部屋は、一定額以上の寄付金を納めている者、成績優秀な者、生徒会役員など何かしらの活動実績がある者は一人部屋が与えられている。それ以外は二人一部屋が基本だ。
当然にモニカにも二人部屋があてがわれることになっていたのだが、これにモニカは鼻水を垂らして泣きじゃくりながら、ルイスに「無理です死んでしまいます」とすがりついた。
誰かと同じ部屋に暮らすなんて絶対に無理だ。まして、モニカは極秘で第二王子を護衛するという任務があるのである。
任務のことを考えるなら、協力者であるイザベル嬢と同室になるのが最善。だが、イザベルは十六歳で一年生、十七歳のモニカは二年生、学年が異なるのである。
イザベルはあくまで新入生。モニカはそのお付きの編入生。ともなれば、同室になるのは難しい。
そこで、イザベルは学園長への挨拶の際に一芝居打った。
新入生と違い、編入生のモニカは入学前に学園長に挨拶をすることが決められている。そこにイザベルは無理やりその場に同席したのだ。
そして学園長の向かいのソファに自分だけが座り、モニカはその後ろに立たせて、高慢に高笑いをしてのけた。
「オーっホッホッホ! ねぇ、学園長。わたくしは当然に個室ですのよね? まさかと思うけど、この女と一緒の部屋なんて仰いませんわよねぇ?」
この女、と言ってイザベルは背後にちんまりと控えるモニカを顎で示す。
イザベルの実家であるケルベック伯爵家は、地方貴族の中でも五本指に入るほど裕福である。当然に相応の寄付金を積んでいるので、学園長はイザベルに揉み手をして「当然ですとも」と愛想笑いを返した。
「ケルベック伯爵家のご令嬢に、相応しいお部屋を用意しておりますぞ」
「まぁ、ご配慮感謝いたしますわ。そうそう、この女の方は……あぁ、こんな泥臭い子が同室になるなんて、同室の方が可哀想! この女は我がケルベック家の恥ですわ!」
イザベルは些か大袈裟なぐらいに仰け反って声を張り上げると、背後で俯いているモニカをチラリと見上げて、それはそれは意地の悪い笑顔で言った。
「あなたなんて、屋根裏部屋がお似合いよ……そうでしょう?」
モニカがビクビクしながら頷けば、イザベルは「本人もこう申しておりますわ」と学園長にダメ押しをする。
かくしてイザベルの機転で、モニカは学生寮最上階の倉庫の上にある、小さな屋根裏部屋をあてがわれることになった。
育ちの良いご令嬢なら泣き崩れそうな処置であるが、モニカにとってはこれ以上にありがたいことはない。
薄暗くて狭いから落ち着くし、他の令嬢達とは部屋の階層が違うから、廊下で鉢合わせることもないだろう。
学園長室を後にすると、イザベルはキリリとした目を唐突に潤ませた。
モニカがギョッと慌てふためいていると、イザベルはハンカチを取り出して目元を拭う。
「あぁ……わたくしも出来ることならモニカお姉様と同じお部屋が良かったですわ……でもお姉様の任務のお邪魔をしてはいけませんものね。わたくし、そこはしっかり弁えてますのよ!」
「あの、えっと、あ、ありがとう、ござい……ます」
モニカが途切れ途切れに礼を言えば、イザベルはモニカの首根っこにかじりつく。
「お姉様! わたくし、たまにお姉様のお部屋に遊びに行っても良いですか? あぁっ! 寧ろ、わたくしの部屋に遊びに来てくださいませ! 精一杯おもてなしさせていただきますわ!」
「は、はい……」
丁度その時、少し離れた廊下の辺りで生徒らしき人影が見えた。それなりに距離があるので顔は分からないが、恐らく男子生徒だ。
イザベルはすぐさま姿勢を正し、モニカをゴミでも見るような目で見下ろし、声を張り上げた。
「ちょっと、何をグズグズしているんですの! あぁ、まったく! あなたは本当に我がケルベック伯爵家の恥さらしね! くれぐれも学園内で、我がケルベック伯爵家の名前を出さないでちょうだい!」
そう言ってイザベルはオレンジ色の巻毛をかき上げ、ツンと顎をそらす。
なんでも彼女は鏡の前でこのポーズの練習を何度もしていたらしい。顎を持ち上げる角度がポイントなのだとか。
「わたくしはこれから入学式に参加しますけど、あなたは編入生だから、クラスに行くのでしょう? くれぐれも、ケルベック伯爵家の名前は出さないようになさい! わたくしは、あなたが我がケルベック伯爵家の人間だなんて認めていなくってよ!」
ケルベック伯爵家の名前を出すなと言いながら、周りによく聞こえるような声量で何度も連呼しているのは、モニカがケルベック伯爵家における地位の低い人間だと周囲に印象付けるためだ。
イザベル嬢が「よろしくって?」とモニカを睨み、モニカがビクビクしながら頷く光景を見た者は、誰もがこう認識するだろう。
あのモニカという娘は伯爵家でも訳有りの存在で、令嬢のイザベルに疎まれているのだ、と。
* * *
「今の見たかい、殿下?」
イザベル嬢とモニカのやりとりを、少し離れたところで見ていた二人組がいた。
一人は緩くウェーブした茶色の髪の青年。生徒会書記エリオット・ハワード。
そしてもう一人は、ハニーブロンドに碧眼の青年。生徒会長フェリクス・アーク・リディル。
エリオットに話を振られたフェリクスは、廊下で騒いでいるオレンジ色の巻毛の新入生を見た。
「彼女は新入生だね。横にいる子は……学年が違う?」
女生徒の制服は手首足首までを覆う清楚なワンピースだが、袖飾りの色が学年で異なるのだ。多少離れていても、手元の色を見れば学年ぐらいは分かる。
ハワードは何かを思い出したような顔でポンと手を叩いた。
「もしかして、編入生じゃないか? ルイス・ミラーの弟子の他に、もう一人いただろう。あー……何て言ったっけ」
「モニカ・ノートン」
即座にフェリクスが答えれば、エリオットは感心したように垂れ気味の目を丸くした。
「よく覚えているなぁ」
「オレンジ色の髪の令嬢は、ケルベック伯爵家のイザベル・ノートン嬢だ。王都のパーティで何度か見たことがある」
イザベル・ノートンとモニカ・ノートン。普通に考えれば姉妹であるが、二人の容姿はあまりに似ていない。
エリオットは「ふぅむ」と唸り、顎に指をあてた。
「つまり編入生も伯爵家の人間? あー、でもあの扱いを見る限り、愛人の子ってところか?」
「よくある話だ」
「まぁそうだな。まぁ、あまり見ていて気分の良いものではないけれど」
そう言ってエリオットは不快そうに眉をひそめる。
フェリクスは穏やかな笑みはそのままに、どこか冷めた目でエリオットを見た。
「気分が良くない? ……それは、モニカ嬢を苛めているイザベル嬢が?」
「いいや。貴族でもない人間が、このセレンディア学園に在籍しているという事実が」
エリオット・ハワードは伯爵家の嫡子だが、陽気で大らかな青年である。だが、どんなに寛容で人当たりが良いように見えても、プライドの高い貴族なのだ。
イザベルの後ろをオドオドと歩くモニカの背中を見るエリオットの目は酷く冷たい。
「殿下もそう思わないか?」
「…………どうだろうね」
フェリクスは少しだけ何かを考え込むような顔で、モニカの後ろ姿を見ていた。
この距離だと、薄茶の髪の小柄な少女であることしか分からない。当然、顔が見えるはずもない。
ただ、何かが妙に記憶に引っ掛かったのだ。
「……一度挨拶をした人間なら、大抵は覚えている自信があるのだけど」
「殿下と面識があるわけないだろう? あんな見るからに田舎くさい芋娘が」
エリオットはバッサリと否定するが、フェリクスは無言でモニカの後ろ姿を見つめていた。
背中を丸め、とぼとぼと歩く小さな背中。
その背中が式典では七賢人のローブを身につけ、フードを目深に被り俯いている〈沈黙の魔女〉のものだと、彼が気づくことはなかった。