【4−1】ギュルンギュルン(※ダンスの効果音)
セレンディア学園の教師リンジー=ペイル(二十六歳独身・現在素敵な殿方募集中)は絶句した。
彼女は社交ダンスの教師である。とは言え、セレンディア学園の生徒達はその殆どが貴族の子女。
ともなれば、当然に生徒達は入学時点で社交ダンスを嗜んでいたし、多少ダンスが不得手な生徒はいても、授業に落第するような者は今まで一人もいなかった。
……そう、今までは。
目の前で繰り広げられているこれは、なにかしら。とペイル教諭は目を剥いた。
彼女の目の前で踊っている一組のペア。
男子生徒の名はグレン・ダドリー。女子生徒の名はモニカ・ノートン。
どちらも、高等部二年に編入したばかりの生徒である。
「ちょっとテンポ遅れてる気がするんで、スピードアップっす!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ、止まってぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
本来のテンポの倍速でステップを踏む男子生徒に、リズム感皆無の女子生徒がブンブンと振り回されて、クルクル……というより、ギュルンギュルンと回っている。
それは到底ダンスと呼べるような代物ではなかった。敢えて言うなら、好き勝手走り回る大型犬と、そのリードを握って振り回されている飼い主の図である。男子生徒が女子生徒をぶん回し、振り回し、引きずり回しているのだ。
では、男子生徒だけに問題があるのかというと、そうでもない。
女子生徒の方は女子生徒の方で、ダンスの基礎すらできていないし、ステップも滅茶苦茶。転んでいないのが奇跡のような有様である。
やがて曲が終わると同時に、急停止の勢いに耐えられなかったモニカ・ノートンが豪快に床を転がっていった。ゴロンゴロンと床を転がった彼女はやがて壁にぶつかり、ヒクヒクと痙攣する。
ぐるぐると目を回しているモニカに駆け寄ったグレンは、モニカの肩をガクガクと揺さぶり、叫ぶ。
「うわああああ、ごめんっすーーーー!! だ、大丈夫っすか〜!?」
「ゆ、ゆら……ゆらさ、な……いで………………うきゅぅ……」
白目を剥いてカクリと動かなくなったモニカに、グレンが絶叫する。
「し、死んじゃダメっすーーーーー!!」
トドメを刺したのは、お前だ……と、この場にいる誰もが思った。
その滑稽なやりとりを眺めながら、ペイル教諭は落ちこぼれ二人に告げる。
「……グレン・ダドリー。モニカ・ノートン。この二名には、一週間後に再試験を言い渡します」
* * *
モニカはリディル王国でもトップクラスの魔術師であり、王に対面する権利を与えられている七賢人の一人である。
今から二年前、弱冠十五歳という最年少で七賢人に選ばれた彼女は、現存する魔術師の中で唯一の無詠唱魔術の使い手であり、新たな魔術式を幾つも開発したことで知られる、天才少女であった。
そんな彼女は、第二王子フェリクス・アーク・リディルの護衛を内密に命じられ、セレンディア学園に潜入。得意の無詠唱魔術を駆使して密かに王子を護衛しつつ、悠々自適に華麗な学園生活を謳歌して……はいなかった。
モニカが得意としているのは、あくまで魔術と数学分野であり、それ以外に関しては底辺も底辺。ポンコツもポンコツ。
その最たる例の一つが、驚異の運動音痴であった。
少し走れば息切れをし、何もないところで躓くのは最早日常茶飯事。
七賢人になってからの二年間、ほぼ外出することなく山小屋に篭っていたことが、ますます彼女の体力低下に拍車をかけた。
……その結果が、社交ダンスの授業の大惨事である。
社交ダンスの授業は二クラスの合同で、基本的にパートナーは教師の方で指名される。なるべく実力の近い者同士で組ませるためだ。
モニカのパートナーに指名されたのは、隣のクラスのグレン・ダドリー。
なんでもグレンはモニカと同じ時期に編入した生徒らしい。少し癖のある金茶色の髪と、人懐っこそうな笑顔が印象的な少年である。
グレンは同年代の少年達と比べて背が高く、小柄なモニカはグレンの顔を見ようと思ったら、だいぶ上を見上げねばならなかった。
正直、この身長差はダンスのパートナーに不向きな気がするのだが、それでも教師がこの二人をペアに指名したのは、どちらも編入生でダンスの腕前が未知数だからだろう。
「オレ、グレンって言うんす! よろしくっす!」
グレンは人懐っこい笑顔でそう言ってくれたが、モニカは俯いたままもじもじとするのが精一杯だった。
モニカは極度の人見知り故に、初対面の人間とはまともに会話ができない──特に男性が相手だと、その傾向が顕著だ。
それでもグレンは気を悪くした様子もなく、モニカの手を引いてダンスホールに立つ。
その態度は自信たっぷりで、きっとダンスが得意なのだろうとモニカは勝手に思っていた……が。
次の瞬間、グレンは人懐っこい笑顔でこう言った。
「オレ、社交ダンスやったことないんスよね。とりあえず、見様見真似でやってみるっす!」
嘘ですよね? と思った次の瞬間、モニカはグレンに振り回されていた。
かくして二人は、仲良く再試験を言い渡されたのである。
* * *
このままだと再試験も不合格は必至。
そこでモニカとグレンの二人は、放課後に部屋を借りてダンスの練習をすることにした。
……とは言え、初心者二人ではどうにも手の施しようが無い。
そこでグレンは「助っ人を連れてきたっす!」と言って、とある人物を引きずってきた。
「ど、どうも……こんにちは」
困ったような顔でグレンに引きずられて来たのは、モニカと同じ生徒会役員ニール・クレイ・メイウッドである。
「メ、メイウッド……様……?」
生徒会の良心とも言えるニールの登場にモニカが目を丸くすれば、グレンは不思議そうにモニカとニールを交互に見た。
「あれ? 二人とも知り合いなんすか?」
「ノートン嬢は、ボクと同じ生徒会役員ですよ」
「えええええっ!? そうだったんすか!?」
グレンは大袈裟に仰け反ってモニカを見下ろした。
グレンは悪い人ではないのだろうけれど、どうにも声が大きくてモニカは苦手だ。
ビクビクと震えていると、グレンは感心したようにうんうんと頷く。
「モニカって、オレと同じ編入生なんすよね? それなのに生徒会役員って、滅茶苦茶すげーっすね!」
「い、いえ……あの……」
「あっ、勝手に名前で呼んでごめんっす! でもオレ、堅苦しいの苦手だから、オレのこともグレンって呼んでほしいっす!」
「あの……え、えっと……」
モニカが返す言葉に悩んでいると、ニールが「まぁまぁ」とおっとり割って入った。
「ノートン嬢が困ってますから、あんまり詰め寄っちゃダメですよ〜」
ニールがそう言うと、グレンは聞き分けの良い犬のようにピタリと黙った。
ニールは小柄で地味な少年だが、周囲からの人望は厚い。グレンもニールのことを慕っているようだった。
ニールはグレンが静かになったのを確認して、モニカを安心させるように眉を下げて笑いかける。
「グレンはボクのクラスメイトなんです。グレンにダンスの練習を見てほしいと頼まれたので、臨時講師をすることになりました」
「ご、ご迷、惑、を……おかけ、して……すみ、ませ……っ」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから」
そう言ったニッコリ微笑むニールは、全身から良い人オーラが滲んでいた。なるほど慕われる訳である。
「そんじゃ、早速練習するっすー!」
待てのできない犬のようにせっかちに切り出すグレンに、ニールが「うーん」と困ったような顔をした。
「できれば、本番を想定して音楽があると良いんだけど……ボクはダンスを見なくちゃいけないし、誰かピアノを弾ける人はいないかな?」
ダンスルームには演奏用にピアノが設置されている。試験の時は、このピアノの演奏に合わせてダンスを踊るのだ。
だが、モニカにはピアノを弾ける知り合いなんていない……というか、そもそもこの学園に知り合い自体が殆どいない。
全く役に立てず、モニカが申し訳なさそうに俯いていると、ダンスルームの扉が勢い良く開かれた。
「そ、そういうことなら仕方ないわね! わたしがピアノを弾いてあげてもいいわよ!」
亜麻色の髪をくるくると指に巻きつけながら早口に言うのは、モニカのクラスメイト、ラナ・コレットである。どうやら、扉の前でこっそり立ち聞きしていたらしい。
グレンとニールは驚いたような顔で、モニカとラナを交互に見ている。
「モニカの友達っすか?」
「……ぁ、……はい……」
グレンの問いに咄嗟に頷き、モニカは青ざめた。
自分なんかに友達と言われて、ラナに迷惑だと思われないだろうか?
ラナが嫌な顔をしていたら、少しでも顔をしかめていたら──そんな光景を想像して震えていると、ラナはズンズンとモニカに近づき、得意げに髪をかき上げた。
「そ、そうよ! 友達のわたしが協力してあげるんだから、感謝しなさいよね!」
モニカはビクビクしながら、顔を上げてラナを見る。
ラナは迷惑そうな顔なんて、これっぽっちもしていなかった。寧ろ、ニヤニヤ笑いを堪えているようにも見える。
「…………ありがとうございます」
モニカは制服の上からギュッと胸を押さえ、か細い声で礼を言う。
……胸を押さえていないと、嬉しくて心臓が飛び出してしまいそうだったのだ。