【6ー1】暇を持て余した駄メイドの優雅な一人遊び
モニカがイザベルの部屋で療養して一週間。概ね体調も良くなったので、また今まで通り、屋根裏部屋の自室に戻ることにした。
イザベルはこのまま同室になっても構わないのだと言ってくれたのだが、極秘の任務を受けている身としては、そうもいかない。
「行くぞモニカ。オレ様が先導するから、合図したらついて来い」
「うん……」
ネロが先を進んで人がいないのを確かめ、合図をしたらモニカも忍び足で廊下を進む。
女子寮では複数人の寮監が交代で深夜の見張りをしている。非常事態や侵入者に備えて──というのが一応の名目だが、実態は夜遊びを目論む生徒の見張りだ。
それに見つからぬよう、ネロに様子を見てもらいながら、モニカは慎重に屋根裏部屋を目指した。
途中、ヒヤリとする場面もあったが、ネロのおかげで誰かに見つかることなく屋根裏部屋の前まで辿り着いたモニカは、最上階の奥にある古びた梯子を上って、戸を押し上げる。
その時、パタンと音がした。
持ち上げた戸が何かにぶつかったのだ……それは、薄い直方体の小さな木片だった。等間隔に並べられた木片の最先端が、丁度戸を開けるとぶつかる位置に設置されていたのだ。
モニカが戸を開けたことで、等間隔に並べられた木片がパタタタタタ……と次々に倒れていく。その先にあるのは、インク壺に立てかけることで辛うじて立っていた羽ペン。
羽ペンが木片に押されてパタンと倒れると、羽ペンの先端がそばに設置された缶の上をかすめる。
缶の上に乗せられていた丸い石が物差しを滑り台のように滑り落ちていく。落ちた先には天秤の秤の片方があった。秤に小石が落ちたことで天秤が傾き、持ち上がった秤の上には「ゴール!」と書かれた紙が……。
唖然とするモニカとネロの真上で、ピピッ、ピピッ、ピピッピー♪と気の抜ける笛の音が聞こえた。
見上げれば、メイド服の美女──ルイス・ミラーの契約精霊リンが、屋根裏部屋の天井に貼りつき、笛を口に咥えたまま無表情にモニカ達を見下ろしている。
リンは体重を感じさせない動きでふわりと床に舞い降りると、スカートの裾をつまんで優雅に一礼した。
「お帰りなさいませ、〈沈黙の魔女〉殿、黒猫殿」
「……あの、リン、さん……?」
「はい、いかにも。ルイス・ミラーが契約精霊リィンズベルフィードにございます」
いつもと変わらぬ人形じみた美しい無表情と、淡々とした声。
それなのに、口に咥えたままの笛がやけにシュールだ。どうやって発声しているのだろう。
ネロは戸を開けた時に発動した仕掛けが気になるらしく、木片やら天秤やらを見ては「すげーなこれ」と感心している。
すると、リンは無表情ながらどこか得意げに頷いた。
「失敗すること二百七十四回、制作時間(材料集め込み)六十二時間の大作です。木片を同じ大きさに切り揃えるのに苦労しました」
「あの、これは……なんの、ために……?」
モニカがなんとか声を絞り出すと、リンは大真面目に答える。
「定例報告を頂戴するためにこの部屋に来たのが、今からおよそ七十二時間前。わたくしはこの場で〈沈黙の魔女〉殿のお帰りをお待ちしていたのですが、少々退屈いたしまして」
つまり、リンは三日もこの屋根裏部屋でモニカのことを待ち続けていたのだ──せっせと、木片を削ったり並べたりしながら。
申し訳なさにモニカが青ざめると、ネロが呆れたように言った。
「おいモニカ、騙されるな。精霊が、たかが三日で退屈するはずねぇだろ。感覚が人間と違うんだぞ」
「精霊とて人間の娯楽を知れば、退屈のなんたるかを理解することはできます。それは貴方も同じでは? 読書好きの黒猫殿」
「……なるほど、一理あるな」
モニカの使い魔になってから、人間の食事や娯楽小説やらで味をしめたネロは、納得顔でふむふむと頷く。
リンは床に散らばった木片やら小石やらを拾い集めてササッと片付けると、漸く本題を思い出したようにモニカを見た。
「ところで、ここ数日は何故お留守にされていたのでしょうか?」
「あの、すみませんでした……わ、わたし、一週間前から、イザベル様のお部屋にいて……えっと、毒を飲まされて、その療養に……」
モニカがもじもじと指をこねながら事情を説明すると、リンは首を直角に傾けた。恐らく首を傾げているつもりなのだろうけれど、首のもげた人形じみて大変不気味である。
「第二王子を護衛する側の〈沈黙の魔女〉殿が、何故、毒殺されかけているのでしょうか?」
「…………なんででしょうね」
そんなのモニカが訊きたい。
思い返せばこの一ヶ月半、編入して早々に生徒会役員になり、お茶会の授業では紅茶の葉を捨てられ、同級生には毒殺されかけ……なかなか壮絶である。
「来月は学祭があるとお聞きしております」
「うっ……はい……」
「外部の人間の出入りも多くなります故、第二王子暗殺の機会も増えます。充分に警戒せよ、とルイス殿が」
「は、はいっ」
モニカは改めて気を引き締め直した。そうだ、フェリクスの周囲より、自分の周囲が不穏すぎて忘れかけていたが、フェリクスは常に命を狙われている身なのだ。
しっかりしなくちゃ、とモニカが自分に言い聞かせていると、ネロが「なぁなぁ」とモニカを見上げた。
「オレ様、ふと思ったんだけどよぉ。王子を暗殺したいんなら、大型魔術をこの学園に向かってぶっ放せば一発じゃね? 楽勝じゃね?」
「……ネロ、それは暗殺じゃないと思う」
その規模までいったら、最早戦争である。
モニカはネロに呆れた顔を向けつつ、以前ルイスから聞いた話を思い出した。
「えっとね、外部からの攻撃はそんなに心配しなくて大丈夫……この学園、防御結界が張られてるから」
「そうなのか?」
「うん、国内の重要施設は、大体ルイスさんが防御結界を張ってるの」
ルイス・ミラーの二つ名は〈結界の魔術師〉……武闘派で知られているルイスだが、最も得意とするのは結界術である。その強度、規模、精度、持続時間は他の追随を許さない。
そんなルイスが、時間をかけて張り巡らせた大規模結界がこの学園にもあるのだ。
「……多分、探知術式と併せた広範囲防御結界だと思う。普段は起動しないけど、外部からの攻撃を察知して瞬時に防御結界を張るの……ルイスさんの結界なら、外部からの攻撃はまず心配しなくて良いと思う」
故に警戒すべきは、内部の暗殺者。
ルイスの結界は外部からの攻撃を防ぐことはできるが、結界内で起こったことには関与できない。
今まで以上に気を引き締めなくては、とモニカが自分に言い聞かせる。
「学祭の間の護衛計画も考えないとですよね。リンさん、ちょっと待っててください。今、定時報告を書くので……」
モニカが机に向き直り、羽ペンを手に取ると、リンが何かを思い出したようにポンと手を叩き、メイド服のポケットをごそごそと漁りだした。
「〈沈黙の魔女〉殿が留守にしている間、この屋根裏部屋に数枚の密書が届いておりました」
「……み、密書?」
「はい、戸の隙間に挟んでありました故、回収させていただきました。どうぞ」
リンが差し出したのは二つ折りにしただけの簡素な紙である。
モニカは緊張に体を強張らせた。
昔、まだミネルヴァに通っていた頃、自室に悪口を書かれた紙を放り込まれていたことを思い出したのだ。中には「死ね」とか「ミネルヴァから出て行け」なんて過激な物もあった。
それに類する物を想像し、指先を震わせながらモニカは二つ折りの紙を開く。
「………………あ」
紙には少し丸っこい字で、翌日の授業の変更点や持ち物などが書かれていた。それと「早く良くなりなさいよ」という素っ気無い一言も。
名前は書いてないけれど、モニカはその筆跡を知っている……ラナだ。紙の枚数から察するに、一週間、毎日かかさず届けてくれたのだろう。
先ほど届けられたばかりという手紙には「明日は大事な選択授業の見学があるんだから、来なさいよね!」と書いてある。
モニカは口をむずむずさせて、赤くなった頬を両手で押さえた。
「………………えへ」
モニカは手紙を一枚一枚大事に読み直すと、鍵付きの引き出し──モニカが一番大事にしているコーヒーポットと同じ引き出しにしまった。




