【6ー8】切れた縄
モニカの使い魔であるネロは、主に日中は学園の敷地内をブラブラと散歩している。
無論、優秀な使い魔であるネロは、ただダラダラゴロニャンとひなたぼっこをしているわけではない。窓の外で授業の内容をこっそり聞いて人間のことを勉強しつつ、第二王子の周辺に不審者がいないか、目を光らせているのだ。
特に今日は外部の人間が出入りすると、モニカから言われていたので、ネロはいつも以上にフェリクスの周囲を警戒していた。
(……まぁ、あの王子は契約精霊がついてるみたいだから、滅多なことはねーだろうけど)
魔力の感知に優れているネロは、フェリクスのポケットの中に、いつもあの白い蜥蜴がいることに気付いていた。おそらくは水の高位精霊だろう。
そういえば、最近こっそり聞いていた魔術の授業では、精霊との契約は上級魔術師クラスでないとできないとかなんとか言っていた気がするが……。
(じゃあ、あの王子は魔術師なのか?)
この手のことはモニカに訊くのが一番だ。何せこの国の魔術師の頂点、七賢人の一人である。とてもそうは見えないが、魔術の知識に関して、モニカの右に出る者はそうそういないだろう。
その内、精霊との契約のこともモニカに教えてもらおう、などと考えていると、ネロの感覚に何かが引っかかる。
ネロはヒクヒクとヒゲを震わせて意識を集中した。
弱い魔力の反応だ。この学園では実戦魔術の授業をしているから、魔力反応があること自体は珍しくない。
だが、場所が不自然なのだ。
(……ありゃあ倉庫か? 何か運び込んでんな)
学園西側にある大きな倉庫には、何人もの業者の人間が出入りして、木箱を運び込んでいる。鼻の良いネロはすぐにその中身が火薬の類であることに気がついた。
(搬入物は祭りの資材ってモニカは言ってたが……人間は祭りに火薬を使うのか? 土木作業でもすんのか?)
花火を見たことがないネロは、運び込まれていく木箱を訝しげに眺める。
木箱の搬入を先導しているのは、護衛対象である第二王子だ。隣には性格の悪いタレ目もいる。
(王子とタレ目は、倉庫の中で魔力反応があることに気付いてない……みたいだな)
ネロは魔力に対する感覚が鋭いのですぐに気づいたが、どうやら人間はそうではないらしい。
そういえば、以前モニカが言っていた気がする。人間が魔力を感知するためには、感知専用の魔術を使う必要があるのだとかなんとか。
倉庫内の魔力反応は非常に弱いものだ。だが気のせいか、時間の経過と共に微妙に魔力が膨張しているような気がする。
(……なんか、嫌な感じがするぜ)
ネロは木から飛び降りると、モニカのいる東門へ駆け出した。
* * *
授業を終えたモニカが指定された東門へ向かうと、既に資材の運び込みは始まっていた。シリルは東倉庫のそばで業者の人間にあれこれと指示を出している。
モニカが鈍足なりに必死で駆け寄ると、シリルは眉を釣り上げて「遅い!」と怒鳴った。
「シリル、様、す、すみ、ませ……げほっ」
体力のないモニカはここまで走ってきただけで、息も絶え絶えである。
モニカの鈍足っぷりを知っているシリルは、荒い息をしているモニカを見下ろして、眉間に指を添えた。
「早くその見苦しい呼吸を整えろ。資材の搬入はまだ始まったばかりだ。すぐには終わらん」
「は、はい……」
「それと、今日は舞台美術担当の人間が、資材の確認に来る筈だが……」
そういってシリルは周囲をぐるりと見回し、校舎からこちらに向かってくる人影に目を向ける。
「どうやら、来たようだな」
シリルの視線の先に目を向けたモニカは、パチクリと瞬きをした。
こちらに向かってくるのは、明るい茶の髪を一つにまとめた、活発そうな少女──ケイシーだ。
「お待たせしてすみません! 舞台美術責任者が時代考証班と議論を始めちゃって……しばらく終わりそうにないので、代理で来ました。高等科二年のケイシー・グローヴです」
「数の確認だけなので、代理で構わん」
「はい、よろしくお願いします! モニカもよろしくね」
ケイシーに声をかけられ、モニカはコクコクと頷く。
正直、初対面の人間とはまともに口がきけないので、ケイシーが来てくれたことにモニカはホッとした。
人見知りのモニカにとって、数字を扱う仕事は、どれだけの量があろうが苦労しないのだが、報告や指示など対人能力が問われる仕事になると、一気に難易度が上がるのだ。
ケイシーが来てくれて良かった、と胸を撫で下ろすモニカに、シリルが指示を出す。
「私は業者に資材の収納場所の指示を出す。ノートン会計はリストを見て、漏れが無いかチェックを」
「は、はいっ」
頷くモニカの肩を、ケイシーがポンと叩いた。
「私もモニカを手伝うわ。そうすれば、一緒に資材の確認ができるし」
「あ、ありがとう、ございます」
ケイシーは「どういたしまして」と快活に笑って、リストを手に取る。
そして、そこにずらりと並ぶ資材の名称と数量を見て、ケイシーは快活な笑みを引っ込めた。その頬が微妙に引きつっている。
「……うっわ……数字が……ぎっしり……」
モニカは数字がぎっしりみっちり並んでいると妙に心が躍る性分なのだが、大半の人間はそうではないらしい。その例に漏れず、ケイシーはげんなりした顔でモニカにリストを差し出した。
「……私が現物の数を数えるから、リストとの照合をお願いしていい?」
「はい!」
その手の照合作業はモニカが得意とするところである。
ケイシーは苦笑混じりにモニカにリストを渡し、既に運び込まれた資材に駆け寄る。
運び込まれたのは、ほとんどが加工済みの木材だ。薄い板状になっている物、棒状の物など形は様々で、一部は既に何らかの形に組み立てられている。どれも舞台で使う物なのだろう。
ケイシーが木材の種類と本数を確認し、モニカがそれをリストと照合してチェックする。
その作業をしばし繰り返したところで、モニカはふと顔を上げた。目に見える範囲にケイシーの姿が無いのだ。
「……あれ? ケイシー?」
モニカはリストから顔を上げて、ケイシーの姿を探した。すると、前方の木材の向こう側から「こっちよー!」とケイシーの声がする。どうやら、木材の陰に隠れて見えなくなっていたらしい。
倉庫の奥の方は、殆んどチェックが終わっているから、自分も少し入り口側に移動した方が良いかもしれない。
モニカはリストを手にケイシーの方へ歩き……ぶづり、と何かが切れる音を聞いた。
(…………え?)
次の瞬間、縄で括られ縦置きにされていた木材が斜めに傾く。
木材を括って固定していた縄が、途中で切れている。
「モニカ、こっちこっち!」
丁度木材が倒れる方向には、ケイシーが立っていた。ケイシーは木材が自分の方に倒れてきていることに気づいていない。
「避けろっ!」
倉庫の外で指示出しをしていたシリルが短く叫び、早口で呪文の詠唱を始めた。恐らく、魔術でケイシーを助けようとしたのだろう。だが、既に木材はケイシーの頭上に迫っていた。詠唱をしていては間に合わない。
──そう、詠唱をしていては。
(間に合って……っ!)
モニカは咄嗟に、無詠唱で風の魔術を発動した。
木材の位置と角度から倒れる位置を割り出し、最小限の力で木材が倒れる位置を僅かにずらす。
「きゃぁぁぁぁぁっ!?」
ガラガラと木材が倒れる音とケイシーの悲鳴が重なった。
モニカの背中を冷たい汗が伝う。
(……間に合っ、た?)
「ノートン会計! グローヴ嬢! 無事か!」
シリルが血相を変えて駆け寄ってくる。モニカはコクコクと頷きながら、震える足でケイシーの元へ向かった。
床にへたり込んでいるケイシーには、目に見える怪我はない。木材は全てモニカの計算通り、ケイシーの体から離れた所に倒れている。
だが、ケイシーは真っ青な顔で、カタカタと震えていた。
「大丈夫、ですか……っ?」
モニカが声をかけると、ケイシーは震えながら無言で頷く。
「二人とも、怪我は無いな!?」
駆け寄ってきたシリルが、モニカとケイシーを交互に見て、怪我の有無を確認する。
モニカは言うまでもなく、ケイシーも怪我は無い。それでもシリルは念には念をと、二人に医務室に行くように命じた。
「この場は私が受け持つ。事故の原因について、場合によっては業者を追及する必要があるからな。お前達は医務室で休んでいろ」
「は、はいっ」
モニカはへたり込んでいるケイシーに手を伸ばし「立てますか?」と訊ねた。
ケイシーはコクンと一回だけ頷き、モニカの手を取ってフラフラと立ち上がる。
モニカは木材を括っていた縄に目を向けるとギュッと唇を噛み締めて、ケイシーの手を取り、歩き出した。