【6-11】静寂の縁より来たる者
ケイシー・グローヴには三人の兄がいたが、三人とも竜討伐に向かい、帰らぬ人となった。
一番上の兄はワイバーンに掴まれて、高い所から落とされた。首の骨が折れて即死だった。
二番目の兄は赤竜の爪で切り裂かれ、帰ってきた遺体は手足が欠けていた。
三番目の兄は赤竜の炎のブレスに焼かれて焼死した。焼け爛れた皮膚は兜や鎧に貼りつき、剥がすことも叶わず、鎧姿のまま埋葬せざるを得なかった。
竜の脅威に晒される度に、父は何度も何度も国に竜騎士団の出動要請を出した。だが、竜騎士団が間に合ったことなんて殆どない。
ケイシーの故郷ブライトは、リディル王国にとって重要度の低い痩せた土地だ。だから、中央の貴族は見向きもしない。
寧ろ、国境に近いこの土地に竜が多いということは、それだけ隣国から攻められる可能性が低くなる。竜は弱小貴族より役に立つ防衛線だ、などと言う者すらいた──その土地に住まう者のことなど、考えもせずに。
竜に土地を荒らされ、家族を奪われ……絶望の縁に立たされたケイシー達を救ってくれたのが、ランドールの騎士団だった。彼らは秘密裏にブライト領まで駆けつけ、竜退治に尽力してくれた。
なんでも、ケイシーの祖母がランドールの侯爵家の人間だったらしく、その縁で駆けつけてくれたらしい。
その支援が国から見捨てられていたケイシー達にとって、どれだけありがたかったか。
それからというもの、ケイシーの父、ブライト伯爵とランドールの貴族は密かに連絡を取り合い、お互いの国の情勢について話し合うようになった。
その中でよく話題になるのが、クロックフォード公爵。
第二王子の母方の祖父であり、リディル王国で最も権力の強いこの男は、帝国との戦争を視野に入れ、その足がかりとして、ランドールを侵略しようと考えているらしい。
このまま第二王子が次期国王となれば、その悪夢は実現してしまう。
──私に、何かできることはある?
そう問うケイシーに、父は苦渋の表情で告げた。
──セレンディア学園に行きなさい。
そこで、フェリクスの目に留まり、フェリクスを籠絡することができればそれが一番。
だが、それが叶わぬのなら……。
──これを、使いなさい。
そう言って父はケイシーに小さな魔導具……〈螺炎〉を握らせた。
* * *
(一体、何が起こってるの……?)
黒髪の男の肩に担がれながら、ケイシーは混乱していた。
このネロとかいう明らかに学生の年齢じゃないのに制服を着ている男もおかしいが、それ以上におかしいのはモニカだ。
〈螺炎〉の存在をモニカが知っていたことも驚きだが、更にモニカはそれを無力化するのだと言う。
(できっこない……)
〈螺炎〉がいかに強力な物か、ケイシーは父から聞かされている。
〈螺炎〉の欠点は有効範囲が狭く、命中率がそこまで高くはないこと。だからこそ、フェリクスが花火の搬入に立ち会う、このタイミングで仕掛けたのだ。
例え〈螺炎〉がフェリクスに直撃せずとも、花火の火災で確実に仕留められるように。
ネロと呼ばれた男は旧庭園の門を軽々と飛び越え、奥に進んでいった。
手入れされていない雑草だらけの旧庭園。その中心にあるのは、古びた噴水。
ネロの肩から下りたモニカは噴水に駆け寄り、噴水の中を覗き込む。今は使われていない噴水には雨水が溜まり、苔むしていた。
「この噴水……底に、魔術式が刻まれてる……これが、学園防護用の大規模結界だったんだ」
更にモニカは噴水の外側にあたる部分の飾り彫りを見て、目を細める。
「大規模結界の周囲に、別の保護結界が張られてる……多分、大規模結界が破壊されるのを防ぐために、結界を結界で保護してるんだ……」
「つまり、外側の保護結界をどうにかしねぇと、本命の大規模結界を弄れないってことか? ……で、どうすんだ?」
黒髪の男の言葉に、モニカは迷いのない声で断言する。
「外側の保護結界だけ、壊す」
モニカは何を言っているのだろう、とケイシーはますます混乱した。
ケイシーは魔術に関して素人だが、モニカが言っていることが、誰にでもできることじゃないことは分かる。
* * *
モニカは噴水の前に立ち、意識を集中した。今、モニカがすべきことの手順は実にシンプルだ。
一つ、噴水の外側にある保護結界を破壊する。
二つ、噴水の内側にある大規模結界を、対〈螺炎〉用に書き換える。
外側の保護結界は、内側の大規模結界に触れようとすると発動するもので、その強度は極めて高く、並大抵の魔術では破壊できないだろう。
なれば、モニカの持てる全ての力で破壊しなくては。
モニカは目を閉じて、素早く魔術式を編み上げる。
その魔術式は国内でも僅か数人しか使い手がいない、超上級魔術。無詠唱のモニカですら、発動に十秒以上の時間を要するものだ。
そして、モニカはこの魔術を使う時、これから呼び出す者への畏怖と敬意を込めて、最後の詠唱だけは口にする。
「……姿無き導きの王、我が呼びかけに応え、その力の片鱗を示さん」
その瞬間、木々のざわめきがピタリと止まった。
風が凪ぎ、音が消え、そしてモニカの頭上に白い扉が現れる。
ケイシーが目を剥き、ネロが「大盤振る舞いだな」と陽気に口笛を吹いた。
「七賢人が一人、モニカ・エヴァレットの名の下に。開け、門。静寂の縁より現れ出でよ……風の精霊王シェフィールド」
* * *
フェリクスの胸ポケットの中でウィルが動き回っていた。どうやら何かを伝えようとしているらしい。
フェリクスはエリオットに一声かけてその場を少し離れ、木の影に隠れる。
「ウィル、どうしたんだい?」
「……生徒会業務中に申し訳ありません」
白い蜥蜴はフェリクスのポケットからちょこんと頭を覗かせると、落ち着かなげに周囲を見回す。
なにやら普通ではないウィルの様子に、フェリクスがもう一度「ウィル?」と声をかければ、ウィルはフェリクスを見上げて言った。
「……精霊王を呼び出す門が、この近辺のどこかで開かれました」
「精霊王召喚の術が使われた、ということかい?」
「……はい。この気配は、風の精霊王シェフィールド様かと」
ウィルの言葉にフェリクスは顎に手を当てて思案する。
リディル王国内で上位精霊と契約を交わしている者は僅か十人足らず。そして、精霊王召喚ができるのは、凡そその半分の筈だ。
(……七賢人の誰かが、近くにいる? 風の魔術を得意としているのは……〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーか?)
精霊王召喚が行われたなど、ただ事ではない。大規模な戦闘か、それに準じる何かが起こっているということだ。
だが、周囲に喧騒や破壊音は聞こえない。
「……ウィル、しばらく周囲に警戒を。搬入作業が終わったら、学園内を見て回ろう」
「かしこまりました」
一つ頷き、白い蜥蜴はフェリクスのポケットに戻っていった。
* * *
精霊王と繋がる扉をモニカが開けていられるのは、僅か三秒足らずだ。
だが、結界一つを壊すだけなら、それで充分。
「破壊せよ」
その声に応えるように、門から鋭い風の刃が振り下ろされる。それはまるで巨大な鉈を振るったかのように、噴水周りの保護結界に無数の亀裂を入れた。
風が収まり、門が閉じるのと同時に、噴水の外枠のみが綺麗に砕け散る。
「……いま、の、なに……? それに、さっき、七賢人、って……」
ネロの肩に担がれたケイシーが、震える声で呻く。
モニカはケイシーの方を振り向かぬまま、噴水外枠の破片を乗り越え、噴水の内側に向かう。
「……隠し事をしてたのは、ケイシーだけじゃ、ないんです」
今のモニカには、それだけ言うのが精一杯だった。
なにより今はまだ、やるべきことがある。外側の結界を破壊したら、次は本命──学園全体に張られた大規模防御結界の書き換えだ。
噴水の底に刻まれた結界の魔術式は、モニカが思わず称賛の吐息を零すほどに素晴らしかった。流石〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが時間をかけて作っただけある。その繊細な結界構成技術は一流の建築技術に近いものがあった。ルイスもまた、モニカと違った意味で大天才なのである。性格は悪いが。
(書き換え防止のダミー術式が複数組み込まれてる……まずは、これを解除しないと)
「モニカ! 西の倉庫の魔力がやべぇぞ! 破裂寸前だ!」
今のモニカにはネロの声すら届いていなかった。
見開かれた目に映るのは、複雑で難解な魔術式。それをモニカは数式を解くかのように、読み解いていく。
(ダミー術式の分析完了。結界の座標指定。結界発動条件を「外部からの攻撃」から「内側からの攻撃」に変更。対火属性に限定。酸素を排除。後はひたすら圧縮、圧縮、圧縮……)
それは、精霊王召喚のような派手な魔術ではなく、地味で静かな戦いだった。
ルイスの防御結界を完全に把握したモニカは、それを学園全体を保護するものから〈螺炎〉を覆うサイズに圧縮する。〈螺炎〉は手のひらに乗るサイズのものだから、結界は極々小さくていい。
西の倉庫の棚の下に、密かに設置された〈螺炎〉が炸裂する。まるでギリギリまで詰め込んだ無数のバネを一斉に放ったかのように、螺旋の渦を巻く炎が炸裂する。
本来なら、その炎は近くにいる人間を貫き、花火に引火し、大惨事をもたらす筈だった……が、極小の結界によって押さえ込まれる。
本来、結界とは人間が生命維持をするのに必要な酸素等は通すように作られている。だが、あえてモニカは酸素を通さないよう設定した。
アルコールランプの火に、蓋をかぶせて消火するのと同じ理屈だ。結界内で酸素を失った〈螺炎〉はその勢いが嘘のようにみるみる消えていく。
やがて、火が完全に燃え尽きたのを確認し、モニカはふーっと息を吐いた。
「…………〈螺炎〉の無力化……完了、しましたぁ」
そう言って、モニカはその場にひっくり返る。
精霊王召喚に大型結界の書き換えで、モニカの魔力は底を突いていたのだ。
ネロは噴水に歩み寄りながら、肩の上で唖然としているケイシーに得意げに言った。
「どうだ、オレ様のご主人様はすげーだろ」




