【6ー12】モニカの駆け引き
「おーい、モニカー。意識はあるかー?」
噴水の中でひっくり返っていたモニカは、ゼェハァと荒い息を吐きながら、か細い声で応える。
「……なん、とかぁ」
「おう、すげーな。魔力がほぼスッカラカンじゃねぇか」
「……うん、ここまで、使ったの、久し、ぶりぃ」
モニカは基本的に戦闘では、魔力の消費を最小限に抑えて、正確なコントロールで敵を撃つスタイルである。
だが、ルイス・ミラーの作った結界を破壊するためには、どうしても最大威力の魔術で挑むしかなかった。
精霊王召喚はモニカの全魔力の七割から八割を消費する大技である。普段からホイホイと使えるようなものじゃない。
今はただ、この疲労感に身を委ねて眠ってしまいたいが、モニカにはまだやるべきことが残っていた。
「……私の負けかぁ……」
ネロの肩の上で、ケイシーが力なく笑った。
「……モニカは、一般人じゃ、なかったのかぁ……はは、取り入る相手を間違えたわ」
「ケイシー……」
モニカは重い体をゆっくりと起こし、ケイシーを見上げた。
ケイシーは憎悪でも怒りでもない、全てを諦めたような顔で寂しく笑っている。
「なんて顔してんのよ。私は、あなたを騙してた悪いやつなんだから」
ケイシーがモニカに親切だったのは、フェリクスに近づくためだった。実際、それは成功した。モニカのそばにいたことで、ケイシーは生徒会役員の予定を知ることができたのだから。
モニカは、ケイシーに利用されたのだ。
「……それでも、わたしは……」
モニカは服の胸元をギュッと握りしめると、必死で声をしぼりだす。
「ケイシーが……ご飯や、見学会に誘ってくれて……嬉しかったんです」
たとえそれが、モニカを利用するためだったとしても、それでもモニカはケイシーを憎むことができなかった。
魚のフライをパンに挟んで、豪快に美味しそうに食べる彼女が。
クローディアとラナが喧嘩腰になると、さりげなくフォローしてくれる彼女が。
刺繍が得意なの、と言って刺繍した綺麗なハンカチを広げ、はにかむように笑う彼女が。
「……ダメよ、モニカ」
ケイシーは目を閉じ、緩やかに首を横に振る。
「私は、殿下の命を狙った極悪人なんだから……ちゃんと、憎まなくちゃ」
ケイシーの振る舞いがどこまで演技だったのか、モニカには分からない。
それでも、全てが嘘だったとは思えないのだ。
王家の人間の暗殺を目論んだとなれば、ケイシーとその一族の処刑は免れないだろう。
(…………処刑)
モニカの背筋がさぁっと冷たくなる。
その時、ネロが上空を見上げて舌打ちをした。
「おい、モニカ。やべぇ奴が来たぞ。オレ様、隠れるかんな」
ネロはまだ痺れて動けないケイシーを地面に下ろすと、自身は素早く身を翻した。恐らく、木陰で猫の姿に化けたのだろう。
遅かれ早かれ、結界を勝手に弄った以上、「あの人」が来ることは分かっていた。
モニカはふらつく体で、それでもしっかりと二本の足で立ち、空を見上げる。
遥か遠くの空に、ポツンと小さな黒点が見えた。それは凄まじい速さでこちらに近づいてくる……あれは、着地のことを考えているのだろうか?
嫌な予感がして、モニカは数歩、後ずさる。
そしてその僅か数秒後、上空から二つの人影が降ってきた──地面に突き刺さるような勢いで、グルグルと回転しながら。
人影の一つ、メイド服の美女は直立姿勢のまま高速回転し、地面に膝まで埋まった状態で着地した。
一方、その背後にいたもう一つの人影は杖を一振りしてギリギリのところでその体を浮かせ、地面に刺さるのを回避する。
「こんんんんっの、クソ馬鹿メイドっ。着地方法を改善しろと、あれほど言ったではありませんか」
「回転式着地法と名付けました。攻撃力が高く、かつ、非常にスタイリッシュです」
「地面に膝まで埋れて、スタイリッシュもクソも無いのですよ、駄メイド」
盛大な舌打ちをし、栗毛を三つ編みにした片眼鏡の美男子──〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーはモニカを見下ろす。
そして眉間に指を当て、深々と溜息を吐いた。
「……私の結界がえらいことになってるから、様子を見に来てみれば……やはり、犯人は貴女でしたか。同期殿」
「お、お久しぶりです、ルイスさん」
モニカがペコリと頭を下げると、ルイスは腰を折ってモニカの顔を覗き込み、訝しげな顔をする。
「……魔力がほぼ尽きかけている? 貴女が魔力を切らしているところを見るのは初めてですな。翼竜を二十匹以上ぶち殺しても、ケロッとしていた癖に」
ルイスは片眼鏡の奥の灰紫の目を細めると、破壊された噴水と、地面にへたり込んでいるケイシーを交互に見た。
「さて、そちらのお嬢さんは……この学園の生徒とお見受けしますが、敵ですか? 味方ですか?」
モニカが口籠っていると、ケイシーはあっさりとした口調で言った。
「敵よ。フェリクス殿下の暗殺をしようとして失敗した、馬鹿な敵」
「そうですか……リン、拘束なさい」
ルイスが一言そう命じれば、メイド服の美女は膝まで埋れていた足をズボッと地面から引き抜き、ケイシーを後ろ手に拘束する。ケイシーは逆らわず、大人しくされるがままだった。
「さて、同期殿。状況を説明願えますかな?」
「……は、花火の搬入作業をしている西の倉庫に〈螺炎〉が仕掛けられていました」
〈螺炎〉の一言に、ルイスは顔をしかめる。彼もまた、その魔導具の恐ろしさを充分に理解しているのだ。
まして、近くに花火があったともなれば、その恐ろしさは語るまでもない。
「……わたしの防御結界じゃ、完全に防ぎきれないと思ったので、ルイスさんの結界を、お借りしました」
「大規模結界の周囲には、まぁまぁ頑丈な保護結界を張っていたのですが?」
「……精霊王を召喚して、壊しました」
「大規模結界そのものにも、書き換え防止のダミー術式を、盛りっ盛りにしていた筈ですが?」
「……えっと、そういうの、見抜くの、得意で……あっ、でも、ダミーを見抜くのに一分近くかかったんです。本当です!」
「一分……あれを、一分……」
モニカの言葉に、ルイスは頬を引きつらせた。
そうして彼はしばし沈痛な顔で黙り込んでいたが、やがて苦々しい顔で呻く。
「……今後、私の結界が書き換えられるような事件が発生したら、真っ先に貴女を疑うことにします」
「ふぇっ!?」
「……誰にでもできることじゃないと言っているのですよ」
できてたまるか、クソが。という大変物騒な呟きが最後に聞こえた気がするが、モニカは聞こえなかったフリをした。ルイス・ミラーはお上品ぶっているが、中身は割と物騒な男である。
「大体の事情は把握しました。ところで、第二王子には、まだ正体はバレていませんか?」
「は、はいっ、バレてない……はず、です」
「結構。では、〈螺炎〉はこちらで秘密裏に回収しておきましょう。そちらのお嬢さんの身柄も、こちらで預かります。貴女は引き続き、第二王子の護衛を……」
「あ、あのっ!」
ルイスの言葉を遮り、モニカは声を上げる。
モニカらしからぬ態度に、ルイスは片眼鏡の奥の目を細めた。
「なんですかな?」
「ケ、ケイシーは……そこの彼女は、どうなります、かっ」
「……取り調べを受けさせ、暗殺に関わった人間を片っ端から引きずり出します。あまりに口を割らないようなら、精神関与魔術を使うことになるでしょうね」
自白を強要したり、従順になるよう精神に関与する魔術は、本来は禁術だ。だが、凶悪犯の尋問など特定の条件下では使用が許可される。
だが、モニカは知っていた。精神関与魔術は被術者の精神に大きな障害を与えることがあることを──最悪、廃人になる。
モニカの顔色で言いたいことを察したのか、ルイスは冷ややかな目でモニカを見下ろした。
「……精神関与魔術の使用に抵抗があるようですね? ですが、廃人になった方が、いっそ幸せかもしれませんぞ? 王族の暗殺未遂ともなれば、極刑は必至。正気を失ったまま処刑された方が苦しまずにすむ」
ケイシーの顔がさぁっと青ざめる。
モニカはゴクリと口の中に溜まった唾を飲み込むと、震える体を叱咤してルイスをまっすぐに見上げた。
「ル、ルイスさんは、第一王子派、なんです、よねっ?」
「……藪から棒になんです?」
「答えて、ください」
ルイスは怜悧な眼差しで、モニカの顔を探るように見た。
いつもならすぐに目を逸らして俯く〈沈黙の魔女〉が、今はまっすぐにルイスを見上げている。
その事実が、ルイスの興味を俄かに惹いた。
「えぇ、そうですね。私は第一王子のライオネル殿下と学友ですから。第一王子派と言っても差し支えないでしょう。ただ、誤解をしないでいただきたい。私はなにがなんでも第一王子に、王になってほしいわけではないのです」
「……え?」
てっきり、ライオネル殿下こそ次期国王に相応しい! と言うのかと思っていたモニカは、少しだけ拍子抜けする。
「私が第一王子派を名乗るのは、クロックフォード公爵と第二王子が気に入らないからです」
「…………」
なんともルイスらしい理由である。
だが、ルイスが第一王子の友人であることは事実だ。
その事実を確認した上で、モニカは次の手を打つ。
「ケ、ケイシーは、ランドールと繋がっている、第一王子派です」
ルイスの眉がピクリと動いた。
「ランドールと繋がりのある第一王子派が、第二王子の暗殺を目論んだという事実が明らかになれば……第一王子派にとって、不利になります、よね?」
第二王子暗殺未遂の事実が明らかになれば、第一王子陣営は圧倒的に不利になる。
そのことをモニカが指摘すると、ルイスは薄い笑みを浮かべた。
「政治闘争に無関心な貴女が、私にそういう取引を持ちかける日がくるとは思いませんでしたな……実に小賢しい」
「フェリクス殿下も、誰も、暗殺未遂のことを知りません。知っているのは、わたしとケイシーだけです」
「……だから、暗殺未遂事件そのものを無かったことにしろと?」
「…………」
そこまでムシのいいことは考えていないが、モニカはどうにかして、ケイシーの処刑を回避したかった。
必死に食い下がるモニカに、ルイスは諭すような口調で言う。
「第一王子派も一枚岩ではありません。第一王子もその母君も、言ってしまえば王位に興味のない人間なのです。正々堂々を好み、暗殺など絶対に望まない……が、第一王子を支援する人間の、誰もがそうとは限らない」
そこで言葉を切り、ルイスは冷ややかな目でケイシーを睨む。
「第二王子の暗殺未遂などという、いらん真似をする馬鹿は、内々で粛清する必要があるのですよ」
「ひ、秘密裏に事を片付けるなら、やりようがある筈、ですっ」
モニカは唇をきつく噛み締めて、涙目でルイスを睨む。
この時、ルイス・ミラーは密かに打算していた。
ルイスとしては、ケイシーに精神関与魔術をかけて過激派の名前を自白させ、その上で秘密裏に粛清してしまった方が、後腐れが無くていい。
だが、それをしたら、きっとこの先、モニカの協力は得られなくなるだろう。
〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットの力は、本人が思っている以上に絶大なものなのだ。協力を失うのはあまりに惜しい。
諸々を天秤にかけた末、ルイスは一つの結論を出す。
「そちらのお嬢さんが正直に全てを白状するのなら、精神関与魔術は使わないと約束しましょう。身柄は修道院送り。二度と社交界の場には出られない」
これが、精一杯の譲歩だ。
モニカはルイスに深々と頭を下げる。
「……ありがとうございます、ルイスさん」
「そのかわり、貴女にはこれからも第二王子護衛任務に協力してもらいますぞ」
「はいっ!」
迷わず頷くモニカに、ルイスは片眼鏡の奥で目を細める。
ルイスがモニカを第二王子の護衛に選んだ理由の一つが、モニカの人間不信だ。
誰も信じず、誰にも心を開かない──だからこそ、護衛向きだと思った。
簡単に他者を信用するような者に、護衛は務まらない。
「……少々、絆されすぎですな」
「えっ?」
ルイスはモニカの眉間にピトリと人差し指を当て、その顔を覗き込む。
「貴女は七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット……セレンディア学園の生徒、モニカ・ノートンというのは仮初の姿です」
モニカの肩がギクリと震えた。
「そのことを、ゆめゆめお忘れなきよう」
「…………は、い」
頷くモニカを、ルイスは底光りする目でじっと見下ろす。
その光景を無言で見ていたリンは「誘拐現場のようですね」と場違いな感想を口にした。