【5-8】真打ち悪役令嬢の高笑い
ノルン伯爵令嬢カロライン・シモンズは応接室の椅子に腰掛け、イライラと扇子の房飾りを弄っていた。
隣に座る二人の友人が、恨めしげに自分を見ているのがまた腹立たしい。
(貴女達だって、乗り気だったじゃない!)
自分は最近調子に乗っているモニカ・ノートンに、自分の立場を思い知らせてやろうとしただけだ。
とても貴族の人間とは思えないみすぼらしい容姿に、みっともない振る舞い。とても、この学園に相応しくないあの娘は、どういう訳か生徒会役員に選出された。
挙句、フェリクスやシリルにダンスの手ほどきを受けたと言うではないか。
あの二人は社交界の華だ。今年の初夏のパーティで彼らを見かけた時、カロラインはなんとか彼らに近づこうとしたけれど、それは叶わなかった。
フェリクスとシリルの周囲には、いつも人が集まっているから、カロラインはダンスをしてもらうどころか、話をすることもできず、遠くから見ていることしかできなかったのだ。
(……それなのに……なんで、あんな小娘が!)
握りしめた扇子がキシキシと音を立てて軋む。
何もかも、モニカ・ノートンが悪いのだ。自分はただ、少し苦い紅茶を提供しただけ。
それなのに、あんな大袈裟に騒いで、カロラインに恥をかかせて。なんて憎らしい娘だろう!
(全部、全部、あの娘が悪いのよ)
扇子に小さなヒビが入る。あぁ、お気に入りの扇子だったのに壊れてしまった。新しい物を父親に強請らなくては。
大丈夫、きっと父は自分を助けてくれる。父はカロラインを溺愛しているし、学園にも多額の寄付をしている。退学処分になんてなったりはしないはずだ。
「失礼するよ」
扉がノックされ、室内に二人の生徒が入ってきた。
柔らかく揺れるハニーブロンドに、青と緑の混ざった神秘的な目。常に穏やかな雰囲気を纏った第二王子フェリクス・アーク・リディル。
冬の雪にほんの少しの蜜を混ぜたようなプラチナブロンドと濃い青の目。氷の貴公子と名高いハイオーン侯爵家嫡男、シリル・アシュリー。
この学園の生徒会長と副会長である彼らは、生徒達の頂点に立つ存在である。
フェリクスはカロラインの向かいの席に座ると、膝の上で指を組んだ。シリルはその背後に立ち、冷ややかな目でカロライン達を睨んでいる。
シリルは硬い顔をしているが、フェリクスはいつもと変わらぬ柔和な笑みを浮かべていた。
(あぁ、やはり殿下は分かっていらっしゃるのだわ! わたくしが悪くないって!)
ほっと胸を撫で下ろすカロラインに、フェリクスは柔らかな声で告げる。
「ノルン伯爵令嬢カロライン・シモンズ。モニカ・ノートン嬢、毒殺未遂事件における、君の言い分を聞かせてもらおうか?」
毒殺。その一言にさぁっとカロラインと友人達の顔色が変わる。
例え貴族であろうとも、殺人は重罪だ。未遂でも相応の罪に問われる。
「誤解ですわ、殿下! あれは、ほんの悪戯だったのです! それなのに、モニカ・ノートンが勝手に大騒ぎをして……あの娘は、わたくしに恥をかかせようとしたに違いありませんわ!」
「君は悪戯で、同級生のカップに毒を盛るのかい?」
フェリクスの穏やかな声は変わらない。
それなのに突きつけられる言葉はどこまでも冷たく、無慈悲だ。
カロラインは目元に涙を浮かべて懇願した。
「あれは毒ではありませんわ! ただの目薬です! とても苦いから、気つけ薬にもなると聞いて……そう、だから、おどおどしているあの子の目を覚まさせるには丁度良いかと……」
後半は思いつきのでたらめだ。
行商人から買ったあの目薬は「とても苦いから、口にしないように」と言われていた。あの時は、目薬を口にするなんて馬鹿げていると鼻で笑ったものだけど。この際、言い逃れできるのならなんだっていい。
そんな気持ちでペラペラと言い訳を捲し立てていると、シリルがポケットからハンカチに包んだ小瓶を取り出した。
この応接間に通される際に没収された、カロラインの目薬だ。
「我が妹、クローディアが言うには、貴女が所持していた目薬は法で規制されている物らしい。医者、或いは国家認定薬剤師の資格が無ければ所持することはできない」
シリルの濃いブルーの瞳がギラリと底光りし、カロラインを冷たく睥睨する。
「そのような危険薬物を違法に所持し、挙句、他人に飲ませた……これが殺人未遂でなくて、なんだと言うのだ?」
シリルの妹、クローディア・アシュリーは〈識者の家系〉の正当な血を引く人間だ。
〈歩く図書館〉とも呼ばれる彼女の膨大な知識量は、大人にも勝る。そんな彼女が断言するのなら、きっと彼女の言うことは正しいのだろう。
カロラインは青ざめながら、それでも必死に逃げ道を探した。
「それは……わたくし、この目薬がそのような恐ろしい物だなんて知りませんでしたの。ただの目薬だと聞いていたのですから……あぁ、殿下、どうか信じてくださいまし!」
ポロポロと涙の粒を流して懇願すると、フェリクスはニコリと柔らかく微笑んだ。
「そう、君は何も知らずに、ほんの悪戯心で、あの目薬をモニカ・ノートン嬢のカップに盛ったと」
「えぇ! そうです!」
「ノートン嬢に恥をかかせるために」
静かに落とされた一言に、カロラインはキュッと唇を噛んで黙り込む。
フェリクスは口元に手を当てて、クスクスと笑った。
「名誉毀損罪も上乗せかな」
「…………っ」
自分はうまく言い訳をしている筈だ。それなのに、フェリクスの方から、カロラインを救う言葉が出てこないのは何故だろう。どうして、フェリクスは自分を庇ってくれないのだろう。
……この時のカロラインはまだ、知らぬ存ぜぬで通せば逃げ切ることができると、本気で思っていた。
その時、コンコンとノックの音が響く。フェリクスが「どうぞ」と声をかければ、一人の女子生徒が応接室に足を踏み入れ、優雅に一礼をした。
それはオレンジ色の巻毛の一年生だ。少しきつい顔立ちの美しい少女で、凛とした雰囲気を漂わせている。
「ケルベック伯爵令嬢イザベル・ノートンと申します。立ち合いをお許しいただきましたこと、心より感謝いたしますわ」
モニカ・ノートンはケルベック伯爵家に世話になっているという。ならば、ここでケルベック伯爵令嬢のイザベルが、事情を聞くために立ち合うのは自然なことだろう。
(……大丈夫よ……ケルベック伯爵令嬢は、モニカ・ノートンを毛嫌いして苛めているんだもの。ケルベック伯爵家の鼻つまみ者のモニカ・ノートンに何かがあったところで、わたくしのことを強く咎めたりはしないはず)
イザベルはシリルに勧められた椅子に腰掛けると、いかにも申し訳なさそうな顔で目を伏せた。
「この度は我が家の厄介者が、皆様に御迷惑をおかけしたとか。ケルベック伯爵家の者として、大変心苦しく思いますわ」
フェリクスもシリルも何も言わない。だが、カロラインは密かに胸の内で喜びの声をあげていた。
(ほら、やっぱり! ケルベック伯爵家はモニカ・ノートンなど切り捨てても痛くも痒くもないのよ!)
イザベルがモニカを毛嫌いしているのなら、きっと自分の味方になってくれる……と、カロラインは密かにほくそ笑む。
そんなカロラインにイザベルはちらりと目を向け、言った。
「お詫びの気持ちと言ってはなんですが……実は、侍女にお茶を用意させていますの。皆様、喋りっぱなしで、喉が渇いたでしょう? 是非、召し上がってくださいませ」
イザベルが扉の外に声をかけると、彼女の侍女が静かに入室し、テーブルに盆を置く。
何故、すぐに配らないのだろうとカロラインが疑問に思っていると、イザベルはニコリと微笑み、ポケットから小さな小瓶を取り出した。
その小瓶を見て、カロラインとその取り巻きの少女達はギクリと身を竦ませる。
それは、カロラインが所持していた目薬の瓶とあまりにも酷似しているのだ。
「そうそう、折角ですから、カロライン様達にはこれをお試し頂きたいの。最近、行商人から買ったのですけどね……とっても美容に良いお薬なんですのよ」
そう言ってイザベルは小瓶の液体を、ポタポタと三つのカップに垂らした。
そうして、イザベルの侍女は全員にカップを配る。イザベルとフェリクス、シリルには何も入っていないカップを。カロラインとその友人の令嬢には、薬を入れたカップを。
カロラインが強張った顔でカップを凝視していると、イザベルは扇子で口元を隠してクスクスと笑った。
口元を隠しているのに、明確に馬鹿にしていると分かる、悪意に満ちた笑い方で。
「……さぁ、召し上がれ?」
カロラインはカップを凝視した。紅茶以外の匂いはしない。だが、あの目薬も無臭だったのだ。
(あの小瓶、わたくしの目薬と同じ物? なんで、ケルベック伯爵令嬢がそんな物を持っているの?)
ケルベック伯爵令嬢が、都合良くカロラインと同じ目薬を持っているのは不自然だ。きっと、ただの偶然に決まっている。
隣に座る友人達は、カロラインのことを探るような目で見ていた。二人ともカップに触ろうとすらしない。
(やめてよ! そんな態度をとったら、わたくしが持っていた目薬が毒だと認めるようなものじゃない!)
これが同じ目薬の筈がない。きっとブラフだ。
カロラインはカップの紅茶を睨みつけると、覚悟を決めて一口啜る。
「……っぶ!? ぅっ、ぉぇぇぇぇっ」
強烈な苦味に、カロラインは紅茶を吐き出した。口の中に一滴も残すまいと唾液を垂らしながら紅茶を吐き出し、イザベルを殺意に満ちた目で睨みつける。
「毒よ!! この女はわたくしに毒を盛ったわ!!」
「……まぁ」
イザベルはクスクスと笑いながら、小瓶の蓋を開け、自分のカップに垂らす。そして、そのカップの中身をコクリと飲み干してみせた。
そうして顔色一つ変えずに、美しく微笑む。
「先ほども申しましたでしょう? 美容に良いお薬だって。あぁ、少々苦いから、驚かれてしまいましたのね?」
「あ、あなた……っ」
「ふふっ、だからって、何もそこまで見苦しく吐き出さずともよろしいでしょうに……あの女は、貴女が出した苦い紅茶をきちんと飲み干しましてよ?」
あの女──それがモニカ・ノートンを指してるのは言うまでもない。
イザベルは、ふぅっと物憂げに溜息を吐いて呟いた。
「まったく、アレは育ちの悪い女で、我が家の鼻つまみ者ですけれど……どんなにまずい紅茶も残さず飲もうとした、客人としての振る舞いだけは評価しますわ…………貴女はそれ以下ですのね? 殿下の前で、なんてはしたない」
そう言って、イザベルは扇子を傾け、口元を見せて鼻で笑う。
大勢の前でモニカに恥をかかせてやろうとしたカロラインが、今、よりにもよってフェリクスの前で紅茶を吐いて、恥をかかされている。
(なんなのよ、なんなのよ、なんなのよこれっ!)
フェリクスは何も言わない。ただ、どこか楽しむような顔でイザベルとカロラインのやりとりを見守っている。
イザベルは涼しい顔で紅茶を飲みつつ「そうそう」と、世間話でもするような口調で言った。
「今回の件ですが、お父様には早馬で報告をさせていただきますわ。仮にもノートンの姓を持つ者が、毒殺されかけたんですもの。当然ですわよねぇ?」
「……っ!!」
今になって漸くカロラインは、自分がしでかしたことの大きさに気がついた。
イザベルがモニカを嫌っていても、モニカがノートンの姓を持つ者であることに変わりはない。
……カロラインは、ケルベック伯爵家に喧嘩を売ってしまったのだ。
「我がケルベック伯爵領は、カロライン様のご生家……ノルン伯爵家と親交を持っていたのに、残念ですわ」
ケルベック伯爵領は、リディル王国東部で最も広大な領地だ。その規模は決して田舎貴族と馬鹿にできるものではない。
なにより東部の山岳地帯は竜が多いため、東部に領地を構える者は常に竜害に苛まれている。王都に救援要請を出せば竜騎士団が出動してくれるが、王都から東部に到着するには時間がかかるので、東部に領土を持つ貴族は皆、自分の兵を持っていた。
その規模がずば抜けて大きいのが、ケルベック伯爵家なのだ。
故に、東部の貴族達は竜による災害が起こり、竜騎士団の到着が間に合わない時、近隣のケルベック伯爵家を頼ることが多い……それは、カロラインの実家ノルン伯爵家も例外ではない。
ノルン伯爵家は領地が竜害に晒される度に、何度もケルベック伯爵家の兵に助けられているのだ。
その恩を、娘が仇で返すような真似をしたらどうなるだろう?
もし、ケルベック伯爵がノルン伯爵領を助けることがなくなったら?
軍事力の弱いノルン伯爵家は、竜害に耐えきれず、最悪滅びかねない。
「あ、ああ、違う、違うの……待って……わたくし、そんなつもりじゃ……そんなつもりじゃ……」
髪を振り乱して言い訳するカロラインに、イザベルは冷ややかな目を向ける。
イザベルはカロラインより一歳年下だ。だが、イザベルにはカロラインにはない、圧倒的な威圧感があった。
イザベルは僅かに目を細めるだけで、カロラインのプライドを粉々にし、嘲笑う。
「貴女の軽率な行いが、貴女の故郷を滅ぼす……それが社交界でしてよ?」
イザベルはオレンジ色の巻毛をかき上げると、細い顎をツンと持ち上げて高慢に笑った。
「さぁ、寮に戻ったら、他のご友人方にしっかりと語って聞かせてくださいまし……我がケルベック伯爵家を敵に回すと、どうなるのかということを!」
まるで芝居の台詞のように朗々とそう告げて、イザベルはオーッホッホッホ! と軽やかに高笑いした。




