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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第1章「入学準備編」
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【1ー3】最近流行りのアレ

「リディル王国東部ケルベック伯爵領にある某修道院に、身寄りのない哀れな娘がいました。そんな哀れな娘に、ケルベック前伯爵夫人は亡き夫の面影を見出し、娘を養女にしました。そうして、娘はケルベック前伯爵夫人に可愛がられて幸せに育っていたのですが、高齢だった夫人は病に倒れ、亡くなってしまいます。後見人を失った娘は、伯爵家の人間に疎まれ、伯爵令嬢の使用人としてこき使われていました。そして、その伯爵令嬢が貴族の子女の通うセレンディア学園への入学が決まると、哀れな娘も伯爵令嬢の世話係として一緒に入学することとなったのです……


 この、哀れな娘が貴女の役です、モニカ殿」


 大真面目にとんでもない設定をぶちまけるルイスに、モニカは冷や汗まみれになりながら、か細い声で言った。

「あの……も、盛りすぎて、何が何やら」

 正直、設定が殆ど頭に入っていないモニカに、ルイスはすまし顔で言う。

「これぐらい厄介な事情なら、誰も深入りはしないでしょう。なお、設定はこちらの本を参考にしました」

 ルイスの背後で、メイド服のリンがスッと一冊の本を取り出した。

 作者の名前はダスティン・ギュンター。ネロが最近お気に入りの小説家である。

 リンは恭しい手つきでモニカに本を差し出しながら言う。

「伯爵令嬢にいじめられているヒロインが王子の目に留まり、やがて王子と禁断の恋に落ちるラブロマンスです。伯爵令嬢の陰湿かつ陰険ないじめの手口が実に凝っていて、大変興味深い一冊かと」

 リンの解説に、棚の上のネロが興味津々の顔で尻尾をゆらゆらと揺らした。

 この小屋にもダスティン・ギュンターの本は何冊かあるが、どれも古いものばかりである。一方、リンが手にしている本は最新作。ネロが興味を示すのも当然だ。

 まごまごしているモニカに、リンは本をそっと握らせた。

「お貸しいたします。どうぞ参考図書にしてください」

 何をどう参考にしろと言うのか。

 モニカは申し訳程度に、本のページをパラパラと捲った。

 魔術書の類なら何時間でも読んでいられるのだが、この手の娯楽小説には馴染みが薄いので、内容がどうにも頭に入ってこない。

 適当にめくったページは、ヒロインが意地悪な伯爵令嬢にスカートを破かれ、影で泣いているシーンだった。この伯爵令嬢が結構な悪いお嬢様なのである。とにかくやることなすことが、えげつない。

「あ、あの……ルイスさんの考えた設定だと、私はケルベック伯爵令嬢と一緒に入学することになると思うのですが……」

「えぇ、勿論! ケルベック伯爵には事情を話し、一人娘のイザベル嬢に協力をお願いしております」

 モニカは目を剥いた。

「あ、あああああんな無茶な設定なのにっ!? ケルベック伯爵家に、ごっ、ごご、ご迷惑、が……」

 なにせ、ルイスの考えた設定を貫くとしたら、ケルベック伯爵とイザベル嬢が悪者になってしまう。

 そのことを気にするモニカに、ルイスは余裕たっぷりの態度で言う。

「ケルベック伯爵領に、聞き覚えは?」

「え? えっと……」

 数字には強いモニカだが、人名や地名を覚えるのはあまり得意ではない。

 それでも、ケルベック伯爵領という単語はモニカの記憶にほんの少し引っかかった。

「あ……竜退治……」

「いかにも。三ヶ月前、貴女がウォーガンの黒竜を撃退した地域……それこそがケルベック伯爵領なのです。伯爵は貴女に深く感謝しておられる。それこそ〈沈黙の魔女〉殿のためならば、どんな協力も厭わない、と」

 ケルベック伯爵は〈沈黙の魔女〉に大層感謝し、竜討伐の礼に宴を用意してくれていた。

 だが、モニカはそれを辞退し、逃げるようにこの小屋に帰ってきていたのだ。だから、モニカはケルベック伯爵とも、その令嬢とも面識はない。

 宴を辞したことで、気を悪くされたのではないかと、モニカは内心ビクビクしていたのだが、ケルベック伯爵はそんなモニカのことを「〈沈黙の魔女〉様は、なんと遠慮深い方なのだ!」と受け取ったらしい。

「ケルベック伯爵と、そのご令嬢には、先程の設定を既にお伝えしております」

「せ、設定って……わ、わたしが、前伯爵夫人の養女で、伯爵家に疎まれてるっていう……」

「そう、それです。その設定をお伝えしたところ、ケルベック伯爵は『いやぁ、まるでバラッドのようではありませんか』とノリノリでして」

「の、ノリノリ……」

「ちなみに、イザベル嬢にいたっては『これが今流行りの悪役令嬢ですのね!』と目を輝かせておりました」

「は、流行ってるんですかぁ……?」

 なんでもルイスが参考図書にした小説は王都で大流行中らしい。イザベル嬢は、わざわざ王都から新作を取り寄せているほどの大ファンなのだとか。

「イザベル嬢は、あなたをいじめる悪役令嬢になりきるべく、今から役作りに励んでおられます」

「…………」

「というわけで、あなたは学園に潜入し、イザベル嬢にいじめられつつ、第二王子の護衛に励んでください。なぁに、いじめられっ子の役は、お得意でしょう?」

「…………」

 モニカは返事をすることができなかった。何故なら、半ば意識を失っていたからである。

 そもそも、ケルベック伯爵に協力を取り付けている時点で、ルイスはモニカを逃す気など更々なかったのだ。


 * * *


 ルイスとリンが一度小屋から引き上げた後も、モニカは放心状態で床にへたりこんでいた。

 ルイスは明日同じ時間に迎えに来るから、荷物をまとめておけと言っていたけれど、正直、何から手をつければ良いか分からない。

「おい、モニカ。息してるか? おーい?」

 へたりこんでいるモニカの足を、ネロの前足がテシテシと叩いた。

 いつもなら、そのぷにぷにの肉球の感触に癒されるところだが、今のモニカにはそんな余裕など無い。

「どうしよう……無理……っ、貴族の学園なんて……こわいよぅ……護衛なんて、で、できない……っ」

 モニカはかつて魔術師教育機関の最高峰であるミネルヴァという学校に通っていた。

 魔術に関する知識はかつて貴族が独占していたものであり、今でも魔術師を目指すのは貴族の子息が大半である。それも、家督を継げない次男以下の子息や令嬢が圧倒的に多い。

 だからこそ魔術師を目指す庶民の子は、貴族の使いっ走りにされるか、いじめの標的にされるかのどちらかだった。モニカは後者だ。

 人見知りが酷く、いつもビクビクおどおどしていたモニカは、貴族の子らにとって格好の餌食だった。

 特に無詠唱魔術を使えるようになってからは、嫉妬や妬みが混じり、散々だったのだ。だから、モニカはいつも面倒を見てくれた教授の研究室に入り浸り、ひたすら魔術の研究に打ちこんだ。

 モニカは十五歳でミネルヴァを飛び級で卒業しているが、最後の一年は殆ど授業にも出ず、研究室に引きこもっていたのである。

 教授に七賢人に推薦されなかったら、きっと今も研究室に引きこもっていただろう……まぁ、七賢人になっても、こうして山小屋に引きこもっているわけだが。

「無理……無理だよぅ……どうしよう、ネロぉ……」

「そんじゃ、逃げるか?」

 ネロの提案に、モニカはガタガタと震えながら、首をもげそうな勢いで横に振った。

「逃げたら、き、きっと、こ、ここ、殺され……る……っ」

「怖っ! そこまでするのか? あの、えーと、なんだっけ。ルンルン・ルイスッスって男は」

「ネロぉ……ルイスさんをそんな呼び方をしたら……猫鍋にされちゃうからやめてぇ……」

 モニカは両手で顔を覆って項垂れた。

 〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは、とても貴族的な振る舞いが似合う美しい青年だが、国内でも有数の武闘派魔術師だ。あの白手袋の下には立派な殴りダコがあることをモニカは知っている。

「私が逃げたら……ルイスさんは絶対に地の果てまでも追いかけてくる……っ」

「おい、あいつは本当に人間か? 七賢人じゃなくて、冥府の番人の間違いじゃないのか?」

「それぐらい怖い人なの!」

 もはや自分に逃げ道などないということを、モニカは理解していた。それでも怖いものは怖い。

 モニカがズビズビと鼻を啜っていると、ネロは尻尾をパタパタと振りながら提案した。

「よし、それなら、前向きに考えようぜ。お前はこれから王子様の護衛をするんだ。王子様ってのは、あれだ。すげーカッコいいんだろ? キラキラしてるんだろ? 人間の雌はみんな王子様が大好きなんだろ?」

「……よく分かんない」

「七賢人って、なんか式典とかに出るんだろ? 王子様の顔を見たことあるんじゃないのか?」

 モニカはゆるゆると首を横に振った。

 あがり症で人の多いところが苦手なモニカは、式典の最中はずっとローブを目深に被って俯き、式典が終わるまで息を潜めてやりすごすのが常である。玉座の国王の顔すらまともに見たことがない。

「なぁ、モニカ。オレ様思ったんだけどよぉ」

「……うん」

「護衛対象の第二王子の顔が分からないって、割と致命的じゃね?」

「……どうしよう」

 正直に、第二王子の顔が分かりませんなんて言った日には……ルイス・ミラーはそれはそれは美しい笑顔でモニカの頭に拳骨を振り下ろし、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせることだろう。その瞬間を想像し、モニカは床に突っ伏してホロホロと泣き崩れた。


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