【7ー6】三大名門校
「モニカ、次のお休みの日に、買い物に行かない?」
学祭まであと一週間となったある日の昼休み、ラナが昼食の席でそう提案した。
どうやらラナは、学祭の時に必要な物の買い物に行こうと考えているらしかった。
休日なら外出届を出せば、近くの街まで買い物に行くこともできる。だが、モニカはパンをかじりながら、フルフルと首を横に振った。
「ご、ごめんなさい、わたし、その日は、ちょっと、用事が……」
「……チェス大会」
クローディアがボソリと呟いた言葉に、モニカは「んぐぅ」とパンを喉に詰まらせる。
ラナはキョトンと目を丸くしてモニカを見た。
「生徒会って、チェス大会当日も仕事があるの?」
「えっと、その、わたし…………」
口ごもるモニカの横で、クローディアが再びボソリと呟く。
「……代表選手、先鋒」
モニカはむせそうになりながら、涙目でクローディアを見た。
チェス大会の代表選手は、掲示板に控えめに張り出されるだけで、意外と知っている者は少ない。
そもそもチェス大会自体、それほど大規模なイベントではないのだ。大会と銘打っているが、実際は他校の選手を招いての交流会に近いらしい。だから、大半の生徒はチェス大会に興味が無いのだ。
ラナもチェス大会の選手にモニカが選ばれたことを知らなかったらしく、目を大きく見開いてモニカを凝視した。
「なに? もしかして、モニカ、選手に選ばれたの!?」
「……………………い、一応」
この手の代表に選ばれることを、モニカは人に話すのが苦手だった。
──調子に乗っている、大した実力もないくせに、落ちこぼれのくせに。
昔、投げかけられた心無い言葉が、頭の中をぐるぐると巡る。
かつて、モニカが友人だと信じていた少年の冷たい目を思い出すと、それだけでモニカの心臓はギュッと押し潰されそうになるのだ……が。
「すごいじゃない!!」
ラナはガタッと椅子を鳴らして、前のめり気味にモニカを見る。
そして、ポカンとしているモニカに興奮した様子でまくし立てた。
「やだもう! どうしてそういうのを黙ってるのよ! 応援って、行っていいのよね!?」
「…………チェスのルールも分からないのに?」
クローディアの指摘に、ラナは下唇を尖らせる。
「駒の名前ぐらいは知ってるわよ」
「……それで、ルールを知ってるなんて、よく言えたものね」
「べ、べつにいいでしょ!」
ラナは恥ずかしそうに頬を赤くしつつ、モニカを見る。
モニカは、なんと言えば良いのか分からなくて、口をパクパクさせていたが、やがておずおずと頷いた。
「うん、応援…………嬉しい」
モニカがポソポソと小声で言うと、クローディアが呆れ顔で鼻から息を吐く。
「……馬鹿正直にそんなこと言ったら、ルールを知らない馬鹿は、外野から大声で声援飛ばすわよ」
「するわけないでしょ!」
眉を吊り上げて怒鳴りつつ、ラナはふと思い出したような顔でクローディアを見た。
「そういえば、去年の大会って……貴女も出場したんじゃなかった? あと二人は生徒会の人達で……」
「……よく覚えてたわね」
呻くクローディアは、美しい顔を忌々しげに歪めていた。
まるで、過去の過ちを指摘されたかのような表情である。
「そうよ、手抜きをし損ねたのよ……ニールが『頑張りましょうね』って言うから、うっかり頑張ってしまったの……不覚だわ……」
クローディア・アシュリー嬢は非常に優れた頭脳の持ち主だが、同時に極度の面倒臭がりやである。
基本的に誰かに頼られることを嫌う彼女は、普段から鬱々としたオーラで他者を遠ざけ、ニール以外には辛辣な態度を隠そうともしない。
きっと昨年も、ニールがいるから試合に出場したのだろう。
(クローディア様はどんなチェスをするんだろう……対局お願いしても、してくれなさそうだけど、興味ある……かも……)
昨年度はセレンディア学園の圧勝とエリオットは言っていたから、クローディアも相当に強いはずである。クローディアがどんなチェスをしたのか、エリオットかベンジャミンに訊いてみようか。
モニカがそんなことを考えていると、ラナがふと思い出したように呟いた。
「ねぇ、そういえば対戦校は今年も同じところなの?」
「……でしょうね。三大名門校の交流会という名目だから」
(…………え?)
クローディアの言葉に、モニカの心臓が嫌な音を立てて跳ねる。
このリディル王国の三大名門校と言えば、貴族の子女達の名門校「セレンディア学園」
神殿傘下にある、法学に秀でた「院」
そして最後の一つは、魔術師養成機関の最高峰……。
(……ミネルヴァ)
モニカの手からフォークが滑り落ちた。
カツーンという音が、やけに遠く聞こえる。心臓の音がうるさい。手のひらがじとりと嫌な汗で濡れている。
「モニカ?」
「……あ…………ご、めん、なさい……」
モニカは慌てて椅子から降りて、落ちたフォークを拾おうとする……が、指に上手く力が入らない。持ち上げたフォークが指の間を滑って、また床に落ちる。
──魔術師養成機関ミネルヴァは、かつて〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットが在学していた教育機関である。
モニカは飛び級をして、十五歳で卒業してしまったけれど、当時の同級生が、まだ何人もミネルヴァに在学しているはずだ。
(……だいじょうぶ、みんな、きっと、わたしのことなんて、おぼえてない)
モニカはいつも俯いていたし、殆ど人前で口を利くこともなかった。
無詠唱魔術を覚えてからは、研究室に殆ど引きこもっていたし、学会や研究発表会にも顔を出していないから、モニカの顔を覚えている人間なんて、ごくごく一部だ。
(……だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ)
必死で自分に言い聞かせるも、体の震えが止まらない。
脳裏にチラつくのは、かつて友人だと信じていた少年の、侮蔑の目。
──貴女なんて、友達じゃない。
ヒィッ、とモニカの喉が引きつった。
正しい呼吸の仕方が分からず、モニカはヒッヒッと短い呼吸を繰り返す。過呼吸の前兆だ。モニカは慌てて口元を手で押さえる。
「モニカ!?」
モニカの異変に気付いたラナが、椅子から下りてモニカのそばで膝をついた。
(ラナを、心配させたくない)
モニカは真っ青になって震えながら、震える唇を動かす。
「だ、だいじょ、ぶ…………うん、なんでも、ない、よ」
「なんでもないって顔じゃないわよ!」
ラナが渋面で呻くと、クローディアがぼそりと呟く。
「……院か、ミネルヴァに、知り合いでもいるのかしら?」
「──っ!」
「……その様子だと、嫌な因縁の相手って、か・ん・じ」
モニカは胸元を押さえたまま、ブンブンと首を横に振る。
(ちがう、ちがうの、バーニーは悪くないの、きっとわたしが悪かったの、わたしが間違えたの、だから嫌な因縁とかじゃないの、わたしが全部いけないの)
脳裏に懐かしい顔がよぎる度、モニカは自分を責める。
そうしていないと、彼が許してくれない気がして。
自分が生きることすら、許されないような気がして。
(ごめんなさい、ごめんなさい、山小屋から出てきてごめんなさい……わたしなんて、人前に出ちゃいけなかったのに……バーニーの言う通りにしていなくちゃいけなかったのに……っ)
「モニカ」
ラナがモニカの肩に手を添えて、強い口調でモニカの名を呼ぶ。
モニカがゆっくりと顔を上げてラナを見ると、ラナは何かを決意したような顔で告げた。
「チェス大会の日の朝、少し早起きしてわたしの部屋に来なさい。いい、絶対よ」
「…………?」
「約束」
強い口調で言われれば、頷いてしまうのがモニカのさがだ。
モニカがおずおずと頷くと、ラナは「絶対よ」と強い口調で念を押した。




