【6ー9】〈螺炎〉
ケイシーはいつだって快活に笑う少女だった。姉御肌で、頼りになって、モニカの手を引いて先を歩いてくれる。
そんなケイシーが、今は隣を歩くモニカの手に縋り付くように歩いていた。握った手はじっとりと冷たい汗が滲んでいて、微かに震えているのが伝わってくる。
モニカがその手をじっと見つめていると、ケイシーは青白い顔のまま頼りなく笑った。
「ごめんね、なんか、みっともないとこ見せちゃって」
「い、いえ、あんなことがあったら……誰だって、そうなります」
「はは、それも、そっかぁ」
ケイシーはいつもみたいに笑おうとして失敗したような、ぎこちない笑い方をした。
その笑い方が、青白い顔が、頼りなく震える手が……モニカの心を抉る。
二人は東校舎の廊下を歩いていた。医務室までは、まだ少し距離がある。
モニカは一度だけ唇を噛み締めると、ゆっくりと口を開いた。
「木材を縛っていた縄は……刃物で、切れ目を入れた痕が、ありました」
「えっ、じゃあ……あれは偶然の事故じゃなくて……まさか、最初っから縄に切れ目が? 業者の人間が誰かの命を狙って?」
ケイシーの言葉に、モニカはゆるゆると首を横に振る。
「いいえ、縄の切れ目はよく見ると、途中まで刃物を入れて……あとは自然に切れるのを待つようになっていました…………私、計算したんです。縄にあの深さの切れ目を入れた場合、縄が完全に千切れるのにかかる時間は何秒か……」
木材の正確な重さが分からないから凡その数字ですけど、と前置きし、モニカは告げる。
「五秒から十五秒、です」
あの縄に切れ目を入れて、十秒前後で縄は完全に千切れた。
つまり、縄は学園に持ち込まれる前に切られたのではなく、あの場にいた誰かが切れ目を入れたのだ。
そしてモニカは知っている。この学園は外部の人間が入る場合、所持品検査が行われるのだ。当然に刃物の持ち込みはできない。外部の人間は、ハサミ一つすら持ち込むことができないのだ。必要なら全て学園に申請して借りる必要がある。
「……業者の人は、刃物を持ち込めないから、縄に切れ目を入れるなんて、できません」
ケイシーの顔から表情が消える。それでも彼女の手はじっとりと汗ばみ、震えていた。
モニカはしゃっくりでもおこしたみたいに喉を引きつらせながら、言う。
「……ケイシーが、縄を、切ったんですか?」
モニカの手からケイシーの手がすり抜ける。
ケイシーはモニカの数歩先を歩くと、そこで足を止めて、くるりとモニカを振り返った。
その顔に浮かぶのは、いつもと変わらない快活な笑顔。
「あっはは、バレちゃったかぁ……うん、そう、私がやったの」
驚くほどあっさりと白状し、ケイシーはポケットから工作用の小さいナイフを取り出して、ちらつかせて見せた。
あぁ、とモニカは声にならない声を漏らす。
「……どう、して?」
「モニカが嫌いだから、ちょっと意地悪してやろうと思って。本当はね、あの木材でモニカを狙ったのよ。そしたらドジ踏んじゃって、木材が自分の方に倒れてきちゃってさ。いやー、参ったわ」
ケイシーはその口調も笑い方も、いつも通りを装おうとしているのだろう。だが、どうしてもぬぐい切れない演技臭さがあった。ケイシーの言葉は、まるで用意していた台詞をそのまま口にしているかのような違和感がある。
紡がれる言葉はいつもより早口で、そして彼女の目は決してモニカを見ようとしない。
ケイシーは、嘘をついている。
「…………嘘、です」
「嘘じゃないわよ。私、初めて会った時から、あなたの事が嫌いだったんだもの」
ケイシーの言葉がモニカの胸を抉る。
嫌い、という言葉はいつだって、人の胸を抉るものだ。いつものモニカなら、涙目になって俯いていたかもしれない。
だが、今はそれ以上に強い違和感がモニカの胸にあった。
「ケイシーは、何を、隠してるん、ですか?」
「やだなぁ、隠し事なんて無いわよ。私はあなたが嫌い。だから、意地悪をしようとした。それだけ」
ケイシーは少しだけ唇の端をいびつに持ち上げて、いかにも意地の悪そうな顔でモニカを見る。
「お茶会の時、モニカの紅茶が捨てられてたの覚えてる?」
「……はい」
「あれやったの、実は私なの」
あっけらかんとした口調、悪びれない態度。それなのに、モニカには怒りが込み上げてこない。ただただ、違和感と悲しみだけが募っていく。
モニカは目を伏せ、ポツリと呟いた。
「……知って、ました」
「えっ?」
キョトンと瞬きをするケイシーに、モニカは制服の裾を握りしめながら言う。
「……私、昔、苛められてたことが、あって……よく、物を隠されて…………だから、私物には、名前、書かないんです」
紅茶の缶を棚に置く時、モニカはケイシーに目印の紙を貰った。ケイシーは紙に自分の名前を書いていたけれど、モニカは誰かに捨てられることを危惧して名前を書かなかった。
だから紙の端を蛇腹に折って、自分にだけ分かるような目印をつけたのだ。
「……あの時、私が紙を蛇腹に折るのを、見てたのは…………ケイシーだけ、なんです」
臆病で慎重なモニカは、紙を蛇腹に折る時も、缶を棚に置く時も、誰かに見られないよう自分の体で隠すことを徹底していた。
……つまり、モニカの紅茶の缶を知っていたのは、ケイシーだけなのだ。
そして、使用人のいないケイシーは自分で紅茶を淹れるために、モニカの少し前に離席して準備室に移動している。そのタイミングで、彼女はモニカの紅茶を捨てたのだろう。
モニカの指摘に、ケイシーは唖然とした顔をしていたが、やがて前髪をかき上げて、虚しく笑った。
「あはは、やっぱあなたって頭いいわ」
「…………」
「そっかぁ……そんなに前からバレてたかぁ。思えば、モニカってラナには普通に話す癖に、私にはずっと敬語だったもんね。警戒されてたのかぁ……」
「……でも、ケイシーは、そのあと、いっぱい、私を助けてくれました……だから、何かの間違いかも、って……思って……」
紅茶の葉を捨てられて打ちひしがれているモニカに、ケイシーは自分の紅茶を使えば良いと提案してくれた。
それからも昼食に誘ってくれたりと、何かとモニカを気にかけてくれたのだ。
だから、モニカはずっと真実から目を背けていた。何かの間違いだったのだと、自分に言い聞かせて。
「ねぇ、モニカ。前に食堂で話したこと覚えてる? 父に殿下の目に止まってこい……って言われたってやつ」
「……はい」
「私ね、殿下のお嫁さんになって、未来の王妃になりたいの。だから、殿下が目にかけてるモニカと仲良くすれば、殿下に近づくチャンスが増えるかなって思って。それで、モニカに優しくして、友達の振りしてたの……ははっ、酷い話でしょ?」
ケイシーの言葉は、一見筋が通っているように見える。
だが、やはり嫌な違和感がモニカの胸にこびりついて、剥がれない。
モニカは人と接することが苦手だ。だから、今までは目の前にいる相手のことを、あまり観察したことがなかった。
けれど、この学園にやってきて、色んな人と接するようになって、モニカはほんの少しだけ「他人を知る」ことを覚えたのだ。
だからこそ、言える。ケイシーは何かを隠している、と。
だが、その「何か」が掴めず、モニカはもどかしさに服の胸元を握りしめる。
(……ケイシーは、何を隠しているの?)
早く気づかなくては、取り返しがつかなくなる。
そんな予感にモニカが焦っていると、廊下の窓が勢い良く開き、一人の男が飛び込んできた。
「モニカ!」
一階とは言え、まさかの窓から飛び込んできたのは、黒髪の青年──人間に化けたネロだった。
ネロが人間に化ける時はいつも、古風なローブ姿なのだが、今はこのセレンディア学園の男子生徒の制服を着ている。
「……ネ、ロ? どうしたの、その服?」
「おぅ、よくできてるだろ。猫だと校舎から摘み出されちまうし、いつものローブだと不審者扱いだから、魔力でちょちょいと作ったんだよ。最初、お前の制服イメージしたら、うっかりスカートになっちまって、一からやり直しに…………って、いや、それどころじゃねぇわ」
ネロは鋭い視線を西側に向けると、早口で告げる。
「なんか、西の倉庫に変な魔力反応があるぞ。しかも、徐々に強くなってやがる」
ケイシーは窓から現れた謎の男に唖然としていたが、その言葉を聞くなり、さぁっと青ざめた。
モニカは咄嗟に、無詠唱で感知の魔術を発動する。
方角は今いる校舎東側と真逆の、西の倉庫。そこに確かに魔力の反応があった。
それは周囲の微弱な魔力を吸い取って、徐々に膨れ上がっている。
(属性は火、周囲の魔力を吸収して圧縮、この内側で渦を巻くような魔力の流れは…………まさかっ)
かつてミネルヴァの魔導具の授業で、モニカはこの独特な魔力の流れを見たことがある。
極めて殺傷能力の高い、暗殺用魔導具。その名前は……。
「……〈螺炎〉」
モニカがその単語を口にした瞬間、ケイシーは目を見開き、か細い声を漏らした。
「どうしてモニカが〈螺炎〉を知ってるのよ……?」
その呟きを聞いた瞬間、今までのケイシーの行動が一つに繋がる。
西の倉庫で行われているのは、花火の搬入。そこに立ち会っているのは、フェリクスとエリオット。
ケイシーがモニカに近づいて友達の振りをしていた本当の理由。それは……。
「……ケイシーの目的は…………殿下の、暗殺?」
ケイシーは答えない。
だが、その強張った顔が、全てを物語っていた。




