【6ー2】〈沈黙の魔女〉の食堂デビュー
一週間ぶりに登校したモニカは、昼休み、初めてセレンディア学園の食堂を利用することになった。
隣のクラスのケイシーがわざわざ休み時間に、モニカのクラスにまで顔を出して、モニカを昼食に誘ってくれたのだ。ラナも一緒にとのことだったので、モニカは緊張しつつも、ケイシーの誘いに頷いた。
ところで学生食堂と言うと、モニカが思い出すのは、かつて在籍していた魔術師養成機関ミネルヴァの食堂だ。
ミネルヴァでは、受付でメニューを選んで支払いをし、メニューを書いた木札を貰う。それをカウンターに差し出すと、食事を乗せたトレイと交換してもらえるという仕組みだ。メニューは日替わりで大体三種類程度で、パンとスープのおかわりは別料金。
なので、セレンディア学園の学生食堂も、そういう仕組みなのだろうと思っていたのだが、セレンディア学園の食堂はモニカの想像とは大きく違った。
言ってしまえば、セレンディア学園の食堂とは高級レストランである。食堂まで行けば、係の人間が席まで案内し、注文を受付け、生徒の席まで料理を運んでくれるのだ。
代金はまとめて、学費とともに請求される仕組みになっているので、この場で生徒が支払うことはない。
更に希望する者は寮の自室まで食事を届けてもらうこともできるというのだから、つくづく至れり尽くせりである。
(す、すごいなぁ……)
かつてモニカが通っていたミネルヴァも、貴族の人間が多いのでそれなりに設備は整っていたが、セレンディア学園はその比ではなかった。とにかく至る所に贅が尽くされている。
モニカは慣れない食堂にもじもじしながら、給仕係に案内された席に座る。すると、その隣に誰かが静かに腰掛けた。俯き気味のモニカは、きっとラナかケイシーだろうと思っていたのだが、顔を上げれば、正面の席にラナとケイシーが座っている。
……ならば、隣に座っているのは?
ぎこちなく首を捻ったモニカは、クローディア・アシュリーの美しい瑠璃色の目と、目が合った。
「ちょっ、なんで貴女も座ってるのよ!?」
ラナがクローディアを睨みながら怒鳴れば、クローディアはしれっと隣に座るモニカに身をすり寄せる。
「……あら、だって、私達お友達だもの。ねぇ、モ・ニ・カ?」
モニカは全身をガチガチに強張らせながら、あうあうと意味をなさない声を漏らす。
クローディアは白い手袋をはめた指先で、モニカの頬をするりと撫でた。なんだか蛇が肌を這うような気分になるのは何故だろう。
「……私はモニカの命の恩人よね?」
「は、はいっ」
「……感謝してるわよね?」
「は、はいっ」
「……じゃあ、お友達よね?」
「は、はいっ」
カクカクと頷くモニカに、勝利を確信したクローディアがニタリと笑う。
ラナが額に青筋を浮かべた。
「無理矢理言わせてんじゃないわよ!」
怒鳴るラナをケイシーが「まぁまぁ」と窘めた。
「ほらほら、ギスギスするのはやめて、注文しましょう?」
「……あら、私はギスギスなんてしてないわよ。その女が勝手に一人で騒いでいるだけで……ねぇ?」
明かに挑発的な物言いのクローディアに、ラナがギシギシと歯軋りをした。
そんな二人を、ケイシーは呆れ顔で交互に見る。
「二人とも、いい加減モニカに料理を選ばせてあげなさいよ。あっ、モニカ。私のお勧めはね、この魚のフライ。特製ソースが美味しいのよ」
「じゃ、じゃあ、それで……」
実を言うと七賢人としてそれなりの収入を得ているモニカは、金に困っていない。なので、メニューの料理はどれでも構わなかった。寧ろ、食に無頓着な性分なので、誰かにお勧めをしてもらえると、とてもありがたい。
全員が注文を終えると、ケイシーが微妙な場の空気をとりなすように口を開いた。
「ねぇ、今日の午後は選択授業の見学会よね? みんなはもう、どの授業にするか決めた?」
高等科二年は、通常の基礎授業とは別に選択授業というものがある。二十以上ある授業の中から二つを選んで受講するのだ。
男子は乗馬や剣術、槍術。女子は演奏、刺繍、詩歌などが人気らしい。他にも男女問わず受講できる社会学や薬草学、各種語学などもある。
その種類の豊富さに、モニカはまだ自分が選択する授業を決められずにいた。高等数学などがあれば良かったのだが、数学は基礎学問教科にあるだけなのだ。
モニカが口籠っていると、ラナが口を開いた。
「私は演奏でも良いけど……やっぱり、将来のことを考えると二つとも語学ね。特に南大陸商業語とオウカ語を覚えたら、お父様のお仕事のお役に立てるもの」
「えらいねぇ。私は刺繍かなぁ……それぐらいしか取り柄ないし。もう一つは保留。クローディア嬢は?」
ケイシーがさりげなくクローディアに話を振れば、クローディアは美しい顔に陰気な笑みを浮かべて言った。
「……薬草学と基礎魔術学よ…………馬鹿を黙らせるのに便利でしょう?」
まるで既に数人は毒殺してそうな邪悪な笑顔で、そういうことを言うのはやめてほしい。
一週間前にクローディアの応急処置で助かったモニカとしては、何も言えないところであるが。
「モニカはもう決めたの?」
ラナに問われてモニカは言葉に詰まった。
セレンディア学園は語学、法学、教養系の教科は充実しているが、高等数学や物理学、生物学といった分野にやや弱い。
つまるところ、モニカの得意分野の教科が少ないのだ。
基礎魔術学だったら、間違いなく得意分野だが……。
(……基礎魔術学の教科書に、私が作った魔術式が記載されてるなんて……言えない……)
魔術絡みは得意分野すぎて、逆にボロが出そうなのだ。
「うぅ……まだ……全然……決まって……ない、です」
モニカが指をこねながら答えると、ケイシーがニッコリと笑った。
「じゃあ、私と一緒に見学会見て回らない? 私もまだ一つは決めきれてないし、できれば普段触れないような新しい教科に触れてみたかったのよね」
「……! お、お願いしますっ」
見学会となれば当然だが、初対面の人間の集団に飛び込んでいくことになる。それが非常に苦手なモニカにとって、ケイシーの申し出はとてもありがたかった。
ほっと胸を撫で下ろしていると、給仕係が食事を運んでくる。モニカの前には綺麗な色に揚がった魚のフライとサラダ、パン、スープが並べられた。
同じ物を頼んだケイシーはホクホクとした顔でパンを二つに割り、そこに野菜とフライを挟むと大口を開けてかぶりつく。
その食べ方を見たクローディアが、眉をひそめた。
「……それは、労働者の食べ方よ」
「うちじゃみんなこうして食べるのよ。農作業の片手間にね」
クローディアが呆れた顔をしていようが、ケイシーはお構いなしだ。そういう周囲の視線を気にしない強さがモニカには羨ましい。
ケイシーはパンをゴクンと飲み込むと、口元をナプキンで拭いながらすまし顔で言った。
「それに、うちの故郷じゃ貴族だって労働者だって同じようなものよ。全員総出で働かなきゃ、ご飯にありつけないもの」
「……それで、よく、この学園に来られたわね」
「貧乏貴族がよく学費を払えたな、ぐらい言ってもいいわよ。実際、私もそう思ってるし」
ケイシーは卑屈になるでもなく、あっさりとした口調だった。
自分の境遇を不遇だとは思っていないのだろう。
「セレンディア学園に入学できたのは、ほんと運が良かったのよね。ご縁のある親切な方が支援してくださったの。父は殿下のお目に止まってこいとか無茶言うけど……ねぇ、これ、絶対父親に一度は言われるでしょ。殿下のお目に止まってこい、って」
ケイシーのぼやきに、クローディアとラナは首を横に振る。
「……私は婚約者がいるから」
「お父様は『可愛いラナが殿下のお目に止まったらどうしよう〜』とか言ってたけど、まぁ、まず無いわよね」
二人の言葉にケイシーは「羨ましい……」と呟き、それからモニカをちらっと見た。
「モニカは?」
「……へっ、えっ?」
「誰かに言われなかった? 殿下のお目に止まれって」
モニカは言葉に詰まった。お目に止まるも何も、その殿下の護衛がモニカの任務である。
「あの、えっと、それは、お、おお、恐れ多い、です」
辛うじてそう答えれば、ケイシーも特に気にした様子もなく「そっかぁ」と相槌を打って、またパンをかじった。