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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第8章「夜遊び編」
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【8ー11】琥珀の行方

 リンの超高速飛行魔術でモニカが女子寮の屋根裏部屋に戻ると、ネロは壁とクローゼットの僅かな隙間に挟まっていた。それも、モニカに尻を向けるようにして。

「……あ、あの、ネロ?」

 返事の代わりに黒い尻尾がペシンと床を叩いた。これは、拗ねている。

「もう、ネロってば……」

 モニカが困ったように呟くと、ネロはやっぱり尻尾でペシペシと床を叩きながら言った。

「オレ様を置いてけぼりにして夜遊びした挙げ句、朝帰りかよ」

「え、えーっと……」

 途方に暮れるモニカの横で、ここまでモニカを送り届けてくれたリンが、お馴染みのメイド姿で口を開く。

「はい、〈沈黙の魔女〉殿は、美少年を侍らせて酒池肉林の宴を満喫した後、美男子とともに娼館で肉欲の夜に耽り……」

「リンさんんんんんんんんっ!?」

 目を剥くモニカに、ネロがタンスの隙間から飛び出して、肉球でポムポムとモニカの足を叩いた。

「見損なったぜ! モニカのアバズレー!」

「あばずれっ!?」

「モニカの薄情者! エイブラムを見習え!」

「エイブラムさんって誰!?」

 モニカが叫ぶと、ネロはフンスフンスと鼻息荒く、一冊の本を引っ張り出した。それはネロが一番お気に入りの冒険小説だ。作者の名前はダスティン・ギュンター。

 ダスティン・ギュンターは最高だな! と、よくネロが口にする名前である。

 ネロは器用に前足でページを捲ると、登場人物紹介のシーンを前足でテシテシ叩いた。

「エイブラムはな、主人公バーソロミューの友人なんだが、すげー義理堅くて良い奴なんだぞ。美女に誘惑されても『オレにとって、友情は恋に勝る宝だ』って言って、美女の誘惑に負けず、バーソロミューとの友情を貫き通すんだぜ、カッコいいだろ」

「……エイブラム……バーソロミュー……?」

 モニカはその小説を読んだことがないけれど、その名前をどこかで聞いたような気がした。それも、割と最近。


 ──今、ボクは新作小説の、舞台女優に恋をした愚かな男のシーンを書いている。主人公バーソロミューの友人、エイブラムは舞台女優のキャサリンに恋焦がれ、事あるごとにこう言うんだ。

 『あぁ、もう一度この目で彼女の演技を見たい』

 ……今のお前そのものだな。


「……あぁっ!?」

 モニカは口をあんぐりと開けて声をあげた。

 そういえばフェリクスが言っていたではないか、ポーターは古書店の店主兼、小説家だと。

 唖然としているモニカの前で、ネロはエイブラムがいかに義理人情に厚い人物かを、つらつらと語っている。

 友情に生きるエイブラム氏が舞台女優に骨抜きになる展開を、心優しいモニカは黙っておくことにした。



 * * *



 モニカは身支度を整えると、少し余裕をもって女子寮を出ることにした。

 チェス大会に潜入していたあの刺客が、拘置所から脱出したのだとリンから聞いたので、その対策を考えたかったのだ。

 ミネルヴァの教諭ユージン・ピットマンに化けていたあの男が、もし、他の人間にも成りすますことができるのだとしたら……非常に厄介なことになる。

 ネロの力があれば、異様な魔力を感知することができる。

 リンの力があれば、不審な会話を聞き取ることができる。

 ただ、これはチェス大会の日に、学園内に人が多くなかったからこそ、できたことだ。

 学祭の当日は大勢の人が出入りするから、その中で不審な会話だけをリンが拾い上げることは、まず不可能。また、当日は魔術研究会などの発表もあるから、ネロが不審な魔力を察知できるかも怪しい。

 〈螺炎〉のように強力な魔導具や、暴走したシリルの魔力ぐらいならすぐに気づけるが、規模の小さい魔術までは流石のネロでも察知できない。

(学祭当日、わたしがずっと殿下のそばにいて護衛してたら、きっと不審に思われちゃう)

 やはり一番確実なのは、防御結界機能のある魔導具をフェリクスに持たせることだ。

 ルイス・ミラーも、一度は考えた手である──もっとも、彼が作った魔導具は作って三日で破壊されたらしいが。

(……思い返せば、そのせいで、わたしが潜入任務をすることになったんだっけ……)

 その時のやりとりを思い出し、モニカはハハッと力無く笑いながら、ポケットに手を突っ込んだ。

 ポケットの中にはモニカが今朝、即席で作った魔導具が入っている。

 リンに刺客逃亡の報告を受けたモニカは、歓楽街で安物のブローチを一つ購入し、それに防御結界機能を施したのだ。

 魔導具として機能するのは、たった一回だけ。フェリクスが攻撃を受けた時、防御結界を張る。ただそれだけの簡単な魔導具だ。

 本当は一回きりの使い捨てではなく、何回でも使えるようにしたかったし、結界が発動した時、離れていてもモニカに伝わる機能なども盛り込みたかった。

 だが、複数の機能を盛り込むには、宝石の大きさや純度が求められるし、製作に時間がかかる。

 安物のブローチに短時間で術を施すには、これが精一杯だったのだ。

(……でも、その分、結界強度は上げてあるし、最悪の場合のお守りにはなるはず……)

 問題はこれを、どうやってフェリクスに渡すかである。

 できれば本人に気づかれない形で、かつ、常に持ち歩いてもらわなくてはいけない。

 モニカが作った魔導具は、粗末なメッキの台座に琥珀をあしらったブローチだ。大きさはモニカの手の中に握り込んで、隠せる程度。

 ポケットだと、手を入れた時にすぐに気づかれてしまう。上着の内側につけても、やはり脱いだ時にバレてしまうだろう。なにより後夜祭では皆、制服から礼服に着替えるのだ。

(そうなると……し、下着に入れるとか? そ、それは流石に……うーん……な、なにか、いい方法は…………うぅぅぅぅ……思いつかない……)

 モニカは歩きながらウンウンと頭を悩ませる。

 少し早めに寮を出たのは、このブローチをどうやってフェリクスに持たせるかを考えるためだったのだが、このままだと、いよいよ何も思いつかないまま学園に到着してしまう。

 考え込んでいたモニカはすっかり足元が疎かになり、地面の僅かな隆起を見落とした。案の定、足を引っ掛けたモニカはバランスを崩して、その場にベタンと倒れ込む。

「──ふぎゃんっ!」

 間一髪、掌を地面について、顔から倒れ込むことは避けたが、それでも掌がジンジンと痛い。

「…………うぅっ、痛いよぅ」

 モニカは鼻を啜って立ち上がり、トボトボと学園へ向かって歩きだした。

 転んだ拍子に、そのポケットからブローチが転がり落ちたことも知らずに。




 モニカが見落としたのは、ブローチを落としたことだけではない。

 実はモニカの少し後方を、一人の女子生徒が歩いていたのだ。その女子生徒は、モニカが転んでブローチを落とすまでの一部始終を目撃していた。

 その生徒の名は、生徒会書記ブリジット・グレイアム。

 学園三大美人と呼ばれる美貌の令嬢は、モニカが落とした琥珀のブローチを拾い上げると、それを目の高さまで持ち上げて見つめる。

 誰が見てもお粗末な、安物のブローチだ。

 だが、光に透かせば、琥珀の中に薄く魔術式が浮かんでいるのが見てとれる。

「…………」

 ブリジットはハンカチを取り出してブローチを包むと、それをポケットに入れて、何事もなかったかのように歩きだした。



 * * *



 ブローチをフェリクスに身につけさせる良い方法を思いつかぬまま、モニカが生徒会室に到着すると、既にフェリクスとシリルが生徒会室に到着していた。

「やぁ、おはよう、モニカ」

 そう言ってモニカに笑いかけるフェリクスは、穏やかで優しげな王子様の笑顔だ。

 アイクの笑い方とは、違う。

 モニカはフェリクスとシリルに「おはようございます」と頭を下げつつ、フェリクスの服をチラリと見た。

 完璧に着こなされた白い制服に、こっそりブローチを着ける方法が、モニカにはどうしても思いつかない。

(もういっそ、直接渡して「つけてください」ってお願いした方が確実なんじゃ……でも、どうやってお願いしよう……殿下が絶対にブローチを身につけたくなるような、お願いの仕方って……? ……お洒落上級者の殿下につけて欲しいんです、って言うとか……うっ、でも、絶対お洒落上級者向きのブローチじゃない……そもそもこれ、女性向けのデザインだし……)

 モニカは山小屋を出てから今日に至るまでに培った知恵を総動員し、フェリクスがブローチをつけたくなるようなお願いの仕方を考える。

 そして、一つのアイデアを思いついた。

 そう、ヒントは歓楽街にあったのだ。

 これだ、これしかない。これならきっと、いける。


(……『このブローチは、身につけると幸せになれる幸福のブローチです』……うん、これでいこう!)


 男を虜にするためのドリスの手ほどきは何だったのかと言いたくなるほど、残念な結論であった。

 発想が屋台の親父の売り文句と同レベルである。

 それでも、モニカはこれぞ名案とばかりに意気込んで、ポケットからブローチを取り出そうとし……。

(……あれ?)

 ポケットの中をどれだけまさぐっても、ブローチが出てこない。念のために反対のポケットも探るが、やっぱりブローチはない。

(も、ももももしかして、さっき転んだ時に……っ!?)

 ブローチが上着の裾やスカートに引っかかっていないかと、モニカは足踏みをしながら、上着やスカートをパタパタと叩いた。だが、ブローチはやっぱり出てこない。

「……ノートン会計、何をしている」

 モニカの奇行にシリルがじとりとした目を向ける。

 モニカはダラダラと冷や汗を流し、目を泳がせつつ答えた。

「あ、あの、その……ぶ、舞踏会に向けて、しゃ、社交ダンスの、練習を……っ、ぶ、舞踏会楽しみですっ!」

 その言葉に、シリルは少しだけ目を見開いた。

 が、すぐに眉間にギュッと皺を寄せて呻く。

「……貴様、その奇怪なステップが、ダンスだと言うつもりじゃないだろうな? あの訓練の日々はなんだったのだ」

「わ、わわっ……ももももちろん、覚えてますっ、えっと、ワンツースリー、ワンツースリー……」

 モニカは引きつった顔で笑いながら、その場で社交ダンスのステップを踏んでみせる。その様子をシリルはやけに真剣に見ていた。怖い。

 ちょうどその時、扉が開いてブリジットが室内に入ってきた。ブリジットは入り口のところで「ご機嫌よう」と挨拶をすると、ダンスのステップをしていたモニカに冷ややかな目を向ける。

 ただ、ブリジットはそれ以上は何も言わない。基本的にブリジットはモニカに対して、まともに口を利こうとしないのだ。それだけの価値もないと思っているのだろう。

 少し遅れてニールとエリオットも到着し、生徒会役員全員が揃うと、フェリクスは口を開く。


「よし、全員揃ったね。いよいよ、学祭は明日だ。明日は万全の体制で挑み、皆が楽しめる素晴らしい一日になるよう、最善を尽くそう」


(ど、ど、ど、どうしよう、結界魔導具が無いと、殿下の警備に最善を尽くせない……っ)

 モニカは内心頭を抱えて、苦悶した。

 そんなモニカをブリジットが探るような目で見ていたのだが、当然モニカは気づかない。


 かくして、多大なる不安要素を残したまま、セレンディア学園の学祭が始まろうとしていた。

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