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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第3章「生徒会編」
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【3−6】静かなる化け物

 シリルの父はハイオーン侯爵家の血を引いていたが、爵位は持っていなかったし、決して裕福ではなかった。

 それでも父は侯爵家の血を引いていることを鼻にかけ、ろくに働きもしなかったし、母に対して居丈高に振る舞っていた。

 それが嫌で、シリルはいつも母の味方をした。母に喜んでもらおうと、彼なりに考えて努力もした。

 それでも母は、シリルの顔を──父によく似た貴族的な顔を見ると、いつも悲しそうな顔をする。

 やがて父が酒に溺れて死んだ頃、ハイオーン侯爵家の人間がシリルを養子にしたいと申し出た。

 シリルは飛び上がって喜んだ。

 これで母に楽をさせることができる! 母に喜んでもらえる!

 だが、喜ぶシリルを見て、母は溜息を吐きながら、言った


『あぁ、貴方はやっぱり、貴族の子なんだわ』


 ──違います、お母様。私は貴女の子です。


 その一言が、シリルはどうしても言えなかった。


 * * *


 シリルの目の前にいるのは、フードを目深に被った人物だ。小柄で、とても成人しているようには見えない。

 だが、その人物が軽く右手を持ち上げれば、シリルの氷壁を溶かした大蛇がフードの人物のそばをぐるりと一周した。

 間違いない、このフードの人物が魔術の使い手──シリルの氷を溶かした人物なのだ。

 シリルのブローチを奪った黒猫がにゃうっと鳴いて、フードの人物に駆け寄る。フードの人物は黒猫を抱き上げると、猫が口に咥えていたブローチを指でつまみ上げた。

「……その猫は、貴様の猫か」

 シリルが低い声で唸っても、フードの人物は見向きもせず、ブローチを眺めている。

 その態度がますますシリルを苛立たせた。

「そのブローチを、返せっ!」

 激昂のままにシリルは呪文を詠唱した。唱えたのは氷の鎖を生み出す術式。

 シリルがパチンと指を鳴らせば、フードの人物の四肢が氷の鎖で絡め取られ……次の瞬間、氷の鎖は瓦解した。

「……は?」

 フードの人物は何もしていない。詠唱すらしていなかった。

 なのに氷の鎖は呆気なく砕け散り、その残骸を地に散らす。

 術式を間違えたか? と思い、シリルはもう一度呪文を詠唱した。だが、結果は変わらない。氷の鎖は顕現すると同時に崩壊する。

「何故だ、何故だ、貴様が……貴様が何かしたのか?」

 フードの人物はやはり何も言わずにブローチをじっと見ている。シリルなど目にも入らぬとばかりに。

 ……その態度が薄気味悪い。

「答えろっ!」

 シリルは氷の矢を生み出し、フードの人物目掛けて放った。だが、矢はフードの人物に届く直前に炎に包まれ、溶けて消える。

 もしかしたら、そばに仲間がいるのではないか、とシリルは思った。そうでなければ説明がつかない。だって、フードの人物は詠唱をしていないのだ。詠唱無しでシリルの魔術を打ち消すなど出来るはずがない。

「くそっ……くそっ……っ!!」

 シリルは大量の氷の矢を作ると、それを四方八方でたらめに放った。このフードの人物の仲間が周囲にいるのなら、炙り出してやろうと思ったのだ。

 だが、フードの人物が僅かに顔を上げれば、それだけで氷の矢は炎に包まれ、呆気なく消える。

(なんだ……なんだ、これは……)

 でたらめに放った矢を、盾で防ぐことはそれほど難しくない。

 だが、放たれた矢を、全て矢で撃ち落とすことができたら……それは神技だ。

 今、シリルの目の前で行使されたのは、そういう魔術だ。

 しかも氷を溶かした炎は周囲の木々に燃え移ることなく、消えた。つまり、それだけ精緻な魔術ということになる。

 炎の一つ一つが、恐ろしく正確な計算のもとに編みあげられている。しかも、この数を? 僅か数秒足らずで?

(なんだ、なんだ、何が起こっている? 私は何を見ている?)

 魔術を知らぬ者なら、見た目が派手な炎の大蛇に目を奪われただろう。

 だが、少しでも魔術をかじったことのある者なら、気づくはずだ。氷の矢を撃ち落とした小さな炎が尋常ではないことに。

 魔術戦における防御の基本は盾──つまり、防御結界だ。

 だが、目の前の人物は盾を使わずに矢で迎撃し、圧倒的な技術の差をシリルに見せつけた。

「なんなんだ……なんなんだ、貴様はぁぁぁ……っ」

 シリルは細かな制御を放棄して、ありったけの魔力を冷気に変換し、フードの人物にぶつけた。

「凍れ! 凍れ! 物言わぬ氷像になってしまえ!」

 ヒステリックに喚き散らしながら放った冷気は、シリルを中心としてあらゆるものを凍らせていく。地面も、木々も、そしてシリル自身も。

 手足が凍傷になろうが構うものかと、シリルは冷気をぶつけ続けた。

 だが、そこで気づく。

 最大出力の冷気が徐々に押し返されている──否、向きを逸らされているのだ。上空に。

 フードの人物は風の魔術でシリルの冷気を受け流している。

 それと同時に、シリルの手足に張りついていた氷が少しずつ剥がれ落ちていく──シリルの体を冷気から保護する結界が張られているのだ。

 我が身を省みずに術を使っているシリルは、当然結界なんて使っていない。

(こいつが……?)

 フードの人物が風の魔術で冷気を受け流しつつ、防御結界でシリルの体を保護しているのだとしたら……高度な魔術を同時使用していることになる。

 きっと、このフードの人物の味方が周囲に隠れてこっそり術を使っているのだ。そうに違いない。


(……だが、もし、そうでないとしたら?)


 このフードの人物が、たった一人でこれだけの魔術を使っているのだとしたら……それは、もう化け物だ。

 シリルは青ざめ、全身をカタカタと震わせた。

 魔術を行使していた時の高揚感と酩酊感が鎮まり、全身から血の気が引いていく。

「……あ……」

 目の前が霞み、全身から力が抜けていった。魔力が底を突いたのだ。

 そうして意識を失う直前にシリルが見たのは……フードの人物が絶望的に鈍臭い走り方でシリルに駆け寄り、小さな手を伸ばす光景だった。


 * * *


「だ、だだ、大丈夫……ですか……?」

 モニカはポテポテと鈍臭い走り方でシリルに駆け寄り、膝の上に彼の頭を乗せて具合を確かめる。

 シリルは意識を失っていた。脈も少し弱くなっているが、命に別状はなさそうだ。これなら、少し休めば回復するだろう。

「……良かったぁ」

 魔力中毒は初期症状で魔術の行使に強い興奮を覚える、というものがある。

 更に悪化すると幻覚、動悸、目眩などの症状が起こり、最後は全身を魔力に蝕まれて死に至るのだ。

 故に魔力中毒の人間は、初期症状の内に魔力が空になるまで使わせるのが手っ取り早い治療手段である。

「お見事です」

 物陰に隠れて見守っていたリンが姿を現し、モニカの手もとにあるブローチを見た。

「やはり、その魔導具に不具合が?」

「はい……組み込まれた術式が経年劣化してました……本当は劣化を防ぐために、術式を保護する術式を重ねがけするのが普通なんですが……」

「保護術式が、施されていなかった、と」

 リンの言葉にモニカが頷けば、ネロが「不良品じゃねーか!」と苛立たしげに尻尾を振る。

「ったく、どこのどいつだよ、そんな手抜き仕事した奴ぁ」

「えっと……ブローチの裏に銘が刻まれてる…………」

 ブローチをひっくり返し、そこに刻まれた名前を見てモニカは頬を引きつらせた。

「…………〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィン……」

「なんだ、なんだ? 知ってる奴か?」

 モニカが返答に詰まっていると、リンが淡々と答えた。

「モニカ殿と同じ、七賢人の一人と記憶しております。ルイス殿と不仲。第二王子派。ルイス殿曰く『金の亡者のヒヒジジイ』」

 ネロは数秒の沈黙の末に口を開いた。

「……七賢人って、まともな奴いねぇの?」

 耳の痛い発言である。

 モニカは「あうっ……」と胸を押さえつつ、ブローチに新しい魔術式を上書きした。

 この手の物質に魔力を付加する魔術のことを付帯魔術と言う。

 モニカは付帯魔術の類は専門的に学んだ訳ではないのだが、このブローチはそれほど複雑な構成ではないので修正に苦労はしなかった。

 例えばルイスがフェリクスのために作ったアミュレット。あれは危険を察知して防御結界を張る、非常に高度な魔導具だったが、このブローチは魔力を吸収して放出するだけの物だ。

(体内の残存魔力量に応じて魔力の吸収量を調整できる、自動調整の術式も組み込んでおこうかな……)

 この手の魔術式を見ると、ついつい応用したくなるのがモニカの悪い癖である。

 それでも、突然ブローチの機能が変わっては、シリルも困惑するだろう。

 モニカは魔術式の不具合を修正し、自動調整術式を組み込む程度に留めて、後はその術式を保護する保護術式を二重にかけた。

 これで、簡単には故障したりしない筈だ。

 モニカがシリルの襟元にブローチを留め直すと、ネロが揶揄うようにモニカを見上げた。

「お前がそこまでしてやる必要はあるのか? 魔導具って修理するだけで金貨五枚はふんだくれるんだろ?」

「……それ、は」

 モニカは自分の言葉をまとめるべく、一度言葉を切る。

 モニカはシリルのことが、ほんの少しだけ羨ましかった。

 誰かに認められることを、誇りに思える彼が。そのために努力を惜しまない姿勢が。

「……魔力吸収体質は不便なことも多いけど、上手に付き合えば、魔術師としては有利になるの」

 魔力の吸収速度が速いということは、それだけ魔力の回復が速いということだ。

 回復が早ければ、それだけ長期戦で他の魔術師よりも有利に戦える。

 実を言うと魔術師の中には、魔力の吸収速度を上げるために態と過酷な修行をして、自分を追い込み、この体質になりたがる者もいる。

 シリルのこの体質は「才能」と呼ぶこともできるのだ。


「……この才能を……呪いだと思ってほしくなかったの」


 モニカはどうしたって、自分の才能を誇れない。呪いと思わずにはいられない。

 だからこそ、シリルには自分のようになってほしくなかった。

 胸を張って、自分を誇っていてほしかった。


 ……自分を誇れないモニカの分まで。


「ところでよぉ。こいつ、どうすんだ? ここに寝かせとく?」

 ネロが前足でシリルの頬をフニフニと押す。

 確かに、まだ冬でないとは言え、こんな森の中に具合の悪い人間を寝かせておくのも気が引ける。

 どうしたものかとモニカが考え込んでいると、リンが挙手をした。

「わたくしが突風でこの人間の体を吹き飛ばし、男子寮に放り込みましょうか」

「で、できればもう少し穏便に……」

「では、竜巻を起こして男子寮に吹き飛ばし……」

「悪化してますぅぅぅぅ」

 とは言え、リンの飛行魔術でこっそり男子寮に忍び込んだとしても、シリルの部屋が分からない。

 どうしたものかとモニカが頭を抱えていると、ネロがやれやれとばかりに溜息を吐いて飛び上がった。

 くるりと一回転して着地すれば、次の瞬間にはその姿は黒猫ではなく、黒髪に金の目の青年に変わっている。

「そんじゃ、オレ様がこいつを男子寮の門の辺りまで担いでってやるよ。で、寮の正門近くに転がしときゃ、門番が気付くだろ」

「うぅ、どうしても転がしておくの……?」

「中まで忍び込んで、オレ様達が見つかったら、元も子もねーだろ」

 そう言ってネロはシリルの体を雑に持ち上げ、肩に担ぐ。

「あの、ネロ、せめておんぶで……」

 モニカの声も聞かず、ネロは身軽に地面を蹴って走り出す。

 やがてネロの背中は夜の森に溶けるように見えなくなった。


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