【5ー3】沈黙の価値
気持ちの良い秋晴れの空の下、中庭では華やかなティーパーティが行われていた。
例え実技演習と言っても、流石は名門セレンディア学園。テーブルセットは一流品ばかりで、それぞれのテーブルに美しい花が飾られている。それらは宮廷のティーパーティと比べても遜色ない品揃えであった。生徒達が制服姿でなければ、宮廷の一室と錯覚していたかもしれない。
女子生徒達は各々が持ち寄った茶を味わいながら、楽しげに語り合っている。
教師が採点に来た際は、茶や茶器、季節の花などを話題にしているが、ひとたび教師がテーブルを離れると、令嬢達の話題は最近の流行や色恋沙汰の噂話に変わる。
特に話題に上がるのは、やはり生徒会長フェリクス・アーク・リディル。
「殿下はきっと在学中に婚約者をお決めになるに違いないわ」
「一番相応しいのはどなたかしら」
「エリアーヌ様ともお親しいと聞いたことがあるわ」
「同じ生徒会役員のブリジット様も、お似合いでいらっしゃるわ」
第二王子の婚約者候補に彼女達が挙げた名前は、いずれもこの学園のトップに君臨する令嬢だ。
それでいて、彼女達は心のどこかで自分が王子に選ばれないかと夢想している。
この学園に通う女子生徒なら、一度は夢に見るものだ。あの美しい顔が自分に笑いかけたら、自分に手を差し伸べてくれたら、あぁ、どんなに素晴らしいことだろう!
そして夢想をする彼女達は、最も王子と釣り合わない存在を引き合いに出し、見下すことで己のプライドを満たすのだ。
「そうそう、同じ生徒会役員と言えば……ねぇ、聞きまして、あの娘?」
令嬢の一人が扇子の陰で声を落とせば、自然と他の令嬢達の目つきも険しくなる。
あの娘──編入生でありながら生徒会役員に選ばれた少女。モニカ・ノートン。
「殿下にダンスの指導をしてもらったと聞いたわ」
「わたくしも見たわ! アシュリー様とも踊っていたとか!」
「殿下とアシュリー様にダンスの指導をしてもらうなんて……何様なのかしら、あの娘?」
「きっと、思いあがりの田舎娘が殿下に無理を言って手伝わせたに違いないわ」
「あの娘、お茶を淹れてくれる使用人すらいないのよ。恥ずかしくないのかしら?」
「見ていなさいな、きっとこの授業でも恥をかくに決まっているわ」
美しい扇子の下に悪意を隠して、令嬢達はクスクスと笑い合う。
* * *
モニカが着席したテーブルは、異様な空気に包まれていた。
というより、一人の少女が異様な空気を醸し出していた。その元凶は驚くことにモニカではない。ラナでもなければ、ケイシーでもない。
このテーブルの最も上座に位置するクローディア嬢だ。
クローディアはとても美しい少女だった。
真っ直ぐな黒髪に、瑠璃をはめ込んだような美しい目。神が丹精込めて作り上げた最高傑作のように整った顔立ちは、生徒会書記のブリジット嬢に勝るとも劣らない端麗さである。
金の髪に琥珀色の瞳のブリジットが華やかな大輪の薔薇なら、クローディアは神秘的な美しさを持つアイリスの花だ。
そんな目を見張るような美貌の令嬢は、どういうわけか身内が死んだかのように陰鬱な気配を漂わせていた。
やがてクローディアの侍女が全員分の茶を配ると、クローディアは生気の無い青白い顔に、ニタリと不気味な笑みを浮かべて言う。
「……召、し、上、が、れ」
何も知らぬ善良な人間に、悪い魔女が毒入り紅茶を勧めるような笑顔であった。
かと思いきや次の瞬間、まるで糸がきれたようにクローディアは無表情になる。無表情なのに、陰鬱さと気怠さだけは、ヒシヒシと伝わってくるのが不思議だ。
もし出会い頭に高笑いをされたらどうしよう、というモニカの心配は杞憂に終わった。
そもそも、この鬱々とした令嬢には、高笑いをするような生気も無ければ、やる気も無い。喋ることすら面倒で億劫と言わんばかりの態度なのである。
モニカも大概に陰気な娘だと言われるが、クローディアはその比ではない。
モニカの場合、人見知りと口下手が原因なのだが、クローディアは意図的に、全身から話しかけづらい陰気なオーラを漂わせているのだ。
そのせいで、このテーブルだけ空気がやたらとジメジメしていて、重い。
モニカもラナもケイシーも、無言で用意された紅茶を飲む。
香りの良い紅茶だ。だが、妙な緊張感のせいで味が分からない。
(……うぅっ、きまずい……)
「美味しい紅茶ね! ねぇ、どこの紅茶なの?」
重い沈黙を健気に破ったのは、隣のクラスの快活な令嬢ケイシーであった。
ケイシーはこの微妙な空気を察し、それでもこの場を繋ごうと笑顔でクローディアに話しかける。
そんな健気なケイシーに、クローディアはカップに視線を落としたまま、ボソボソと答えた。
「……この国で一番飲まれている紅茶よ。訊くまでもないわ」
「…………」
ケイシーが笑顔のまま頬を引きつらせた。
今度はラナが殊更明るい声で言う。
「ね、ねぇ、わたしはミルクティーが好きなの。ミルクはあるかしら?」
「……ミルクティー向きの葉じゃないわ。そんなことも分からないほど舌が馬鹿なの?」
「…………」
ラナが笑顔のままこめかみを引きつらせた。
どんどん場の空気が悪くなっていく。
モニカはあぅあぅと唇を震わせながら、いよいよ味の分からなくなった紅茶を啜った。
その後、気まずい空気の中、二番手のケイシーが離席して、持参した紅茶を淹れてみんなに配る。
ケイシーが用意したのは、少し色の濃い紅茶だ。やや渋みも強いのが特徴で、ミルクとよく合う。
続いて三番手のラナが用意したのは明るい色の紅茶だった。さっぱりとしていて、フルーツのような甘みと爽やかさがある。
「コレット嬢の紅茶、美味しいわね。さっぱりしてて、私、これ好きよ」
ケイシーの言葉に、モニカもコクコクと頷いて同意すれば、ラナは鼻高々という顔でカップを傾けた。
「まぁね、この時期一番高級なお茶を取り寄せたんだから、当然よ」
そう言ってラナはチラチラとクローディアを見る。ありふれた茶を用意したクローディアに対する当て付けなのだろう。
気の強いラナはクローディアの態度が気に入らないらしく、さっきからそれとなくクローディアに突っかかっていた。
それを、モニカはオロオロしながら見守ることしかできない。気の利くケイシーが、まぁまぁとラナを宥めたり、話題を変えたりして、どうにか場を繋いでいる状態だ。
そもそも、こういった茶会の場では最も位の高い人間が場を仕切るものである。モニカはクローディアの素性を知らないが、茶を振る舞った順番から考えるに、伯爵家のケイシー、男爵家のラナよりも上の地位だ。
つまり、本来ならクローディアが話題を提供し、全体の場をまとめなくてはならないのである。
ところが肝心のクローディアは無気力で、たまに口を開けば毒舌ばかり。とてもではないが会話が成立しない。
「……味の強い物から口にすると、舌が麻痺する」
突如、ぼそりとクローディアが呟く。
モニカはクローディアが用意した茶の味を思い出し、ハッとした。
癖のない飲み慣れた味の紅茶……それを最初の一杯に提供したのは、舌を麻痺させないため?
ラナとケイシーも同じことに気づいたのか、驚愕の目でクローディアを見る。
注目を浴びたクローディアは、自分の発言など、さもどうでも良いと言わんばかりの顔で、ラナが用意した紅茶に口をつけた。
「……フロゥレンディアのゴールデンチップス……この季節に手に入る紅茶の中で最も高価な紅茶ね」
「そ、そうよ」
ラナが喧嘩腰に相槌を打つと、クローディアはやはりラナの方は見ずに、睫毛を伏せて呟いた。
「これが、貴人をもてなす場だったら、最良の選択だったでしょうね……持ち寄りの場では、明らかに場違いだけど」
「っな!?」
「……一人だけ極端に高価な茶を持ち込めば……他の参加者は侮辱されたと受け取ってもおかしくないわね」
ラナは顔を赤くしたり青くしたりして、ワナワナと震えていた。
そんなラナに、ケイシーが慌てて声をかける。
「だ、大丈夫、私はそんなこと思ってないから! ねっ、モニカ?」
「うん、はいっ……思ってない、ですっ!」
モニカが必死で声を絞り出せば、クローディアはゆっくりと首を回してモニカを見る。
人形めいた青い目が、瞬き一つせずモニカを映した。
「……伯爵家の令嬢にそう言われたら、頷くしかないわよね」
「ふぇっ!?」
その言い方ではまるで、ケイシーに促されたからモニカが頷いたみたいではないか。
モニカは半泣きになって、ブンブンと首を横に振った。
「ち、ちが、わた、わたし……」
ひぐっ、とモニカが嗚咽をあげたその時、ラナが掌で机をバシンと叩いた。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ! 口を開いたと思ったら嫌味ばっかり! 一番場違いで感じが悪いのは、あなたじゃない!」
ラナが勇ましく怒鳴っても、クローディアは眉一つ動かさなかった。それどころか、ラナなど目に映す価値もないとばかりに、よそを向いている。
「……他人に口を開いてもらえるだけの価値が、自分にあると思っているのね」
「はぁっ!?」
ラナが眉を釣り上げてクローディアを睨むと、クローディアはたっぷり数秒ほどの間を開けてから、気怠げに口を開いた。
「……〈沈黙の魔女〉は、ご存知?」
ご存知も何も、張本人である。
モニカの心臓は危うく停止しかけた。多分一瞬止まったかもしれない。
「弱冠十五歳で七賢人に就任した、天才魔術師。彼女は無詠唱魔術を身につけ、更にミネルヴァに在学中、二十以上の新しい魔術式を開発したのだけれど……学会には一度も参加しなかったことで有名よ」
それは人が多い場所が怖くて、逃げ回っていたからである。
「……更に〈沈黙の魔女〉は七賢人に就任した際の式典でも、一言も声を発しなかった」
これも人見知りとあがり症が原因である。
あんまりモニカが使いものにならないものだから、同期である〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが、挨拶の類を全て代わってくれたのだ。
在りし日のことを思い出し、モニカがダラダラと冷や汗を流していると、クローディアは淡々と言葉を続けた。
「……〈沈黙の魔女〉の論文を読んだことはある? あれを読めば、彼女の人柄が分かるわ……とても理知的で聡明な人間よ。彼女は沈黙の価値を知っていたのでしょうね」
(全然理知的でも聡明でもないんです、ただの人見知りの根暗なんです、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!)
真っ青になってガタガタ震えているモニカの横で、ラナが不機嫌を隠さずにクローディアを睨んだ。
「へぇぇぇぇ、つまり頭の良い人間は、馬鹿相手には口を利かないって言いたいわけね?」
(ひぃぃぃぃ、違う……違うんです……そんなつもりじゃなかったんですぅぅぅぅぅ!!)
ラナの発言はクローディアに向けられたものであって、決して〈沈黙の魔女〉に向けられたものではないのだが、モニカは縮こまってぶるぶる震えた。
クローディアはラナの言葉など耳にも入らぬと言わんばかりに、流し目でモニカを見る。
「……そういえば〈沈黙の魔女〉の名前はモニカ・エヴァレット……貴女と同じね、モニカ・ノートン」
ひぃっ、とモニカは竦み上がった。
心臓の音がバクバクとうるさい。嫌な汗が止まらない。
クローディアはモニカを見据えたまま、口を開く。
「……さっきから、貴女が黙りこくっているのも、馬鹿と口を利きたくないから?」
「わ、わわ、わたしっ、お、おおおおおお茶、お茶をっ、淹れて、きまふっ」
モニカは椅子を鳴らして席を立つと、這々の体でその場を逃げ出した。
その小さい背中を、クローディアは青い目でじぃっと見つめる。
この茶会が始まってから、常に伏し目がちだったクローディアが目を向けた相手は、たった一人だという事実に、気づく者はいなかった。