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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第4章「社交ダンス編」
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【4−3】校舎裏で焼肉は男のロマン

 翌日の昼休み、モニカは足早に校舎を出て裏庭へ向かった。

 以前こっそり侵入した旧庭園はフェリクスと遭遇する可能性があるから避けて、モニカは人目につかない裏庭の隅に移動する。

 そして、周囲に人がいないのを確認すると、ポケットから紙を取り出して広げた。

 紙には社交ダンスの基本ステップや、曲のテンポを書き込んである。昨日、ニールに教えてもらったことをモニカなりに復習して紙にまとめてみたのだ。

 それをしっかりと読み直したモニカは、早速基本ステップの練習を始める。

「……1、2、3……1、2、3……」

 ただ同じステップを繰り返すだけなのだが、運動神経の悪いモニカがすると、どうしても上半身がフラフラとぐらつく。ただ歩く、それだけのことが難しい。

「えっと……右足が前向き、左足を横に出して、戻して……左足を軸に右回りでターン」

 ターンのところでバランスを崩し、よろよろとたたらを踏んでいると、ケラケラという笑い声が聞こえた。

 ビクリと肩を震わせて顔を上げれば、いつからそこにいたのか、背の高い青年がニヤニヤ笑いを浮かべてモニカを見ている。

 鳶色の髪に垂れ気味の目。黙っていれば親しみやすく見えるその青年は、生徒会書記のエリオット・ハワードだ。

「なるほどこれは酷い。まるで酔っ払いだ」

 エリオットはいかにも親しげで気安い態度だが、その目はあきらかにモニカを見下していた。

 同じ生徒会役員だが、モニカはあまりエリオットと話をしたことがない。

 ただ、エリオットがモニカに対して良い感情を抱いていないのだろうということは、薄々察していた。

 ブリジットの鋭い言葉が剣だとすれば、この人の言葉は毒だ。じわじわとモニカを苛み、苦しめようという悪意を感じる。

「社交界の経験は?」

「…………ない、です」

「ははっ、当然か。これじゃあ恥ずかしくて、とても人前に出せたものじゃない」

 まるで世間話のように柔らかな口調と柔らかな笑顔で、エリオットは毒を注ぐ。

 モニカが萎縮し、立ち尽くしていると、エリオットはゆっくりとモニカとの距離を詰め、モニカの顔を下から覗き込んだ。

「君は貴族ではないな?」

「…………」

「大方、貴族が愛人に産ませた子ってところだろう? ……当たらずとも遠からずってところかい?」

 ルイスが考えた設定はどんなだっただろうか? 実を言うと、ややこしすぎてあまり覚えていないのだ。

(た、確か……ケルベック前伯爵夫人に引き取られた、孤児って設定だった……ような……)

 何にせよ、下手なことは口にしないのが一番である。モニカが黙って俯くと、エリオットはそれを図星と捉えたようだった。

「セレンディア学園は社交界の延長。生徒会役員は社交界の花形だ」

 第二王子であるフェリクスが選んだメンバーともなれば、生徒会役員は未来の側近、或いは妻候補であると言っても過言ではない。

 そんな華やかな場所に、ポツンと紛れ込んだ異物がモニカだ。

「貴族には貴族の役割と義務がある。それを、何の志もない庶民がしゃしゃり出てきて居座るというのは、正直良い気分がしないんだ」

 エリオットは手を伸ばし、モニカの襟元の役員章を毟り取る。

 そしてそれをポイと天高く放り投げた。

 小さな役員章は、校舎の屋根の装飾部分にコツンと落ちる。到底、モニカには手の届かない高さだ。

「……あ」

 立ち尽くすモニカを、エリオットはせせら笑った。

「役員章を無くした役員なんて前代未聞だ。これは役職剥奪も、やむを得まい」

 エリオットは芝居がかった仕草で肩を竦めると、モニカを冷たく見下ろす。

「身の程を理解できて良かったね? 庶民のお嬢さん」


 * * *


 エリオットが立ち去った後、モニカは困り顔で校舎を見上げていた。

 校舎の屋根に落ちた役員章は、飛行魔術を使えば回収することはできる……が、高く跳躍するのが精一杯のモニカにそれは難しいだろう。

 なにより、誰かに見つかったら洒落にならない。

「ど、どうしよう……」

 風の魔術で強い風を起こせば、屋根から落ちてくるだろうか? だが、うっかり加減を間違えて遠くに吹き飛んでしまったら、いよいよ目も当てられない。

 ネロを呼んで、取ってきてもらおうか……と考えたその時、誰かがモニカの肩をポンと叩いた。

「どうしたんっすか?」

「……ひゃぅっ!?」

 モニカがビクッと肩を竦ませながら振り向くと、そこにはグレン・ダドリーが佇んでいた。グレンは何故か片手に木串を握りしめている。

 まさか、この木串で首を刺して暗殺……!? と、モニカが串を凝視していると、グレンは木串をタクトのように振りながら言った。

「こんなところで、何してんすか?」

「あの、えっと……」

 モニカが言葉に詰まっていると、グレンは目敏くモニカの襟元を凝視した。

「あれっ、襟んところ、ちょっとほつれてるっすよ? あぁっ! つーか、役員章無いし! もしかして落としたんすか!?」

 わぁわぁと騒ぎ出したグレンに、モニカはしどろもどろに答える。

「役員章は……その……あそこの屋根に、引っ掛けちゃって……」

 我ながら苦しい言い訳である。だが、グレンはそれ以上の詮索はせず、目の上に手をかざして屋根を見上げた。

「屋根って、あの装飾のあたりっすか?」

「た、多分、その辺……です」

「じゃあ、余裕っす!」

 何が余裕なのだろう、とモニカが目を丸くしていると、グレンは握りしめていた木の串を「これ持ってて!」とモニカに握らせた。

 そうしてコキコキと首を鳴らしながら、短く呪文を詠唱する。

 モニカは目を見開いた。グレンが詠唱しているのは飛行魔術の呪文だ。

 グレンが「よっ」と軽いかけ声を口にして地面を蹴ると、彼の体は一気に屋根の高さまで跳躍した。その高さを維持しつつ、グレンの体は地面と並行に移動し、屋根に近づく。

「あっ! 発見!」

 グレンは屋根の上の役員章を摘み上げると、四階以上の高さからゆっくりと降下し、モニカの前に着地した。

 飛行魔術は上級魔術師クラスでないと使えない高レベルな魔術だ。なにより、魔術の知識と身体能力の両方が必要となる。

 それをグレンが容易く使ってのけたことにモニカが驚いていると、グレンはモニカの手に役員章を握らせて「しーっ」と唇に人差し指を当てた。

「今の、他のみんなには内緒っすよ? 本当は監督役のいないところで、勝手に魔術は使うなって言われてるんっす」

「あ、の……グレン、さんは…………魔術師、なんですか?」

「まだ、見習いっす!」

 見習いだとしても、飛行魔術が使えるということは上級魔術師に匹敵する腕前ということだ。

 そんな人間が何故、セレンディア学園にいるのだろう?

 この若さで飛行魔術が使えるのなら、魔術師養成専門機関のミネルヴァに勧誘されていてもおかしくはないのに。

 そんな疑問を口にできずにいると、グレンはモニカの手から木串を抜き取った。

「そうだ、ちょうど今、昼飯食ってたんっすよ。一緒にどうっすか?」

 言われてみれば、何やら肉が焼ける良い匂いがする。

 グレンはご機嫌で木串を振りながら、裏庭の奥へ進んでいった。恐る恐る後をついていけば、少し開けた場所に焚火の跡がある。皿代わりの葉っぱの上には、串焼きの肉が乗せられていた。どうやら木串は、この肉を刺していた物らしい。

「この学園の学食って、なんか堅苦しいし、高い割に量少ないし、満足できないんっすよね〜」

「そ、それで……ここで、お肉を?」

「やっぱり、肉はシメたて、焼きたてが一番っすよね! それにオレ、お腹いっぱい肉食べないと元気でないんっすよ!」

 そう言ってグレンは串焼きを一本モニカに勧めてくれた。

 断るのも気が引けて、モニカは礼を言い、おずおずと肉を齧る。焼いた鶏肉は程よい焼き加減で、皮はパリパリ、肉はしっとり柔らかで美味しかった。スパイスがしっかり効いているのもいい。

 だが、この肉はどこから調達したのだろう?

 先ほど、グレンは「シメたて」とか言っていた気がするが、まさか休み時間に狩りでもしていたのだろうか?

 そんなモニカの疑問に、グレンは肉を頬張りながら答えた。

「オレんち、下町の肉屋なんっすよ〜。飛行魔術でひとっ飛びして、実家から肉を貰ってきたんす! あ、こっそり実家まで肉を取りに行ったの、他の人には内緒っすよ!? 絶対絶対内緒っすよ!?」

 前々から察してはいたが、やはりグレンは貴族の人間ではないらしい。

 だが、貴族の人間ではない肉屋の息子で、魔術師見習いの人間が、どうしてこの学園に通っているのだろうか?

「……あの、どうして、グレンさんは…………この学校、に?」

「ん〜、オレ、魔術の師匠がいるんっすけど……その師匠に、オレがあんまり落ち着きないから、この学校で落ち着きを身につけてこい、って言われたんすよ」

 セレンディア学園は貴族の子女が通う学園だが、準貴族や裕福な家の子供が行儀見習いのために通うことも珍しくはない。

 とは言え、グレンほどの魔術の才能があるのなら、やはり魔術師養成機関の最高峰であるミネルヴァに通うのが自然だろう。

(……一体、どんな師匠なんだろう)

 モニカは最後の肉を飲み込むと、串を皿の上に戻してグレンに頭を下げた。

「……あの、ありがとうございました……お肉もだけど、役員章、取って、くれたのも……」

「困った時はお互い様っす!」

 グレンは白い歯を見せて、快活に笑う。

 その屈託のない笑顔を見ていると、彼に対する苦手意識が少しだけ薄れた気がした。



 * * *



(……ふぅん?)

 フェリクスは、裏庭のモニカとグレンのやり取りを窓から見下ろし、少しだけ目を細める。

 彼は、モニカがこっそりダンスの練習をしているところから、エリオットに役員章を奪われるところ、それをグレンが飛行魔術で取り戻すところまで──やりとりの全てを見ていた。

「……殿下」

 胸ポケットから白蜥蜴のウィルが顔を出して、小声で囁く。

「会話の一部を聞いていましたが、やはり、モニカ・ノートンとグレン・ダドリーに接点は無いようです」

「あぁ、そのようだね。グレン・ダドリーが飛行魔術を使ったことに、彼女は驚いていたから」

 そこまで言って、フェリクスは物憂げな顔で、ふぅっと溜息を吐く。

「それにしても面白くない。みんなして、寄ってたかって、私の子リスにちょっかいを出さなくても良いだろう?」

「……殿下がちょっかいを出すからだと思うのですが」

「私のものだと分かるように、首輪でも付けておこうか? 可愛いリボンに刺繍を入れて」

「……それは、些か悪趣味かと」

「同感だ」

 クツクツと笑い、フェリクスは胸ポケットを手で塞いだ。隠れろ、という合図にウィルはポケットの奥へ引っ込む。

 ウィルが引っ込んだのを確認し、フェリクスは視線を背後に向けた。こちらへ向かって歩いてくるのは、生徒会書記エリオット・ハワード。先ほど、モニカから役員章を取り上げた張本人である。

 彼が教室に戻るために、この廊下を使うだろうと予想して、フェリクスはわざわざここで待ち伏せしていたのだ。

 エリオットはフェリクスに気づくと、気さくに片手を持ち上げた。

「よぅ、殿下」

「やぁ、エリオット。子リスと遊ぶのは楽しかった?」

 エリオットは動揺した様子もなく、いつもの軽薄な笑みを顔に貼りつけてフェリクスを見ている。そういうところが、実に貴族らしい。

「なぁ、殿下。あんたは知っているはずだ。俺が、身の程知らずの庶民が、死ぬほど嫌いだと」

 エリオット・ハワードは軽薄な男を装っているが、その本質は誰よりも貴族的だ。

 エリオットは決して庶民を見下している訳ではない。ただ、己の本分を果たさぬ者が許せない男なのだ……それが、貴族であろうと庶民であろうと。

 前会計の不正行為に誰よりも腹を立てていたのがエリオットであることを、フェリクスは知っている。

「以前、君はこう言っていたね、エリオット? 『貴族は貴族の、庶民は庶民の、生まれ持った役割がある。それぞれが身の丈に合った役割を果たすべきだ』……と」

「あぁ、そうだ。だからこそ、あんたに問いたい」

 エリオットは軽薄な笑みを引っ込めて、タレ気味の目で鋭くフェリクスを見据える。

「何故、モニカ・ノートンを会計にした?」

「ノートン嬢の『身の丈』が分からないからだよ」

 エリオットは「庶民は庶民の身の丈に合った役をすべき」と主張した。だが、フェリクスはモニカの「身の丈」が掴めずにいる。だから、会計という役割をあてがった。そうすれば、彼女の本質が掴めるかもしれないと考えて。

 フェリクスの答えに、エリオットは納得してはいないようだった。それでも、彼はそれ以上は追求せず、冷ややかな目をフェリクスに向ける。

「俺が『身の程知らずの庶民』よりも嫌いなものが何か知ってるか? 己の役割を全うしない貴族だ……それは、王族も変わらない」

 王族に対して不敬とも取れる態度に、フェリクスは気分を害するでもなく、穏やかに笑って答える。

「無論、フェリクス・アーク・リディルを名乗る以上は、この役割をまっとうするさ」


 ──そう、この名前を名乗る間は。


 どこか遠くを見るような目で、フェリクスは声に出さずに呟いた。


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