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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第5章「お茶会編」
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【5-5】疑惑の目

 中庭でのティーパーティ演習が終わったその日の夜、モニカは屋根裏部屋の自室で、レポートを書いていた。

 ティーパーティにコーヒーを出したモニカは当然に減点対象だ。ラナとケイシーが教師に色々と掛け合ってくれたので、落第にはならずに済んだが、その代わりにレポートの提出を命じられた。

 モニカがレポートを書いている横では、ネロがご機嫌でミルクたっぷりのコーヒーをチロチロと舐めるように飲んでいる。ネロは猫の姿で器用に小ぶりのカップを前足で抱き込み、カップの中に顔を突っ込んでいた。

「ふんふん、こいつぁなかなか悪くないな。なるほど、これが大人の男の味ってやつか」

 砂糖とミルクをたっぷり入れておいて、大人の男とはよく言ったものである。

 モニカは呆れつつも、レポートを書き終えると、羽ペンを戻してふぅっと息を吐いた。

 頭をよぎるのは、ゴミ箱に捨てられていた茶葉。

 誰かが意図的にモニカを攻撃しているのは、明らかだ。

(……これからも、ああいうことがあるのかな……)

 モニカに向けられる敵意の目は、日に日に強くなっている。

 だが、それ以上に頭が痛いのはクローディアだ。

「……ネロ」

「おぅ、なんだ」

「……もしかしたら、わたしが〈沈黙の魔女〉だってこと……ばれてるかも」

 ネロはカップに突っ込んでいた頭を上げると、ミルク塗れの髭をヒクヒクと震わせた。

「夜逃げするか?」

「……どうして急にそうなるの」

「だって、バレたら、ルッルッル・ルルンパに殺されるんだろ?」

「……ルイスさんだからね。そろそろ覚えてね?」

 ネロを窘めつつ、モニカは考える。

 もし、モニカの正体がばれてしまったら、この潜入任務は終了になるだろう。

 ルイスは笑顔で激怒するだろうけれど、モニカの静かな日常は戻ってくる。

 山小屋に篭って、好きなだけ数式と向い合う暮らしに戻れるのだ。人付き合いに怯えることもなく。

 ……それなのに、そのことを素直に喜べないのは何故だろう。

「その……まだ、バレたって決まった訳じゃないから……もう少し、様子を見てみようと思うの」

 モニカが歯切れ悪く言うと、ネロは金色の目を笑みの形に細めて「へ〜え〜?」とからかうような声をあげた。

「ちょっと前のお前なら『もうやだ〜無理〜帰る〜』って、ピーピー泣いてたのになぁ?」

「うっ……そ、それは……そうかも、だけど」

 モニカがもじもじと指をこねると、ネロはモニカの膝の上に飛び乗り、モニカの太腿をテシテシと前足で叩いた。それは、人間が知り合いの肩を叩く仕草に似ている。

「いいんじゃねぇの。お前が、この場所にちょっとでも思い入れができたんなら、それは悪いことじゃないと思うぜ」

「…………そう、なのかな? ……うん、そうなのかも」

 ネロの言う通り、モニカにとって、この学園は嫌な思い出だけの場所ではなくなっていた。

 少ないけれど友達がいる。困った時に手を差し伸べてくれる人がいる。それは、今まで人付き合いを遮断していたモニカにとって、新鮮な日々だった。


 だが、内気で口下手な女子生徒「モニカ・ノートン」は仮初の姿だ。

 いずれ任務が終わったら、モニカはこの学園を去り、山小屋の暮らしに戻ることになる。

 そうなったら、この学園で知り合った人々と「モニカ・ノートン」として会うことは、二度とないだろう。


 ……モニカは、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットなのだから。



 * * *



 ティーパーティの日から一週間。

 モニカは困り果てていた。


 昼休みになると同時にモニカはそそくさと教室を出る。一番で教室を出たとは言え油断はできない。

 モニカはキョロキョロと辺りを見回しながら、大幅に迂回をして校舎を出た。

(こ、これなら、大丈夫……だよね?)

 そう思って顔を上げた先、噴水の影に真っすぐな黒髪を見つけて、モニカはヒィッと息を飲んだ。

 噴水のそばに佇んでいるのは、クローディアだ。彼女はまるで置き物のように噴水のそばに立っていたが、モニカに気づくと首だけを動かして、モニカをじぃっと見つめる。

 この一週間、ずっとこうなのだ。

 クローディアはモニカの行く先々に現れては、離れた所からモニカを見ている。

 ただ、見ているだけだ。近づいてくることも、話しかけることもない。それが逆に不気味だった。

 モニカはバタバタと踵を返して、校舎裏へ向かい……ドン、と誰かにぶつかり、尻餅をつく。

「ご、ごめんなさ……」

 ぶつけた鼻を押さえながら相手を見上げれば、グレンが目を丸くしてモニカを見ていた。きっと、今日も裏庭で肉を焼いていたのだろう。

「モニカ、大丈夫っすか?」

「ご、ごめ、なさ……いっ」

 ペコペコと謝りつつ、モニカは隠れられる場所を探す。そんなモニカの様子に、グレンは何かを察したような顔で「ははーん!」と呟いた。

「さては、誰かに追いかけられてる最中っすね?」

「え、えっと、そ、そんな、感じ……」

「なら、お手伝いっす!」

 グレンはモニカを軽々と小脇に抱えると、短く呪文を詠唱して地面を蹴った。

 モニカを抱えたまま飛行魔術で浮き上がったグレンは、程よい太さの木の上に飛び乗ると、術を解除する。

「ここなら、簡単にはバレないっすよ! オレのお気に入り昼寝スポットっす!」

「あ、ありがとうございま……」

 礼を言いかけてモニカはハッと口を塞ぐ。

 誰かが木の下を通り過ぎていくのが見えた。クローディアだ。

 彼女は静かな足取りで木の前を通り過ぎる……かと思いきや、モニカ達が登っている木のそばで足を止める。

 モニカは咄嗟に無詠唱魔術で風を起こした。狙うは少し先にある別の木だ。それを風の魔術で軽く揺さぶってやれば、クローディアの意識はそちらに向けられる。

 クローディアはモニカが風で揺らした木を下からじぃっと見上げた。

「…………気のせい、か」

 ポツリと呟き、クローディアは校舎裏の奥へと進んでいく。

 その姿が完全に見えなくなったところでモニカが深々と息を吐けば、グレンが眉を潜めてモニカを見た。

「今の人に、苛められてるんっすか?」

「い、いえ……苛められてる、とは、ちょっと違うと言うか……ただ、追い回されてるというか……」

「そーいう時はガツンと言ってやった方がいいって! モニカが言いづらいなら、オレから言ってやるっすよ?」

「う、ううん、だ、大丈夫……」

 まだ実害は何も無いので、クローディアを糾弾することはできない。

 まして、クローディアはモニカの正体に気付いているかもしれないのだ。もし、クローディアを追い詰めたことで、モニカが〈沈黙の魔女〉だと言いふらされたら、目も当てられない。

(きっと、あの人は私を監視して、私が本当に〈沈黙の魔女〉かどうか、確かめるつもりなんだ……)

 もし、完全に確信しているのなら、こうして監視はしないだろう。

 ならば、クローディアが諦めるまで大人しくしているのが一番だ。

 その後、モニカはグレンに木から下ろして貰い「一緒に肉食うっすか?」という昼食の誘いを丁重に断って、教室へ向かう。

 完全に昼食を食いっぱぐれてしまった。食事を抜くのには慣れているが、ここしばらく昼休みはずっとクローディアから逃げ回っていたので、流石にひもじい。

 たまにはゆっくり静かに食事がしたいなぁ、と溜息を吐いていると、教室の少し手前で数人の女子生徒がモニカの前に立ち塞がった。

「ねぇ、ちょっといいかしら? ノートン嬢」

 モニカに声をかけたのは、同じ学年らしき金髪の令嬢だった。顔に覚えがないから、おそらく別のクラスなのだろう。

 警戒しているモニカに、その令嬢はニコリと笑いかける。

「わたくしは、ノルン伯爵家のカロライン・シモンズ。貴女をお茶会にお誘いしたいの」

「お、お茶会……ですか?」

「えぇ、今日は少し早く授業が終わるでしょう? だから、生徒会のお仕事の前に、わたくしのお茶会にいらっしゃいな。わたくし、以前からあなたと仲良くなりたいと思っていたの」

 雰囲気から察するに、この女子生徒グループの頂点がこのカロライン嬢だ。ノルン伯爵家のことはよく分からないが、きっとそれなりに名門なのだろう。

 だとしたら、余程のことが無い限り、モニカから誘いを断ることができない。

 いやだよぅ、行きたくないよぅ、という泣き言をぐっと飲み込み、モニカは震える声で答える。

「せ、生徒会のお仕事に、支障が出ない範囲、なら……」

「えぇ、勿論。それほどお時間は取らせませんわ」

 カロラインは嬉しそうに微笑み、取り巻きの他の女子生徒達に「ねぇ、皆さん?」と目配せをする。

 他の女子生徒達はカロラインの言葉に相槌を打ちつつ、モニカを観察するように見ていた。

 そこには、蔑みの色が露骨に滲んでいる。みすぼらしい娘だと、その目が何よりも雄弁に語っているのだ。

 できることなら行きたくない。それでも、学園内で目立つような行動をするわけにはいかない。

(大丈夫、大丈夫、大人しくお茶を飲んで、相槌を打つだけ。余計なことを言わなければ大丈夫、大丈夫……)



 必死で自分にそう言い聞かせるモニカの後ろ姿を、瑠璃のように青い目がじっと見つめていたのだが、モニカは気付いていなかった。


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