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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第8章「夜遊び編」
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【8ー7】第二王子は××に夢中

 キィ、と音を立てて扉を開ければ、すぐ目の前は本棚の側面だった。店内には本棚が等間隔に並べられている。

 本棚と本棚の間隔は狭く、人が一人やっとすれ違えるかといった程度だ。

 フェリクスは迷いのない足取りで、右から二番目と三番目の本棚の間を進んでいく。モニカはオドオドしながらその後ろに続いた。

 店内は古い紙特有の匂いと、虫除けのハーブの匂いがする。化粧や香水、酒の香りに満たされた夜の街とは違う空気に、モニカは少しだけホッとした。

 歩きながらチラチラと本棚の本に目を向ければ、薬草や医学に関する学術書の類がぎっしりと詰め込まれていた。この辺りはモニカの専門分野ではないが、本の保管状態が良いことは、なんとなく分かる。

 やがて狭い本棚の隙間を通り抜けた先には小さいカウンターがあり、そこに一人の男が腰かけて、ランプの明かりを頼りに書き物をしていた。

 褐色の肌に癖の強い黒髪の、眼鏡をかけた男だ。外国の血が入っているのだろう。アーモンド型の目に彫りの深い顔をしていて、年齢がいまいち分かりにくい。二十代にも四十代にも見える。

 古い本屋は歩くだけで床が少し軋むので、客が来たことには気付いているだろうに、男は紙面から顔を上げようとはしなかった。

「やぁ、店主。こんばんは」

 フェリクスが声をかけても、店主の男はやはり顔を上げない。ただ、客の声が届かぬほど、書き物に没頭しているわけでもないらしい。男は文字を書く手を止めると、羽ペンをインク壺に突っ込みながら口を開く。

「……どうも」

 短くそれだけ言って、また男は紙面に羽ペンを走らせた。どうやら帳簿の類ではなく、原稿用紙に何かを書いているらしい。

 見るからに貴族階級なフェリクスに対しても、素っ気ない態度を変えようとしない偏屈そうな雰囲気は、どことなくクローディアを思い出させた。

「モニカ、彼はポーター。この店の店主兼、小説家でね。一年の半分ぐらいは本の仕入れで、あちこちに飛び回っているんだ。今日会えたのは運がいい」

「そうだな。先日、仕入れから帰ってきたばかりだ。あんたが喜びそうな本も幾つか」

「本当かい?」

 フェリクスの顔がパッと明るくなり、声が弾む。

 ポーターは羽ペンで壁際の本棚を指した。そこに、フェリクスが喜ぶ本があるらしい。

 フェリクスはポーターが示した一角の本を手に取り「あっ!」と明るい声をあげる。

「『ミネルヴァの泉』のバックナンバー!」

 フェリクスが手にとった雑誌を見て、モニカは青ざめた。

 魔術師養成機関ミネルヴァでは、半年に一回、学生や教授の研究成果をまとめた雑誌を発行している。それが『ミネルヴァの泉』だ。当然、特待生だったモニカの論文も何度か掲載されている。

(ななななななんで、殿下が『ミネルヴァの泉』を!)

 あの雑誌に載っているのは、その八割が魔術に関するものである。残りの二割は教授の道楽エッセイと、学生会による学生生活を快適に過ごすための豆知識ぐらいだ。

(も、もしかして、殿下は教授の育毛記録エッセイの大ファンとか……)

 きっとそうだ、そうに違いない。あるいは快適学生生活の知恵を求めているとか、きっとそういう理由だ。それ以外考えられない。

 モニカが自分にそう言い聞かせていると、雑誌をパラパラめくっていたフェリクスが、まるで子どものように目をキラキラさせて言った。

「〈沈黙の魔女〉の論文が載ってる!」

 ひぃっ、とモニカは息を飲み、悲鳴を噛み殺した。

(ちんもくのまじょって言った? ちんもくのまじょ? えっ? き、きっと、聞き間違い……聞き間違い……)

 今にも卒倒しそうなモニカの背後で、ポーターがペンを動かす手を止めて口を開く。

「そこにある三冊は全部〈沈黙の魔女〉の論文が載ってるやつだ。あと、最新号には最近寄稿されたやつが載っている」

「ポーター! 君はなんて良い仕事をするんだ!」

 フェリクスの声は明らかに浮かれていた。そう、浮かれているのだ。こんなにも目を輝かせているフェリクスを、モニカは見たことがない。

 モニカが様々な衝撃を受け止めきれず唖然としていると、フェリクスは少しだけ恥ずかしそうに笑った。

「驚いたかい? 実は、興味があるんだ……魔術に」

「あの、でも、基礎魔術の授業は、とってないって……」

「少々わけ有りでね。祖父から、魔術に関する勉強は禁じられているんだ」

 フェリクスの言葉がモニカには意外だった。

 確かに、王族なら魔術よりも政治や語学の能力の方が求められる。それでも、リディル王国の王家は魔術の才能を持つ者が多く、歴代の王族には優秀な魔術師が何人もいるのだ。

 現国王も土の魔術の使い手だと聞いたことがあるし、フェリクスの兄の第一王子はミネルヴァの卒業生である。

 わざわざ魔術を禁止する理由が、モニカにはどうにもピンとこなかった。

 困惑しているモニカに、フェリクスは上機嫌を隠さず、雑誌をパラパラとめくりながら言う。

「魔術書って、大抵が高価で分厚いだろう? おまけに、物によっては閲覧資格や購入資格が必要になる。だから、こっそり取り寄せるのも部屋に隠すのも大変なんだ」

 それで比較的手に入れやすい『ミネルヴァの泉』に手を出したらしい。

 だが、『ミネルヴァの泉』に掲載されている論文は厳選された論文ばかりだ。理解するには中級魔術師程度の知識が必要になる。

 フェリクスははたして、どの程度魔術に関する知識を持っているのだろう? モニカが疑問に思っていると、フェリクスは『ミネルヴァの泉』をペラペラと捲りながら、いつもよりやや饒舌に語りだした。

「前に見た〈沈黙の魔女〉の広範囲術式における位置座標に関する論文は素晴らしかった。あれを学生時代に書いたなんて、とても信じられない。簡単に言うと広範囲術式にあえて追尾術式を組み込まずに、対象の手前でピンポイントに術を起動して発動することで、より命中精度を上げるというものなのだけど、位置座標の算出の仕方が非常に画期的で魔術式が大幅に短縮できて……」

 モニカは引きつった顔で、声に出さずに相槌をうった。

(……えぇ、はい……その通りです……現在の追尾術式には欠点が多いので、追尾術式の改善の前に、まずは追尾術式を組み込まずにコンパクトにまとめた広範囲術式を作ってみたくて………………わあああああ、しっかり理解されてるぅぅぅぅぅ)

 モニカがヒクヒクと震えていると、フェリクスはハッと我に返ったような顔で、少しだけ恥ずかしそうにモニカを見た。

「……すまないね、実は大ファンなんだ。〈沈黙の魔女〉のことになると、つい雄弁になってしまう」

「……ファ、ファン、ですか……」

「あぁ、七賢人の中では若手で、〈結界の魔術師〉ほど派手な功績はないけれど、我がリディル王国の基礎魔術分野において大きく貢献している人物だと思う。なにより、彼女の無詠唱魔術は……うん、すごく綺麗なんだ」

 最後の一言を口にするフェリクスは、なんだかやけにうっとりとした顔をしていた。

 だが、モニカはもうそれどころじゃない。

(わたしが無詠唱魔術を使うところ、見たことがあるんですかぁーーーーーーっ!? 一体いつ見られたの!? これ、正体はバレて……ない? バレてない……よねぇぇぇ……?)

「あんな美しい魔術をボクは今まで見たことがない……あぁ、もう一度この目であの無詠唱魔術を見ることができないだろうか」

 フェリクスがほぅっと切なげな吐息を吐くと、ポーターがボソリと呟いた。

「今、ボクは新作小説の、舞台女優に恋をした愚かな男のシーンを書いている。主人公バーソロミューの友人、エイブラムは舞台女優のキャサリンに恋焦がれ、事あるごとにこう言うんだ。

 『あぁ、もう一度この目で彼女の演技を見たい』

 ……今のお前そのものだな」

「あぁ、ポーター、もしかしたらそうかもしれないね。うん、きっとこれを初恋って言うんじゃないかな」

(は、初恋……)

 いよいよモニカは全身を痙攣させる。

 最早、色々と衝撃すぎて頭と表情筋がうまく働いてくれなかった。

 どうしよう、ちょっと数字の世界に逃げたい。

「驚いた? これが今、僕が『夢中になっているもの』なんだ」

「あ、あ、あの、でんっ、でんっ……アイクは、〈沈黙の魔女〉と、会った、ことが、あるんです、か?」

 土気色の顔で訊ねるモニカに、フェリクスは頬を薔薇色に染めてうっとりと頷く。

「あぁ、就任式典と新年の式典で。ただ、彼女はいつもフード付きローブを身につけていて、素顔を知っている人が殆どいないんだ。式典の後のパーティを彼女はいつも欠席するから……直接話をする機会がなくってね。直接喋ったことはないし、顔も見たことがない」

 良かった、とりあえず正体はバレていないらしい……とモニカは胸を撫で下ろす。

 だが、安心するには早かった。


「でも、僕が国王になれば、いつだって会えるから問題ないね。七賢人は王の相談役だから」


 大問題である。

「国王になれば、直接彼女と話もできるだろうし……もしかしたら、素顔も見せてもらえるだろうか」

(絶対やめた方がいいです、やめてください、わたしなんて国王様の相談に乗れるような人間じゃないんです、むしろわたしなんかが〈沈黙の魔女〉でごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃ)

 いよいよモニカは胃を押さえて俯いた。

 どうしよう。〈星詠みの魔女〉の屋敷で食べた物を、ここで全部吐きそうだ。

 とりあえず、これからも式典の出席は最小限にしよう、そしてフードを絶対に取らないようにしようと、モニカは固く誓った。

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