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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第7章「チェス大会編」
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【7ー10】圧倒的強者

 チェス大会は、セレンディア学園のダンスホールで行われる。

 各校の代表者三人が同時に試合をするとは言え、あまりにも広すぎるダンスホールが会場に選ばれるのは、観客の席を設けるためだ。

 選手の集中力が途切れないよう、一定の距離を開けた位置に観客席は設けられる。

 ただし、あまりに距離が開きすぎて、観客には盤面が見えないので、生徒会の方でチェスの盤面に見立てた大きいボードを三つ用意していた。このボードに、駒に見立てたピンを留めて、ゲームの状況を実況するのだ。

 このボードの管理や試合の立ち合いは、セレンディア学園でチェスの選択授業を受けている三年生が交代で行なっている。

 教師と生徒会役員は、他の観戦客と同様に離れた席から試合を見守っていた。

「今年の『院』は強いですよ、えぇ。何といっても、一年生に優秀な新入生がいましてね。隣国からの留学生なのですが、チェスを専門で学ぶために、わざわざ『院』に留学してきたのですよ。もう、隣国のランドールでは敵無しと言われているチェスの名手でしてね」

 『院』のレディング教諭が、つらつらとそう語れば、隣に座る『ミネルヴァ』のピットマン教諭が、おっとりと相槌を打つ。

「わざわざ隣国から『院』に留学を? それはすごいなぁ」

「えぇ、えぇ、とても優秀な生徒なのですよ。ただ、少々頭が硬いのが難点でしてね。本来なら大将に据えるべき実力なのですが、本人が頑なに『自分は一年だから先鋒だ』と言ってきかない。いやはや、ミネルヴァとセレンディア学園の先鋒には、少々申し訳ないことをしましたねぇ」

 レディングは、とても申し訳なさそうには見えない──寧ろ、どこか得意げな顔でそう言い、先鋒のテーブルに座る二人を見た。

 「院」の代表は、期待の新人ロベルト・ヴィンケル。

 対する「セレンディア学園」の先鋒は、紅一点のモニカ・ノートン。

「いやはや、いやはや、あのお嬢さんも可哀想にねぇ。女子ながらにそこそこ指せるようですが、流石にうちのエースが相手では、些か荷が重いでしょうよ」

 そう言ってレディングはチラチラと、ボイドの厳つい顔を見る。

 ボイドは戦場にいるかのような険しい顔で、ボソリと低く呟いた。

「先に、謝る」

「いやはや、はてさて、謝るとは何をですか? もしかして、あの女子生徒があまりに弱すぎて相手にならないことを、ですかな?」

「モニカ・ノートンを、先鋒にしたことだ」

「あぁ、やはり、セレンディア学園は華を添えるためにわざわざ女子生徒を選んだのです? あぁ、それとも、あの少女は多額の寄付金を出している家の子とか? いやはや、まぁまぁ、セレンディア学園は実力主義の『院』とは学風が違いますからねぇ。そういうこともあるでしょうよ、えぇ」

 レディングが早口にまくし立てても、ボイドはレディングの方を見向きもしなかった。

 ただひたすら真っすぐに、生徒達を見据えながらボイドは口を開く。

「モニカ・ノートンは、あまりに経験が少ないから、先鋒にした」

「あぁ、女性はチェスを指す機会が少ないですしねぇ。彼女、チェス歴は何年? よもや一年とか?」

 笑いを噛み殺しながら問うレディングに、ボイドは太い指を二本突きつける。 



「二週間」



 この教師達の会話に聞き耳を立てている者がいた。

 ミネルヴァ代表のバーニー・ジョーンズである。

 彼は細い眉毛をピクリと跳ね上げると、剣呑な目で、遠くに座るモニカを睨んだ。




 * * *



 モニカはキリキリと痛む胃を押さえながら、用意された席に着いた。

 胃が痛むのは、試合に対するプレッシャー故にではない。

 バーニーに正体がバレかけていることへの緊張。そして、ネロとリンが大人しく見張りをしてくれているかが不安なせいだ。

 ネロとリンには、繰り返し繰り返し念を押したから大丈夫だと信じたい……が、二人ともあの装いを気に入っていたらしいので、やはり不安である。

 はぁ、と溜息を吐いていると、正面に座る「院」の男子生徒が、モニカに話しかけた。

「どこか具合が悪いのですか?」

「い、いえ、だ、だ、大丈夫、です」

「そうですか」

 ロベルト・ヴィンケルと名乗った男子生徒は、モニカより年下の十六歳らしいが、とてもそうは見えない大柄な男子生徒だった。背が高いだけでなく筋肉質で、チェスより剣や槍の方が似合いそうな風貌である。

 硬そうな黒髪を短く切り揃えた生真面目そうな雰囲気は、いかにも「院」の生徒らしい。

(……今は、目の前のことに、集中しなきゃ)

「時間ですね。よろしくお願いします」

「よ、よろしく……おねがい、しまふ」

 噛んだ。

 あぁ、なんて恥ずかしい。死にたい──と落ち込んでいたのは、ほんの数秒。

 顔を上げてチェス盤と向き合えば、モニカの中の羞恥や不安は消えてなくなり、チェスのことだけが頭を占める。

 モニカの雰囲気が明らかに変わったことに、ロベルトは少しだけ驚いたような顔をする。だが、それすらも今のモニカには目に入らない。

 今のモニカの目に映るのは、盤面の駒だけ。

 モニカは白のナイトを摘まみあげて、コトリと動かした。



 * * *



 試合が始まると同時に、観戦席に座っていたグレン・ダドリー君(いつも元気な十七歳)は、口元に手を当てて、声援を飛ばそうとし……それに気づいた隣の席のニールに口を塞がれた。

「対局中は大きい声は駄目ですよ!」

「もご……オレはただ、モニカ頑張れ〜って言おうとしただけで……」

「ダ、メ、で、す」

 とても高等科の人間とは思えないやりとりにラナが頬を引きつらせていると、クローディアがニタリと不吉な笑みを浮かべた。これは、絶対にろくな事を考えていない笑顔だ。

「……ここで大声でモニカを応援すれば、ニールの手で口を塞いで貰えるのね……悩ましいわ……」

「何一つとして悩ましくないわよ。ねぇ、それより試合はどうなってるの? 今、どっちが勝ってるの?」

 ラナの言葉に、クローディアは心底呆れたような目を向けた。

「……こんな序盤で、勝ち負けが分かるわけないでしょ」

 チェスに詳しくないラナは、ぐぅっと悔しげに黙り込む。

 すると、ニールの手から解放されたグレンが、いつもより少しだけ声のトーンを落として言った。

「でも、なんか、モニカのとこだけ展開が早くないっすか? 他のテーブルの倍以上のスピードで駒が動いてるっすよ」

 グレンの言う通り、盤面を模したボードの駒は、先鋒の盤面だけが異様な速さで動いていた。

 実況用ボードの駒を動かす生徒が、慌ただしく盤面とボードを交互に見ているほどに。

 ラナは馬鹿にされることを承知で、クローディアに訊ねた。

「ねぇ、チェスって、早く指した方が有利になるとか、そういうルールでもあるの?」

「……チェスには持ち時間があるから、早く指すのが悪いわけじゃない。でも、モニカのは明らかに早すぎる」

 ロベルトが駒を動かしてからモニカが次の手を指すまでに、かかる時間は常に三秒以内。

 はたから見ていると、何も考えずに駒を動かしているようにすら見える。

 グレンがポンと手を叩いた。

「わかった! きっと、あーやって早く指すことで、相手にプレッシャーをかけてるんっすよ!」

 グレンの言葉に、ニールが難しい顔をした。

「……確かに、そういう戦法を取る人も、いるにはいます……けど」

 ニールは言葉を切ると、展開していく盤面を見て、小さく感嘆の吐息を吐く。

「ノートン嬢は、相手にプレッシャーをかけるとか、そういうことは考えてないんじゃないかな……」

 素人のラナとグレンには分からないが、モニカの指した手を見て、ニールとクローディアの表情が明らかに変わった。

 この二人だけじゃない、チェスを理解している者は誰もが皆、先鋒の試合を食い入るように見ている。



 ──盤面では、恐ろしく高度な駆け引きが、恐ろしい早さで行われていた。



 攻勢に出るロベルトを、モニカは極めて正確に捌いていく。

 まるで最初からその手がくるのを分かっていたかのように、モニカがすぐさま切り返せば、ロベルトも負けじと次の手を指す。

 先の先の、そのまた何十手も先の、手の読み合い。

 先鋒の試合だけ、明らかにレベルが違うのは、約二名ラナ・グレンを除いて、誰の目にも明らかだった。

 教師席では「院」の教師が、真っ青な顔で「二週間? は? 二週間んんん?」とブツブツ呟いており、ミネルヴァの席ではバーニー・ジョーンズが、ボードではなくモニカを暗い目で睨みつけている。


「チェック・メイト」


 モニカが静かな声で宣言し、ロベルトが膝の上で拳を握りしめて項垂れた。

「……ありません」


 この大会において最も高レベルなその試合は、驚くほど短時間で終わり、それから一時間近く時間を空けて、中堅、大将は「院」が勝利を収めた。

 最終的な戦績は、二勝一敗で「院」側の勝利だ。

 だが、その場にいる誰もが理解していた。



 ──この場において、最も強い者が誰なのかを。


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