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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第4章「社交ダンス編」
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【4−4】つまりだいたい刺繍職人のおかげ

 その日、放課後のダンス訓練に見学者が二人ほど増えた。

 生徒会長フェリクス・アーク・リディルと、副会長シリル・アシュリーである。

 この二人の登場に、ラナは頬を薔薇色に染めて「きゃー!」と黄色い悲鳴を上げた。

 モニカは顔を蒼白にして、声に出さずに心の中で「きゃー!」と恐怖の悲鳴をあげた。

 ついでに言うと、ニールは困ったような顔でフェリクスとシリルを見て、グレンは大きな声で「誰っすか、この人達?」と言いきった。大物である。

「な、なな、なん、でっ……でっ、でっ、殿下、が……」

 モニカがか細い声でそう言うと、フェリクスは眉を下げて、いかにも心外そうな顔をした。

「君に期待だけして放り出すほど、私は薄情ではないよ?」

「そうだぞ、殿下の寛大な御心に感謝するがいい!」

 そう言ってシリルは偉そうに胸を張る。生徒会役員の仕事は良いのだろうか……とモニカが密かに考えていると、フェリクスがシリルをちらりと見た。

「ところで、私はシリルを呼んだ覚えはないのだけど?」

「私は殿下の護衛ですから! お供するのは当然のことです!」

「君は私がここに行くと告げる前から、前倒しで生徒会の仕事を片付けていたね? 私が来なくとも、最初から、モニカの練習を見に来るつもりだったのではないかい?」

 揶揄うようなフェリクスの言葉に、シリルは何故か赤面し、視線を彷徨わせた。

「そ、それは……殿下がどのような行動をするか先読みしていたのです! 私は! 殿下の右腕ですから!」

 なるほど、副会長は常に会長の気紛れに対応できなくてはいけないのか、とモニカは密かに感心した。

 しかし、この状況は正直、モニカにとって喜ばしいものではない。寧ろ、心的負担が増えている。

 申し訳なさに胃をキリキリさせていると、モニカの肩をラナが揺さぶった。

「ちょっと、ちょっと、すごいじゃない。生徒会長と副会長が並んでいらっしゃるわ、こんな近くで!」

 ラナのはしゃぎっぷりが、大抵の女子生徒の正しい反応なのだろう……と思いきや。

「殿下のスカーフの刺繍、あの繊細で美しい針仕事……名のある職人の仕事に間違いないわ。あくまで地の色を活かしつつ刺繍糸の光沢で変化を出している……あの刺繍の蔓模様は絶対に流行るわ。目に焼き付けておかなくちゃ、できれば描きとめておきたい……っ、あっ、シリル様の手袋の縁のレース! あれ、最新技術で作られた物じゃないっ……もっと近くで見たい……」

「…………」

 ラナが凝視しているのは、フェリクスやシリルの顔ではなく、彼らの服や小物である。

 もしかしたら、ラナも一般的な女子生徒とは少しズレているのかもしれない。

 モニカが呆気にとられていると、フェリクスがにこやかに「試しに踊ってみてごらん?」とモニカを促した。モニカは言われるがままに、グレンと共に部屋の中央に立ち、彼の手を取る。

 ラナが慌ててピアノの前に座り、演奏を始めた。その曲に合わせて、ニールが手拍子をする。

「じゃ、じゃあ、せーのでいくっすよ」

「は、はいっ」

「せーのっ!」

 モニカとグレンは同じタイミングで足を踏み出した。出だしは悪くない。昨日よりモニカのグレンに対する緊張がほぐれているためだ。

 だが、ステップを数回繰り返したところで、段々とリズムが狂い出した。


「ストップ!」


 声を張り上げたのは、シリルだった。

 あぁ、きっと自分がダメ出しをされるのだ、とモニカは肩を竦ませる。

 ラナが演奏を止めると、シリルはギロリと鋭い目でグレンを睨んだ。

「グレン・ダドリー! エスコートがなっていない! 貴様は女性に対する態度を一から悔い改めろ!」

 日頃からモニカを罵倒している人間とは、とても思えない台詞である。

 てっきり自分がダメ出しをされるのだと身構えていたモニカは、拍子抜けして目を丸くした。

 一方、ダメ出しをされたグレンはブーブーと唇を尖らせて文句を言う。

「ちゃんと、丁寧に扱ってるっすよ!」

「まずは誘い方からなっていないのだ、貴様は! そこで見ていろ!」

 シリルはグレンを突き飛ばすと、高慢に鼻を鳴らし、ビクビクしているモニカを見下ろした。

 この流れはモニカがシリルと踊るということだろうか?

 うっかり足を踏んだら、氷漬けにされるのでは……とモニカが震えあがっていると、シリルは左手を自身の背中に回し、腰を折る。


「私と踊っていただけますか、レディ?」


「…………へ?」

 優雅な一礼と、シリルのものとは思えない台詞にモニカの思考がフリーズする。

 ポカンと立ち尽くしていると、シリルはまるで繊細なガラス細工にでも触れるかのように丁寧な手つきで、モニカの手を取った。

 ラナの演奏が始まると同時に、シリルが軽くモニカの体に手を添える。その手の動きで、ダンスが始まるのだとモニカは無意識に理解した。グレンの時のように「せーの」の声かけが無くても、自然と分かるのだ。最初の一歩のタイミングが。

 シリルの手に誘われるように、モニカは足を踏み出した。1、2、3、1、2、3、とステップを気にするのに精一杯のモニカは、どうしても上半身の振り付けが雑になる。

 だが、モニカの背中や腕が曲がるとシリルの手が、正しい姿勢になるように支えてくれた。

 進行方向にしてもそうだ。グレンなら「次は右に行くっす!」「壁にぶつかりそうだからあっち!」と声に出して進行方向を指示するのだが、シリルはそれを言葉にせず、モニカを支える手の動きで、足運びで、視線で、自然と誘導する。


 ──それが、驚くほど踊りやすいのだ。


 曲が終わると、シリルは始める時と同じように美しい礼をする。そうして顔を上げた彼は、グレンの方を振り向き……。

「見たか、小僧! エスコートとはこうするのだ!」

 得意げな顔で怒鳴り散らした。

 その姿は、ダンスの最中とは程遠い、モニカの知るいつものシリル・アシュリーである。

 モニカは思わず呟いた。

「……アシュリー様が、いつものアシュリー様で、安心しました」

「どういう意味だ貴様」

 シリルがじろりとモニカを睨むと、コホンと咳払いをして言った。

「社交ダンスは男性側のリードで決まると言っても良い。男性側がきちんとリードをして、音楽にタイミングを合わせれば、ある程度は様になる」

 シリルの解説に、グレンが素直に歓声をあげる。

「おぉぉ、なんかすげーっす!」

「褒めるのなら、もっと語彙を尽くして、品性のある言葉で褒めるのだな」

 シリルは満更でもなさそうな顔をしつつ、それでもツンととりすました態度は崩さなかった。

 グレンは「ごいをつくす?」としばし考え込み、真剣な顔で口を開く。

「なんか、シュッとして、シャキッとして、キリッ! って感じでカッコ良かったっす!」

「……貴様は作法の前に、人間の言葉を学べ」

 シリルはグレンを半目で睨むと、今度はモニカを見据えた。

「モニカ・ノートン。貴様もまだまだ問題点だらけだ。貴様はまず、エスコートされることに慣れろ。いちいちビクつくな。猫背になるな。下を向くな。多少のステップのミスなど、堂々としていれば案外気づかれないものだ」

「は、はい……」

 シリルの指摘は、教師にもニールにも言われたことだった。

 とにかくモニカは姿勢が悪い。猫背が染みついてしまっているし、視線も下を向くのが癖になっている。

(……そういえば、七賢人の式典のリハーサルでも、ルイスさんに猫背を指摘されて……背中に板をねじ込まれたっけ)

 次は板に胴体を縛りつけますぞ? と笑顔で言われたことは、今も恐怖の思い出である。

 その時のことを思い出し、密かに震えていると、フェリクスがにこやかに提案した。

「そうしたら、ダドリー君はエスコートの練習を、ノートン嬢はエスコートに慣れる練習をした方が良い。シリル、ダドリー君にエスコートの仕方を教えてあげてくれるかい?」

「殿下がそう言うのでしたら……」

 シリルは不承不承頷くと、グレンと向き直り、眉を釣り上げて言った。

「さぁ、小僧! 貴様に私のエスコートスキルを叩き込んでやる! まずは私を女性だと思ってエスコートするがいい!」

「えぇ〜……ちょっと女性だと思うのは……うん、無理っす……」

「贅沢を言うな!」

 ギャンギャンガミガミと小煩いシリルが、グレンを引きずっていくと、フェリクスはモニカにニコリと微笑みかけた。

「そういうことだから、よろしく。ノートン嬢」

「よ、よ、よ、よろしく……お願い、いたします……」

 モニカがペコペコ頭を下げると、フェリクスは早速モニカに手を差し伸べた。

「おいで?」

「………………」

 モニカはその場を一歩も動かずに、限界まで腕を伸ばした。そうして、差し伸べられたフェリクスの手に指先でチョンと触れる。

 その指先をフェリクスは、笑顔のまま見下ろした。

「驚くほどエスコートされる気を感じないね?」

「さ、されます、エスコートされますっ! すっ、すみませんっ」

 フェリクスは笑顔だが、目が笑っていない。

 モニカはガクガク震えながら、半歩だけ前に進み出た。すると、フェリクスはすかさずモニカの手を握り、自分の方に引き寄せる。

 フェリクスの手が自分の体を支えている、そう思った瞬間、モニカの体は緊張に強張った。

「君、シリルの時は、もう少し大人しくエスコートされていたのに」

「そ、それは、アシュリー様の時は、い、いつもと違うから、おど、驚いて……っ」

 シリルの時は驚きが上回って呆けている間に、ダンスが始まって終わっていたのだ。今とは状況が違う。

 モニカがガチガチに固まっていると、フェリクスが顔を上げてラナに指示を出した。

「すまないが、弾いてくれるかい? 音量はやや控えめで」

「か、かしこまりました!」

 ラナは鼻息荒く頷き、ピアノを弾き始める。先ほどよりも少し控えめに曲が流れると、フェリクスはモニカの手を取って歩き出した。シリルの時と同じだ。せーの、のかけ声が無くとも、なんとなく始まりが分かるのは、フェリクスもまたエスコートが上手いからなのだろう。

「今はステップは意識しなくていい。なんだったら、ダンス中だと思わなくても構わないよ」

「……へ? え?」

「私と楽しくお喋りをしながら、適当に歩いているだけでいい。君は少し、体が強張りすぎているから」

 楽しくお喋り、と言われてモニカはいよいよ困り果てた。口下手のモニカは、誰かに話題を提供するのが下手だ。気の利いたお喋りなんて、できた試しが無い。

 モニカが眉を下げて口籠っていると、フェリクスはクスリと微笑んだ。

「君の目、近くで見るのは初めてだ。薄茶に見えるけれど、光の加減で少しだけ緑がかって見える……深い森の奥の木漏れ日のようだね?」

「は、はぁ、えっと……」

「薄茶の髪も、とても艶やかで綺麗だね。今日もお友達に編んでもらったのかい?」

「そ、そうなんです、あの、ラナ……コレット嬢は、こういうのが上手で」

「うん……とてもよく似合ってる」

 髪型を褒められると、ラナのことを褒められたみたいで嬉しい。

 モニカはへにゃりと頬を緩めて笑った。

「……えへへ……ありがとう……ございます」

「うん、そういう笑顔もできるんだ? ねぇ、もっと見せておくれ?」

 まじまじと見つめられ、モニカは恥ずかしくなり目を伏せる。その拍子にフェリクスの襟元のスカーフが目に入った。

 そういえば、ラナがこの刺繍がどうのと言っていた気がするが、なるほど手が込んでいる。離れて見るとそこまで華美ではないのだが、近くで見れば見るほど刺繍は豪奢で精緻だった。

 モニカは美しい図形を見るのが好きだ。


(この蔓薔薇の模様……薔薇を円に見立てると、四つの円が別の大きい円に内接しているから、あの定理が適用できる……接点間の距離における関係は……)


「君には緑のドレスが似合いそうだ。少し深みのある、だけど暗すぎない色がいい。スカートに美しい花の刺繍を施したらきっと素敵だろうね。君は好きな花はあるかい?」


(交わらない二つの円の共通外接線は二本。どちらを選んでも接点間の距離は同じだから…… が定義できる……これは魔術式における複数広範囲魔術の座標軸で応用が……)


「あぁ、秋薔薇も似合いそうだ。夏に咲く大輪の薔薇に比べて、小ぶりで上品。色味も落ち着きがあって君に似合う」


(四つの円の半径が無限小の場合、接線の長さは点の距離に……範囲術式の拡張と併せて考えた時の展開式は……)


 曲が、終わる。

 フェリクスがモニカの体をホールドしたまま足を止めると、その様子を見守っていたニールが拍手をした。

「すごいです! 途中からちゃんとダンスになっていました! ノートン嬢も緊張が取れて動きが柔らかくなってて……今までで一番良かったですよ!」

「ノートン嬢は頑張って足でステップを覚えていたのに、頭で考えすぎるせいで動きが硬くなって、テンポがズレる傾向があったからね」

 フェリクスはそう言ってモニカの顔を覗き込み、ニコリと微笑む。

「楽しくお喋りをしていれば、余計なことを考えずに、相手に身を任せられるだろう?」

 話しかけられたモニカはハッと顔を上げると、まるで夢から覚めたような顔で、キョロキョロと辺りを見回した。

「え……あの……わたし……今……」

「モニカ! 今、すっげー上手に踊れてたっすよ!」

 途中からモニカのダンスを見守っていたグレンが、目を輝かせてモニカを褒め、シリルもまた「流石殿下のエスコート!」とうんうん頷いている。

 モニカはまだふわふわとした夢見心地で、両頬を押さえた。

「……わたし、踊れてました……か?」

「あぁ、とても上手に踊れていたよ」

 フェリクスが頷くと、モニカはぱぁっと顔を輝かせた。

 それは、普段俯いてもじもじしているモニカが滅多に見せない、満面の笑みで。


「……で、殿下のスカーフの模様を図形に置き換えたらある定理が適用されることに気づいたんです! この定理がすごくすごく綺麗で美しい定理で応用も効くので、この応用方法を考えていたら、余計なことを考えずにすみました!」


 ずん、と重い沈黙がダンスルームを満たした。

 唯一、モニカだけがキラキラと目を輝かせている。無邪気な子どものように。

 お人好しのニールが、恐る恐る口を挟んだ。

「あ、あのぉ……それは寧ろ一周回って、余計なことしか考えていなかったのでは……」

「…………あ」

 モニカは笑顔を強張らせ、ゆっくりとゆっくりとフェリクスの方を見た。

 フェリクスは笑顔のままだった。笑顔なのだが、碧い目は暗く底光りしている。

「……私とのお喋りは、君にとって余計なことだったのかな? ノートン嬢?」

「あ、いえ、あの、えっと、つまり、そのぅ……」

 モニカはさぁっと青ざめると、キュッと拳を握りしめて叫んだ。


「上手に踊れたのは……殿下の………………スカーフのおかげです!」


「そこは『殿下のおかげ』と言わんか!!」

 シリルの怒声が、ダンスルームにこだまする。



 かくしてモニカは、思考に没頭することで、緊張せずにダンスの時間を乗り切る術を習得したのだった。

 なお、モニカが夢中で凝視していたフェリクスのスカーフの模様は、正確に描き写してラナに見せたところ、大変感謝されたことを付記しておく。


※モニカが途中からぶつぶつ言っていた定理は「ケージーの定理」です。魔術に応用云々の部分は創作です。

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