【7ー8】どう見ても拷問器具
この国の行く末に対する不安、フェリクスを護衛することへのプレッシャー、これからミネルヴァの人間に会うという恐怖──それらを胸に秘めつつ、ラナの部屋を訪れたモニカは今……
ラナに締め上げられていた。
「うぇぇぇぇぇぇっ、苦しいぃぃぃぃぃ」
「ほら、モニカ! 息吐いて、ふーって!」
「うぐぅー……」
「うぐぅーじゃなくて、ふーっ!」
モニカの背後に回ったラナは、コルセットの紐をきつく引くと、手早く縛り上げる。
「最初は苦しいかもしれないけど、すぐに慣れるわ……というか、こんなの軽装も軽装だからね? パーティ用のはもっとすごいわよ」
なんでもパーティ用のコルセットはスカートを膨らませるための骨組みなども組み込まれており、これより更に重くなるらしい。
華やかな社交界の裏の貴婦人達の努力を思い知りつつ、モニカはコルセットの上から制服を着込んだ。
ラナがモニカを呼び出したのは、このコルセットを貸すためだったらしい。更に今日は舞踏会の練習も兼ねて、化粧までするのだという。
ラナはモニカをドレッサーの前に座らせると、侍女を呼んで化粧道具を並べさせた。そして、慣れた手つきでモニカの顔に練り粉を薄く伸ばしていく。
「夜会だったら、華やかに見せる化粧をするんだけど、今日は薄くしておくわ。チェス大会だし、少し知的に見える方が良いもの」
そう言ってラナは、モニカの前髪を少し斜めに流すよう侍女に指示を出す。
「少し額を出しましょう。モニカはいつも前髪を下ろして俯いているから、顔を出すだけでだいぶ印象が変わるわ」
たかだかチェスの大会に出るのに、印象を変える必要があるのだろうか。
モニカが困惑していると、ラナはボソリと呟く。
「……詮索する気はないけど」
「えっ?」
「会いたくない人が、いるかもしれないんでしょ……今日のチェス大会」
モニカはギクリと肩を強張らせる。
ラナの言う通りだ。ミネルヴァの知り合いが来ると決まったわけではないけれど、それでも「ミネルヴァの人間」というだけで、モニカを不安にさせるには充分だった。
モニカが黙り込むと、ラナはモニカの頬に白粉をはたきながら言う。
「化粧をして、髪型を変えたらだいぶ印象が変わるし、上手くいけば、会いたくない奴に遭遇しても誤魔化せるかもしれないじゃない」
「……!」
人に存在を気づかれたくない時、フードを被って俯いて、自分の顔を隠すことばかり考えるモニカにとって、ラナの言葉は目から鱗だった。
「お父様が言ってたわ。人間の第一印象は、姿勢と表情で殆ど決まるって。容姿の美醜は大概が二の次なのよ」
今回に限って、コルセットは体型補正よりも、姿勢矯正の意味合いの方が強いらしい。確かに、猫背になるとコルセットが体に食い込むので、嫌でも背筋を伸ばさざるをえない。
更にラナは、顔色を明るく見せる化粧をモニカに施していく。
顔色が悪く隈の浮いた肌は白粉で隠して、薄く頬紅を入れて。荒れた唇は蜜蝋のクリームで艶を出してから、血色が良く見える紅を薄く乗せて。全く手入れしていなかった眉を少しだけ整えて。
「ほら、できた!」
鏡に映っているのは、健康的な肌色の十七歳の少女だった。
化粧を施したことで、突然誰もが振り向くような美女になったわけじゃない。鏡に映っているのは、丸い目と、低い鼻と、小さな口の、素朴な顔立ちの少女だ。
だがそれでも、今のモニカを見て、十代前半の子どもと見間違える者はいないだろう。
なにより、いつも不健康そうな顔色のモニカが、今はなんだか健康的で明るく見えるのだ。それだけで結構な衝撃である。
「わ、わ……わたしが……十七歳に見える……っ!」
「……第一声が、それ?」
「なんか、すごく、健康そう……」
「不健康そうなのは自覚してたのね? 食事と睡眠改善しなさいよ」
ラナは呆れたような声で言うが、モニカの化粧の出来栄えに満足そうだった。
ラナはフンスと得意げに鼻から息を吐くと、侍女に「アレを持ってきて」と指示を出す。アレってなんだろう。もう、これだけでも充分に素敵なのに!
鏡を見て感動しているモニカの背後で、侍女が何やら見慣れぬ鉄製の器具を持ってきた。
どことなくハサミに似たそれは、ハサミで言う刃の部分が丸い筒になっている。持ち手の部分は木製だ。
使い道の分からぬモニカには、それが拷問器具に見えなくもない……などと思っていたら、侍女がその器具を火で炙り始めたではないか。
「ラ、ラナ……その、拷問器具? みたいなの、は?」
「拷問器具って、あなたねぇ……これは、コテよ」
「や、焼きゴテ?」
火で炙るコテと言えば、想像するのは家畜に焼印を入れるときに使う焼きゴテである。
まさか、あれを皮膚に当てるのかとガタガタ震えるモニカに、ラナは半眼を向けた。
「……何を想像してるのか知らないけど……これは髪を巻くのに使うのよ」
「髪を……巻く?」
髪を巻くという文化を知らないモニカは、ただただポカンとすることしかできない。
ラナは櫛を手に取り、モニカの髪と向き合った。
「さぁ、ここからが本番よ。今から絶対に頭を動かさないでね、モニカ」
* * *
チェス大会の朝、生徒会役員は他校の生徒の出迎えの準備のために、少し早めの集合を命じられる。
指定された応接室にモニカが足を運べば、他の生徒会役員達はモニカを見て、一斉に表情を変えた。
誰もが、いつもと違うモニカに注目している。
それは「あぁ、この美しい少女は、どこの姫君だろう!」……というわけではなく。
「……ノートン嬢が、十七歳に見える」
エリオットの零した言葉が、全てであった。
人によっては失礼だと腹を立てそうな台詞だが、モニカは目をキラキラと輝かせて、フンフンと力強く頷く。
「じゅっ、十七歳に、見えます、かっ?」
「おぉ、驚いたぜ。どうしたんだ、その化粧と髪型?」
「と、友達に、やって、もらいましたっ……十七歳に見えますかっ?」
「あぁ、見える見える」
エリオットの雑な相槌に、モニカはじーんと感動を噛み締めていた。
普段から幼児体型だ童顔だと言われているモニカにとって「年相応に見える」というのは最高の褒め言葉である。
今のモニカはコルセットで猫背を矯正して、化粧で顔色を明るくして、そして薄茶の髪は毛先を軽く巻いて結いあげていた。髪に飾っているのはいつものリボンで特に派手な装いではないが、髪を巻いただけで、だいぶ印象が変わる。
今のモニカは、どこにでもいる普通の健康的な十七歳の少女だった。悲しきかな、それだけで周囲が驚く程に、普段のモニカは不健康そうな少女だった。
シリル・アシュリーに至っては呆然と目を見開き、
「貴様……そういう顔だったのか」
などと失礼極まりないことを呟いている。
モニカはいつも俯き気味で目元が隠れがちなので「薄茶の髪の、ガリガリに痩せた小柄な少女」という特徴だけで、モニカを判別していたのだろう。
ニールは素直に「わぁ、素敵ですね!」と褒めてくれたし、基本的にモニカに辛辣なブリジットも「普段から、それぐらいなさい」とコメントする程度にとどめた。
モニカがくふくふと喜びを噛み締めていると、いつのまにか目の前に立っていたフェリクスが、モニカの髪の毛を一房つまんで、唇を落とす。
「とても素敵だね。普段も可愛いけれど、今日の君はとても可憐だ。硬く閉じていた蕾が花開いた美しさは、蝶も思わず羽を休めたくなるだろうね」
モニカの思考が数秒停止した。
この手の表現と無縁なモニカの頭は、詩的だったり文学的だったりする言い回しを理解するのにひどく時間がかかるのである。
なので、モニカはストレートに訊くことにした。
「……じゅ、十七歳に、見えます、かっ?」
「あぁ、見えるよ」
「〜〜〜〜〜っ!!」
無言で唇を戦慄かせて喜ぶモニカに、フェリクスは「あ、そっちの方が嬉しいんだ」と呟く。
モニカは別におしゃれに興味があるわけではない。寧ろ、無関心だったと言っても良い。誰にも会わずに、山小屋で引きこもるモニカにとって、お洒落は必要のないものだった。
ただ、こうしてセレンディア学園に来て、ラナに髪を編む術を教えてもらった頃から、ほんの少しだけ、モニカの意識は変わり始めていた。少なくとも、クローディアに「幼児体型」と言われて気にする程度には。
「そろそろ時間でしてよ。戯れはそのへんにしてくださいまし、殿下」
ブリジットが時計に目を向けて声をかける。
フェリクスは名残惜しげにモニカの髪から手を離すと、生徒会役員一同に指示を出した。
「では、そろそろ『院』と『ミネルヴァ』の生徒を迎えに行こう」
かつて通っていた学び舎の名に、浮かれていたモニカは気を引き締め直す。
(大丈夫、大丈夫……姿勢を良くして、堂々としていれば、よっぽどのことがない限り、気づかれないはず)
* * *
『バーニー、バーニー、あの人達は、何をしているの?』
『あれは、チェスですよ。いわゆる盤上遊戯……暇人達のお遊びです』
バーニーはチェス倶楽部の人間を遠くから眺めて、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
『魔術を学ぶミネルヴァに来て、チェス倶楽部を立ち上げるなんて酔狂にも程がある。折角、魔術師養成機関の最高峰にいるのだから、魔術の研究を極めるべきでしょうに』
まだ、モニカがミネルヴァにいた頃、バーニーはそんなことを言っていた。
だからきっと、バーニーはチェスなんてしないのだろうと、モニカは心のどこかで思い込んでいたのだ。
「初めまして、ミネルヴァチェス倶楽部代表、バーニー・ジョーンズです」
フェリクスと握手をする、眼鏡をかけた青年の姿を見て、モニカは言葉を失った。
記憶にあるよりも伸びた身長、低くなった声──それでも、見間違う筈がない。
(なんで……どうして……)
ミネルヴァの生徒達の先頭に立つのは、かつてモニカの親友だった男。
(……どうして……バーニー……っ!)




