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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第5章「お茶会編」
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【5-4】場違いな一杯

 廊下を早足で歩きながら、モニカはバクバクとうるさい心臓を制服の上からギュッと押さえた。

(も、もしかして、気付かれた? 気付かれた? わたしが、〈沈黙の魔女〉だって……)

 七賢人になってからは顔を殆ど隠していたから、モニカの顔を知る人間は、同じ七賢人達ぐらいである。

 或いは、ミネルヴァに通っていた頃の知り合いだろうか? だが、人見知りのモニカは殆ど研究室に引きこもっていたし、クローディアのように目立つ美女をどこかで見かけていたら、さすがに記憶に残る。

(き、きっと、偶然……だよね……)

 偶然、話題にしただけだ。きっとそうだ。

 自分にそう言い聞かせて、モニカは準備室の扉を開ける。準備室は茶会の前と比べて人は少なかった。殆どの侍女は、茶会の給仕に出ているからだろう。

 人が少ないことに少しだけホッとしつつ、モニカは缶を置いた棚に足を向ける。

「……あれ?」

 棚を見上げたモニカは硬直した。モニカの茶葉の缶が無い。

 ケイシーの紅茶の缶は、モニカの記憶と同じ位置にある。だが、その隣のモニカが缶を置いたスペースには何も置かれていない。

 確かに、端を蛇腹に折った紙を敷いて、その上に缶を三つ並べていたのに。

 嫌な予感に、モニカの全身から血の気が引いていく。

 モニカはこういう状況に直面するのは初めてではなかった。だからこそ、察してしまった。

 モニカは震える手で、ゴミ箱の蓋を開ける。

「…………ぁ」

 使用済みの茶殻や空の缶に混じって、まだ未使用の茶葉がごみ箱にぶちまけられている。それと、蛇腹に折られた紙も。

「……そん、な」

 モニカはヘナヘナとその場にしゃがみこんだ。茶葉が無ければ、紅茶を淹れることはできない。これでは、授業に戻れない。

(……どうし、よう)

 じわ、と目に涙が滲む。モニカがどんなに優秀な魔術師でも、時間を巻き戻すことはできない。

 嗚咽を飲み込み、鼻を啜っていると、背後で聞き覚えのある声がした。

「モニカ、どうしたの? 具合が悪いの?」

 モニカのそばに膝をついて背中をさすってくれたのは、ケイシーだった。

 どうしてここに、とモニカがか細い声で問うと、ケイシーは複雑そうな顔で頰をかく。

「モニカがなかなか戻ってこないから、心配で様子を見に来た……っていうのは、ごめん、建前。正直、あの場にいづらくて……」

 なるほど、ラナとクローディアの一触即発の雰囲気の空気に耐えきれず、モニカの様子を見にいくという名目で席を抜け出したらしい。

 ケイシーはごみ箱にぶちまけられた茶葉を見て、状況を察したらしい。眉をひそめて、ごみ箱を睨んだ。

「酷い……誰がこんなこと」

 それからケイシーはハンカチでモニカの目元を拭ってやると、幼子にするように優しい口調で話しかける。

「ねぇ、寮に予備のお茶っ葉はある? この際、普段飲むやつでいいから、何か出せば……」

「……ない、です」

 モニカは普段から紅茶を飲むことはないので、自分用にストックはしていない。

 イザベル嬢に頼めばまた分けてくれるだろうけれど、彼女は今、授業中だ。

 グズグズと鼻を啜るモニカに、ケイシーはしばし考え、自分の紅茶の缶を手に取った。

「私の紅茶使って。お茶の種類が被ったことになるけど、何も出さずに終わるよりはマシだわ」

「……で、でも、被ったら、迷惑に……」

 紅茶の種類が被るということは、事前準備が足りていないと評価される。

 そうすればモニカだけでなく、ケイシーまで減点されてしまう。

 だが、ケイシーはあっけらかんとした態度で、手をパタパタと振った。

「そんなの気にしないで。お茶会なんてお茶の種類がなんだろうが、美味しくて楽しければそれが一番じゃない」

 モニカはグズッと鼻を啜り、ごみ箱の茶葉を見た。

 確かにケイシーの言う通りだ。なにより、茶を用意できずに茶会の席に戻ったら、授業で不合格にされかねない。

(……でも)

 モニカはキュッと拳を握りしめると、震える足で立ち上がった。

 そして、ダッと踵を返して準備室を飛び出す。

「モニカ!? どこ行くの!?」

「ご、ごめんなさいっ、すぐに戻りますっ!」

 そう言い残し、モニカは寮の自室目指して走りだした。


 * * *


 ラナは苛々とクローディアを睨みながら、茶菓子のバターケーキを噛み締めていた。

 クローディアは離席するモニカをじぃっと見送っていたかと思いきや、モニカの姿が見えなくなるなり、また陰鬱で気怠げな空気に戻った。

 黒く長い睫毛を伏せて、紅茶のカップをじぃっと見ているその姿は、その美貌故に儚げにも見える。それでいて、陰鬱さと近寄り難さを滲ませているのは、ある意味すごい。

(……なによ、なによ、なによ)

 ラナは唇を噛み締めて、自分が用意した紅茶のカップを見下ろす。

 ラナの父は大富豪だが、生まれついての貴族ではない。元々は裕福な商家の人間だが、街の発展に貢献した功績が認められ、ラナが生まれる少し前に爵位を与えられたのだ。

 ラナは物心ついた頃から、最高級の贅沢品や流行りのドレスを与えられて育った。

 そんなラナのことを、誰もが「幸せなお嬢様」だと、口を揃えて言う。

 だが、ラナは孤独だった。

 爵位を持たぬ家の子の中では、華美なラナはいつだって浮いていたし、場違いだった。上手く他の子どもの輪に入れず、金持ち自慢、と陰口を叩かれた。

 だから、貴族の子達の通うセレンディア学園に入学すれば、自分に近い友達ができると思っていたのだ。

 だが、伝統と格式が物を言うこの学園で、ラナの扱いは「品のない成金の娘」だった。挙げ句、父は爵位を金で買ったのだと陰口を叩かれた。

 礼儀がなっていない、作法がなっていない、貴族の暗黙の了解を理解していない……そういう言葉をぶつけられる度に、ラナは頑なになった。

 ラナが最初にモニカに声をかけたのは、ほんの気紛れだ。

 モニカは自分よりも出来が悪くて、クラスでも浮いていたから、彼女の世話を焼いてやれば、ラナのプライドは少しだけ満たされた。

 なによりモニカは俯いてオドオドしている癖に、ラナが少し手を貸してやると、パッと小さな花が綻ぶみたいに笑うのだ。それが擽ったくて、ラナはモニカに世話を焼いてやった。モニカがラナを尊敬の目で見る度に、ラナの心は少しだけ満たされた。

 今日のお茶会だって、本当はモニカに尊敬の目で見られるはずだったのだ。だから、気合を入れてお茶っ葉を選んだのに、クローディアに場違いだと指摘され、ラナのプライドはボロボロだった。

 どうして、いつもこうなってしまうのだろう。


(……わたしはただ……友達に、一番良いお茶を飲ませてあげたかった、だけなのに)


 幼い日、家に招待した友人に一番良い菓子とお茶を振る舞って「金持ち自慢」と陰口を叩かれた時の記憶が蘇る。

 ラナはただ、一番素敵な物を友人に食べてほしかっただけなのに。


「いやぁ、ごめんね。お待たせ、お待たせ」


 離席していたケイシーが早足で戻ってきた。だが、隣にモニカの姿は無い。

 モニカはどうしたのよ、とラナが目線で問うと、ケイシーは微妙な顔で頬をかきつつ、席に着いた。

「うーん、なんて言うか……まぁ、すぐに来ると思う」

「貴女、モニカの紅茶の準備を手伝ってたんじゃないの?」

 ラナの疑問に、ケイシーは「いや、それが……」と歯切れ悪く呟く。

 一体、どうしたのだろう? モニカに何かあったのだろうか?

 ラナが腰を浮かせたその時、ふわりと良い香りがラナの鼻をくすぐった。だが、それは紅茶の香りじゃない。

「お、お待、たせ、しま、したっ」

 モニカがプルプルと危なっかしい足取りで、こちらのテーブルに近づいてきた。手にしたトレイの上には、空のカップと見慣れないポットが乗せられている。

 モニカはテーブルの上に盆を置くと、ふぅっと額の汗を拭った。どうやら、ここまで盆を運ぶだけで、運動音痴のモニカには大仕事だったらしい。

 今までやる気なさそうに俯いていたクローディアがゆっくりと顔を上げて、ポットを凝視した。

「……紅茶の香りじゃないわね」

「こ、これは、コーヒー、ですっ」

 モニカは真っすぐにクローディアを見つめ、震える声で言った。

「ク、クローディア様は、い、言って、ました『味の強い物から口にすると、舌が麻痺する』って……わたしは、一番最後だから、味の強いコーヒーでも問題無い、です」

「……コーヒーは、男性が好む飲み物よ。女性のお茶会に適しているとは思えない」

 クローディアの言うことは正しい。この国では確かにコーヒーもそれなりに普及しているし、コーヒーハウスもあるが、コーヒーを飲むのは大抵が男性である。

 なにより、コーヒーは苦味と酸味が強いので、好みが分かれるのだ。ラナも何回か口にしたことはあるが、あまり得意ではない。

 だが、モニカは彼女にしては珍しく、キッパリと言う。

「大丈夫、です。ぜ、絶対、美味しい……ので」

 そう言ってモニカはポットのコーヒーをカップに注ぐと、その内の三つにだけ、温めたミルクを加えた。

「しょ、食後のお口直しに飲むものだから、本当はこのまま飲んでほしいのですが、苦いのが苦手な方が多いと思うので、ミルクを入れます。お砂糖はお好みで、どうぞ」

 一同にカップが配られると、真っ先にクローディアがカップを持ち上げた。そうして香りを確かめてから、口に含む。

「…………」

 クローディアは無反応だ。それが少し怖い。

 ラナとケイシーもカップに砂糖を加えて、恐る恐る口をつける。

「なにこれ……雑味も酸っぱさも、全然無い」

 呟き、ラナはもう一度、カップの中身を口に含んだ。スッキリとした苦味をミルクのまろやかさが包みこむ。

 それは、ラナが今までに飲んだことのない味だった。

 ケイシーも驚いたように、カップをまじまじと眺めている。

「ねぇ、私、コーヒーって初めて飲むんだけど……こんなに飲みやすい物なの?」

 ケイシーがそう言うのも無理はない。

 コーヒーと言えば、一昔前までは粉砕した豆を砂糖と一緒に煮詰めて抽出するものだった。最近はサイフォンなどの器具も流行っていて、だいぶ雑味のない味わいになってきてはいる。

 それでも、モニカの用意したコーヒーはそれを上回る風味だった。

 クローディアが銀のポットをじっと見つめて、呟く。

「……コーヒーは抽出に時間をかけるほど、雑味やえぐみが出る」

「は、はいっ……だから、このポットを使って、短時間で抽出してます。このポットは、蒸気の力を使ってて、短時間でコーヒーが抽出できて……」

「……初めて見る器具だわ。本でも見たことがない」

 クローディアの呟きに、ラナとケイシーは目を丸くした。

 クローディアはおそらくこの場で……否、この学園で最も博識な人間だ。彼女は「歩く図書館」と呼ばれるほど膨大な知識を持つ一族の人間なのである。

 そんな彼女にも、知らなかった物があるなんて!

 クローディアはカップの中身を綺麗に飲み干すと、やはり感情の読めない青い目でモニカを見据えた。

「……なるほど、意表を突くには悪くない。けれど、ここは『お茶会の授業』よ? お茶ですらない飲み物なんて論外ね」

「そ、そう、ですね……えっと……その……」

 モニカは俯き、自分のカップを手に取る。

 彼女のカップだけ、ミルクが注がれていなかった。きっと、苦いコーヒーを飲み慣れているのだろう。

「わ、わたし……大好きなお友達に、わたしが一番好きなものを、飲んでほしくって……だから、あの……」

 モニカはカップを両手で包むように持つと、眉を下げてへにゃりと笑った。


「……わたしが一番、場違いですね」


 えへへ、と恥ずかしそうに笑うモニカに、ラナは頭の中が真っ白になる思いだった。

(なによ、なによ、なによ……)

 さっきまで、自分が一番場違いだと落ち込んでいたラナよりも、もっとお茶会に不釣り合いなコーヒーなんかを持ち込んで。きっと、減点されてしまうだろうに。

 ラナはカップの中身をグッと飲み干す。


「……すごく美味しいわ……わたし、これ好きよ」


 泣きそうになるのを堪えてそう言えば、モニカはやっぱり小さい花が綻ぶみたいに笑った。

※モニカのコーヒーは、いわゆるエスプレッソです。

 エスプレッソの登場は1900年頃。小型のエスプレッソマシンの登場は1950年頃なので、モニカのパパさんは、だいぶ時代を先取りしていたようです。

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